スキヤキ2012をふりかえる -8-

このエントリーから続きます)

 例によってのったりくったり、わたくしの日々の仕事の中、人生という織物の中でスキヤキでの議論を熟成させ、刺激を受けた体験のことを織り込みながら進めてますが・・・

 さてOKIさんのお話を反芻してみると、彼の音楽への信頼は、かつてのアイヌの素晴らしい歌い手たちの残した痕跡に基盤を置いているように思われます。

 プロでない歌い手による、天然の音楽。研究資料としてしか録音されず、音楽として佳境に入る前でもサンプルとして十分と判断された時点でぶっちぎられた形でしか残っていない音楽。それでも驚異的しぶとさで残っている音楽。ジョン・コルトレーンとマイルス・デイヴィスのセッションにも比肩する、素晴らしいレベルの音楽。OKIさん自身が、自分には乗り越え不可能という音楽。
 (わたしのまとめで順番が前後していてOKIさんの真意を歪めていないことを祈ります・・・)

 昔のアイヌのおばちゃんの歌(わたしは恥ずかしいことにそういう録音に接したことがありません)は、なぜそんなに素晴らしいのだろう?
 アイヌは国家を作らなかった。だからたいていの「国家」が持っていた、いまでも持っている階級、貴族と平民みたいな分け隔てが希薄な場が圧倒的に多かったのではないか。
 貴族と貴族意識があれば、そこにハイカルチャーとそれ以外、純粋と不純という分離の意識が派生する。
 民衆とは、これまで自分が接した全てのものから「良いもの」を自然に取り出し吸収して再生産する、そういう人たちのことではないか?

 わたしには今のところそんな風に思えます。

――待て。それじゃ「民衆」にはナショナリストはいない、と言いたいのか、おまえは?

 そうではないはずなんだけど・・・ なんというか・・・

 また廣瀬さんの言われたことに逃げちゃいますが:

 出来上がったショーをみるとか、「鑑賞」するとかだけじゃなくて、そこの小さい社会に生活している人だったら理屈抜きではっきりわかるもの、そういうものがある。どうしてやるの? みんなわかっている。どうしてだかはいえないけど。

 という音楽の核みたいなものはある。廣瀬さんはそれを盆踊りや鼻歌とかに探し求めるのですが、オキさんにとってはそれがいったん失われたものになっているためにそれを再興、再構成、再生・・・させようと試行錯誤を繰り返す、そういうことではないかなと思います。

 答えになってないか・・・

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観音さま、それって


 観音さまがバレンタインデーじゃ違和感がありますが、だけど観音様の御胎内にはお釈迦様や大日如来だけでなく、インドの神様で仏教にとりこまれた鬼子母神とかも当然お祭りしてありますし、聖徳太子や弘法大師みたいな日本の聖人もいらっしゃるわけなので、ここに

 聖バレンタイン

が入ったって、たいしておかしくないのかも。

 なんでもあり。
 でもなんか、うっすらと取り込みの論理が見えるような気もする。
 なんだかライみたいなはなし。
 少なくとも、ある種のワールドミュージックとはこういうものという気もいたします。
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高崎の観音さまに縁結びしてもらおう


 お参りを終えて帰りのバスを待つあいだ、茶店で休憩。
 「観音もなか」というのをいただきました。
 例の因縁の?「ゴマ」あんと(炭譚アイスのページは消えてますね。ついにこれも消えたか・・・)、小豆あんの二種類あります。観音さまの形をしていて、自分の体の中の調子の悪い部分から食べるとご利益があるというんですが、わたしは頭わるいからこういうのは頭から食べることにしてます。

 ところで高崎観音さまではこんなのをやっているのを知ってちょっとびっくりしました。
 赤い糸祈願式、ですか。

 でもバレンタインデーって、キリスト教の民間信仰と日本のチョコレート業界の販促戦略の合作なんじゃ・・・

 この行事のことを茶店のおばちゃんに聞いてみると

 「それが、いわれがありまして」

って言うんです。

 そもそも前のエントリーで見たとおり高崎の観音さまはなかなか端正な顔立ちの方なのですが、ここを男女のカップルが訪れると観音さまが嫉妬されて二人を別れさせるという言い伝えが地元に広まってしまって、これはいかんと考えた住職さんがバレンタインデーと絡めた縁結びの行事を去年から始められたのだそうです。
 仏前結婚式もされていて、それの写真で、焚かれている護摩の炎が観音さまの姿になっているという心霊写真も見せていただきました。

 いやーいろいろあるもんですね。
 これだから世界というのは楽しいですね。

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雨粒


 なにはともあれ、観音様のお顔を拝し、お祈りします。
 なかなかいいお顔ですね。
 この写真は雨粒がうまく写ってますね。こういうのもいいな。

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コンクリート100年


 この観音様は昭和11年に作られたのだそうで、コンクリートの耐用年数からすると2036年には建て替えるか何かしないといけないのだそうです。
 作られたときは「モダン」なコンクリート作りがこんなにもたないものだとは思われなかったかもしれないですね。
 もうあと24年ですから、そんなに時間はないというべきです。

 今度は同じような観音様を建てるのは難しいのではないでしょうか(だから「別の仏塔をたてる」選択肢もあげられています↑)。
 だって
 個人でこれだけのものをたてるのに勝手にお金を使える人はもういなさそうだし、株式会社でこういうことにお金を出すのは株主が承知しないという論理がはたらくのではないか。
 そう思いますから・・・
 
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