スキヤキ2012をふりかえる -7-


 さて今度はシンポジウムでのOKIさんのお話についてです。

 「ワールドミュージック」というのはレコード店が作った便宜的名称だから、意識のもっていき方によっては、レコード会社のための音楽でない音楽、people's musicということになろう・・・というお話にはまったく賛成です。
 ところで、その次の発言の番でOKIさんの口から最初に出てきたのが(アイヌ音楽には?)「お弟子さん制度がない」という言葉だったのには、ちょっと意表をつかれました。

 単なる伝統音楽、民族音楽ということならこれは師匠と弟子の間の伝承ということが問題になるはずなのですが、OKIさんはワールドミュージック、あるいはピープルズミュージック――「民衆音楽」と言い換えちゃっていいでしょうか?――という言葉で、どうもそういうものとはちょっと違うものを指しておられるみたいです。
 続いて否定されるものとして挙げられたのが「舞台」「国家」というものなのですね。
 舞台とは非常に広義にとらえた「資本主義的」な音楽受容、消費のことを指しておられるように思います。
 国家というともちろん「権力」のことですね。それは小さいレベルにおいては師匠=弟子の関係の中にもむろん存在するわけです。

 このあたり、結局廣瀬さんたちの姿勢と基本的に同じ、と言ってしまったら、ご両人はお怒りになるでしょうか。
 わたしにはそう見えます。
 廣瀬さんたちは朝鮮語による『君が代』を録音しておられますが、これは国家による排他的で重たい意味付けを剥ぎ取って、あの歌に言祝ぎ歌という本来の姿を取り戻させた、そういう行為だったと思います。
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