スキヤキ2012をふりかえる -4-


 これ、わたくしが若かったころ、1971年(ああ遠い昔だ・・・)、初めて出かけたロックのコンサートのチケットです。よくこんなもん、残ってたなあ。
 大阪フェスティバルホール。Chicago。(残念ながらLed Zeppelinのコンサートのチケットは残ってませんけど、それより前です)
 わたしが初めて出かけた、というより外国のロックアーチストのコンサートというものが盛んになるのがちょうどその頃だったんだと思います・・・ 
 ご存知のとおりシカゴの初期の作品は二枚組ばかりで高価なもんだから、わたしはアルバム一枚も持ってなかったです。それでよくナマ聞きに行ったものだ。我ながら自分を褒めたいです・・・
 ダニエル・セラフィン、小柄なのにいいドラマーだなと思ったのを覚えてます。もっともそれまで他にドラマーなるものを見たことはあんまりなかったんだけど・・・

 ところで、このコンサートで、彼らはステージのバックに星条旗を掲げて演奏していました。
 後で「シカゴは反体制バンドなのに国旗を掲げるとは」というようなコンサート評を書いてる人がいたんですが、どなたでしたっけ・・・ わたしはかなり違和感を覚えましたが・・・

 ちょうどその頃なんですよ。60年代末から70年代初頭にかけて。
 音楽のメッセージ性がどうのこうの言われだしたのは。
 こういう現象が60年代に世界を席巻したムーヴメントと軌を一にしているは明らかでした。

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 ここでスキヤキ・シンポを聞かれた方からのご意見を簡単にご紹介しましょう。

 日本のポップシーンにしっかり存在していた「民謡」が消えた――というか「いったん消えた」――時期というのがロックの台頭と合致している。すなわち1970年前後ということです。
 ロックの台頭とともに大衆音楽が自己表現するようになった。自己表現が娯楽たりうる、という考え方が支配的になった。その流れのなかで民謡は力を失った。
 しかしいま、この自己表現という文脈のなかでかえって民謡が再発見され、ワールドミュージックが再評価されるということになっている・・・という趣旨のご意見だと思います。

 ここで錦糸町の河内音頭の例があげられていますが、これはわたくしがレジュメするにはデリケートすぎる内容です。わたしの印象では、この例は「大衆音楽」ということであって(それだけでは)「ワールドミュージック」ということとはちょっと違うように思えてしまうのですが・・・

 キメのフレーズは「ビートルズが原因で戦争は起こるけど、エルビスが原因で戦争は起こらない」というものです。これには感心しました(しつこく念を押しますが、これはわたくしのフレーズではありません。著者の方は名乗り出ていただけましたら幸いです)。

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