別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

夢のひきだし

2006-11-06 | アートな時間


 立ち寄った常設展で、なつかしい地番を目にした。 
 南埼玉郡大相模村西方(現 埼玉県越谷市)、大相模尋常小学校入学とある。 祖父も母も通った、私たちの母校でもある。
 大相模… よく似ているが大相撲ではない オオサガミ、 懐かしい響きはふるさとを 一気に近づけた。

 茅葺の母屋に、建て増したところは新座敷とよばれ、伯母たちのすまいだ。母屋と新座敷をつなぐ廊下に付随して、洋間があり、祖父母がつかっていた。
  前に青ドラセナが繁るエキゾチックな窓、そこを中座敷と呼び、よく遊び場にした。 この窓だけの部屋は掃き出しがあり、かがむと開口部から擬宝珠や苔むす石灯籠の、眺めは今も鮮明である。
 身を乗り出してほかの子にじゃれる、 この造りはこどもにとってたいへん都合よく、おもしろく、遊びは無限に広がった。

  -☆-

 昼間、中座敷を通るとだれもいない。 タンスの上置きに届いた手が戸棚をそっと開ける。 祖父に黙って小引出しをぬく。 罪悪感から気持ちも高ぶった。
 見つかれば叱られるかも知れないと思ったが、誘惑に勝てなかった。 ここには見慣れない、不思議なものがいっぱい詰まっている。
 最初は従妹といっしょに。 ひとりでたびたびは、秘密であった。

 ひきだしは夢の箱、 刻みたばこと何か知れないわくわくさせる匂いがあった。 虹色のグログランをつけた勲章、徽章。 ペンダントかブローチか。 リボンは幅広く厚地のあざやかな縞で、凹凸のある横うねがしなやかに光って目を奪われた。 きれいな、特別なものという気がして、ていねいに手の平に載せると、にっこり眺めた。
 キセルやパイプ、 金杯。 寛永通宝など穴のあいたのや、四角いお菓子のような一分銀など、古銭がザクザクあるような幻想もわく。

 なかに横文字の手紙や、西洋人の写真も入っていた。
 色白で透きとおった瞳  すこし傾けた細いからだに白っぽい服の異国の女性。 ただめずらしく眺めたが、 このころは何も知らなかったのである。
 後年、この美しい婦人がカミーユ・斎藤だと知った。 母方の遠縁にあたる画家、 斎藤豊作トヨサクがフランスの女流画家と結婚したことを聞いた。 パリから再び帰ることはなかった。 

 彼女「カミーユは1908年父親が死んだとき25歳。 日本を知ろうと決心しインドシナ人の女友達と船に乗る。しかし、1912年母が亡くなり、日本と日本人の生活に強く感銘を受けたが、2ヶ月で帰国。
 生涯不自由なく暮らせるほど多額な財産を相続、そのほとんどを売り払う。 渡仏した豊作とアカデミー・グランド・ショミエールで学んでいて知り合ったらしい」※

 与謝野鉄幹によれば
 「シャランソン嬢は(カミーユ・サランソン)殊に日本文学を愛して、日本語を巧みに語り、日本文をも立派に書く。源氏物語を湖月抄と首引クビッピキで讀んで其質問で予の友人を困らせた程の熱心家だ。  嬢は日本の文人と交ることを望んで居る。 日本の文人が嬢をして失望せしめないならば彼女は永久桜咲く國に留りたいと云ふ希望をさへ有モって居るのである。
   「巴里より」 (1912年12月10日) 与謝野鉄幹・晶子 

 祖父と豊作の交流に関心を持った。 伯父の代になり建て替えられ、この写真も豊作の手紙も土になったのだろう。 もったいないことをした。
 祖父しか知らないことを、もっと聞いておけば良かった。 返すがえすも残念だ。 祖父は豊作の実家 「味噌屋」と呼ばれる家に入り浸りだった。ことあるごとに駆けつけた、頼りにされていた と母から聞いた。  それらも断片的である。 

 消えた夢のかけらが  美術館に漂っている…
 点描主義を日本に伝えた斎藤豊作。 タッチの荒いつよい色彩の絵はあまり好まないが 今回展示された「にわか雨」に 日本と西洋が混じり合う。 思いがけず しっとりした作品だ。  
  新春の企画を楽しみにしよう。 

※資料より抜粋
  斎藤豊作とその家族を巡る人々について -20世紀の日本人画家のフランス滞在に関する未発表の調査- 
 ディミトリ・サルモン著 翻訳:長谷川てい 学術協力:大野芳材 埼玉県立近代美術館叢書1」
 常設展詳細は 埼玉県立近代美術館 へ  写真: 残れる光 1912年
    
           -☆-

 追記 2007.7.12
  最近いとこ達が集まった。 上のふたりはこのことを覚えていた。祖父から聞いているし写真も見ていた。 そして
「遊びながら古銭をたくさん缶に入れて、庭に埋めたのよ。でもどこかわからなくなっちゃった」
「おじいちゃんの引き出し 私も覗いた… なんか面白かったもの」など それぞれ、自分だけの秘密を持っていた。 わが同士!  なんとうれしいこと

 弟も、祖父が写真をみせ 「この人は親戚のひと、画家だよ、フランス人と結婚して、今はお城に住んでいる…」と話したという。
 「Y市の味噌屋さん(豊作の姪の婚家)へ お母さんと一緒に行ったなあ…」と 佇まいや、道筋など話す。背負われて行ったらしいが、確かなようだ。色まで付いていると自慢する。
 幼児の恐ろしい程の記憶。 彼は何処で仕入れるのか、小さい頃から何でもよく知っていてどれも鮮明だ、詳細に覚えているので、信用できると思った。 
 ボーッとした姉と、冴えた弟。 それは今も変わらない。
 

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