
柳はサラサラ 風に吹かれ メタセコイアも芽ぐむ春
沼は やわらかに微笑んだ
オキザリスが咲いて きょうは黄色い帽子の ちいさな妖精がいます
なにか みつけたの
鬱金桜は 咲き始めたばかり 満開の鬱金 2008年 2007年
ベニカナメモチの新芽が ツヤツヤして うれしそうです
チャッカリ屋の ホトトギスが唄うのも間もなくですね
-☆-
ある日 小鳥をきいたとき
私の胸は ときめいた
耳をひたした沈黙シジマのなかに
なんと優しい笑ひ声だ!
にほいのままの 花のいろ
飛び行く雲の ながれかた
指さし 目で追ひ――心なく
草のあひだに 憩ヤスんでゐた
思ひきりうつとりとして 羽虫の
うなりに耳傾けた 小さい弓を描いて
その歌もやつぱりあの空に消えて行く
消えて行く 雲 消えて行く おそれ
若さの扉はひらいてゐた 青い青い
空のいろ 日にかがやいた!
立原道造 鳥啼くときに
式子内親王《ほととぎすそのかみやまの》によるNachdichtung
ほととぎす そのかみ山の 旅枕 ほのかたらひし 空ぞわすれぬ
式子内親王(新古今)
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今年も 鬱金桜をみせていただけました。
”鳥啼くときに”が触発された式子内親王の歌、ほのかな甘さと哀愁が漂い忘れがたい歌です。
底に流れる本歌を昇華させた二重構成は「やつぱりあの空に消えて行く」ようです。
ただ「うっとり」として青い空を眺めるばかりです。
賀茂の齋院としての暮しのころを思っての式子内親王の歌によく似た情感が詠まれていたのを思い出します。
さかづきに春の涙をそそきけるむかしににたる旅のまとゐに
旅に出たくなりました。
まだ、新しい名前に馴染まなくて、気を許していると勝手に手が動いてしまいます。
忘れることのできない思い出、内親王の映像は、「ほのかな甘さと哀愁が漂い忘れがたい歌」読む者の胸に迫ります。
道造は 俳句や和歌をもとにソネットにしました。新古今の名歌を現代語訳で、四行、分かち書きすることをさかんにやっていたのですね。
「飛び行く雲の ながれかた」 ながれかた に魅かれました