晴れ。吹く風が少しやわらかい。
ジョン・W・ダワー「昭和」読了。
著者の書いた「吉田茂とその時代」は未読だけれど
「複雑な人間」を「複雑なままに」描き評価する姿勢は好ましい。
おそらく大方の読者にとっては「あいまいさ」よりむしろ
もっと単純な「物語」の方がが好ましいのだろう。
ただしよくよく自分のことを観察してみればわかるように
ひとりの人間の中にはいろんなものが存在している。
「純粋無垢」なところもあれば
自分のことだけを考える「腹黒い」ところもある。
それらの「資質」がそれぞれどのような場面で発揮されるのかは不明で
あまり近くにいない「他人」はその一面だけを見やすい。
もっとも仮に近くにいたとしても
そもそも「他人」はわかりにくいもの。
個人的には独身を続けているので「実感」はないとはいえ
「結婚生活」を続けている人にしてみればうなずけるところが少なくないのではないか。
「家族という『他人』」という視点も当然あり
突き詰めてしまえば結局は「ひとり」。
そのことを身にしみて知ると
たまに「共感」できることの「うれしさ」は増すはずで。
「不幸」があるから「幸福」もあるのが「普通」。
いたずらに「不幸」を恐れていると「幸福」も味わえないのだろう。
その「振幅」の度合いはあれこれあっても
人は常に揺れ続ける。
ジョン・W・ダワー「昭和」読了。
著者の書いた「吉田茂とその時代」は未読だけれど
「複雑な人間」を「複雑なままに」描き評価する姿勢は好ましい。
おそらく大方の読者にとっては「あいまいさ」よりむしろ
もっと単純な「物語」の方がが好ましいのだろう。
ただしよくよく自分のことを観察してみればわかるように
ひとりの人間の中にはいろんなものが存在している。
「純粋無垢」なところもあれば
自分のことだけを考える「腹黒い」ところもある。
それらの「資質」がそれぞれどのような場面で発揮されるのかは不明で
あまり近くにいない「他人」はその一面だけを見やすい。
もっとも仮に近くにいたとしても
そもそも「他人」はわかりにくいもの。
個人的には独身を続けているので「実感」はないとはいえ
「結婚生活」を続けている人にしてみればうなずけるところが少なくないのではないか。
「家族という『他人』」という視点も当然あり
突き詰めてしまえば結局は「ひとり」。
そのことを身にしみて知ると
たまに「共感」できることの「うれしさ」は増すはずで。
「不幸」があるから「幸福」もあるのが「普通」。
いたずらに「不幸」を恐れていると「幸福」も味わえないのだろう。
その「振幅」の度合いはあれこれあっても
人は常に揺れ続ける。
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