退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「まだ『狂う』自分と身体が要求すること『ミャンマーの現実とわが国の関わり』あるいは『昔からある同性愛』と早口が魅力な昔の映画」について

2021-04-11 02:31:46 | Weblog
晴れ。まずまずおだやか。

一昨日はちょいと「狂った」模様。

何がそうさせたのかは不明だけれど。
藤井風のせいにしておこう。

もちろん昨日は何度でも繰り返す寝落ちで。
それほど飲んでいなかったはずだが身体が要求することなので仕方なく。

マル激を観る。

今回は「ミャンマーの現実」に関わるわが国の姿について。

「民主化を確認すること」を条件にわれわれの税金が「無償の貸与」に使われたにも関わらず。
それが実は「合法的」に軍関係者の懐に入ることになり。

その金で武器を買い入れられればますます「不服従」をする市民は「困難な状況」に。
ミャンマ―の軍部が「偉そう」でいられるのは「歪んだ憲法」のせいだったり。

その一方で「故郷を逃れた人々」がオンライン上で「政府」を名乗る現状もあり。
「合弁」したわが国の企業の対応が問われることに。

かの国の軍部は決して「一枚岩」ではないものの。
兵士たちは家族を「人質」にされたり酒や麻薬で「踊らされたり」もしていて。

何より歴史を振り返ればずっと「国内の反政府勢力との戦い」を繰り返してきている次第。
それゆえに「国民に銃を向けること」が「普通」である事情にふむふむ。

プルースト「失われた時を求めて 8 ソドムとゴモラⅠ」を読了。

冒頭から秘密裏の「同性愛」が描かれる内容。
著者自身もそうであったようだけれど。

貴族関係やフランソワーズについてもあれこれ。
「ドレフュス事件」は無罪の方向に進み。

アルベルチーヌに対する嫉妬と「レズビアン疑惑」なども。
彼女は今で言えば「どちらもOKなタイプ」だと思ってよさそう。

どういう「セクシャリティー」を持っていようと「自由に暮らせること」が肝要。
昔から「同じ問題があったこと」を知っておこう。

ハワード・ホークス「ヒズ・ガール・フライデー」(’40)を久方ぶりに再見。

ケーリー・グラントとロザリンド・ラッセルの「早口ぶり」を確認したくなって。
それと同時に「新聞記者たちのインチキぶり」も。

圧倒的な「軽快さ」が心地いい。
もっともそのために「田舎者」のラルフ・ベラミーが翻弄されるものの。

市長が選挙で当選するために「病気」のウィリアムスを死刑にしようとする。
彼に殺されたのが「黒人」ゆえ彼ら彼女からの票を得たいがために。

優秀な記者である妻と一度は別れた夫がどうにかして元妻を「復帰」させようとするお話。
ルイのアブナー・ビーバーマンを使って「手練手管」を弄する主人公よ。

それにしても映像が不十分な状態の「商品」をそのまま見せるプライム・ビデオは微妙。
事情は不明だがもう少し何とかならないものか。
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