退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『しあわせのかたち』はさまざまであること」について

2018-06-05 02:14:16 | Weblog
晴れ。風なくおだやか。

奥平紗実「『子なし』のリアル」を読む。

「未婚」だけでなく「既婚で子なし」も肩身が狭い模様。
これも女子が「子どもを産むことが可能な存在」だからか。

「子なし」には「望み叶わず」「ふと気がつくと」「そもそも(いらない)」の
3つのタイプがあるとのこと。

「子どもがいるのが当然」だというのは「鈍感な人々」だろう。
その一方でそんなに「引け目」を感じなくてもというのが正直な感想。

「無前提で無理解な当然」に従う必要などないはず。
要は限られた時代の「ルール」に過ぎず。

いちいちそんなものに縛られていたら「身がもたない」。
もっと楽しく暮らしたらいいだけ。

そもそも「既成の『しあわせ』」に囚われすぎているような。
そしていささか「神経過敏」のような。

「心ない人々」は時代を問わずいるものだし
「しあわせのかたち」が「ひとつではない」のを忘れずにと言いたいところ。

ここで忘れられているのは「養子制度」かも。
どうしても子どもが欲しければ「血縁」でなくてもいいじゃないの。

「自分が産んだ子どもでなければ『わが子』じゃない」というのも「差別」でしょう。
そうした「視点」が本書には欠けているのが残念。

とにかく「世界」はもっと広いのは事実。
「いたずらな『不幸感覚』」より「確かな意志」を。

女子は常にたくましいのが「本領」。
「本来持っている力」を堂々と発揮していただきたいもの。

ちなみにこちらは「未婚」で「子なし」で「甲斐性」も「稼ぎ」もない「長男」のオヤジ。
さらには「身体に悪い嗜癖の持ち主」にも関わらず案外楽しく暮らせてますが。

さて。

そろそろ寝るか。
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