退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「自分の状態によって変わる『感想』と文句なしに幸せなダンスぶりあるいは『根拠』のない判断」について

2020-05-10 02:05:15 | Weblog
くもりときどき雨。「ひきこもり」に慣れて。

「ウエストワールド シーズン2」を観終わる。

夜中に酒が入った状態で観るのとは違う感想を抱く。
シーズン1と似たような感慨を覚えた次第。

要は観ているわれわれもその「状態」に左右されること。
その組み合わせを考えると「感想」など「デタラメ」かも。

それでもその中に「真実」があるとすれば。
「自分が全く知らなかった視点もしくは描写」を「教えられること」にあるような。

マーク・サンドリッチ「コンチネンタル」(’34)を観る。

物語はもちろんあるけれども「どうでもいい」。
アステア&ロジャースの優雅なダンスぶりを味わうだけで十分。

コール・ポーターの「夜も昼も」はここで初めて。
コンチネンタル」の曲も耳に残る。

俯瞰で大勢のダンサーたちを描く演出の見事なこと。
このシーンを観るだけでも価値があるというもの。

当時始まった検閲「ヘイズ・コード」をからかう場面もあり。
やがて「ピンナップ・ガール」として有名になるベティ・グレイブルも出演。

「紙切り」の技がなかなか。
冒頭の二本指を足に見立てるダンサーたちも。

マル激を観る。

今回は免疫学の第一人者である宮坂昌之をゲストに迎え。
「免疫の仕組み」をあらためて確認する。

新型コロナが「自然免疫」をすり抜ける「ステルス型」であるのにふむふむ。
われわれに備わった「免疫システム」を「攪乱」させるのも同様に。

神保哲生はやたらに「免疫という仕組みの『神秘』」に驚いていたが。
想像もつかない「時間の流れ」が「生物を大きく変えること」にいささか鈍感か。

「自らの『寿命』」の範囲でしか物事を測れないのを「他山の石」としよう。
もっとも「寿命」以前に「現在」でしか測れない人々も増えていて。

あらためて「陽性患者の数のみ」が報じられて
本来「分母」になるはずの「検査数」が報じられない愚も。

「割合」がわからなければ「実態」がわからないという「当然」が見失われ。
そこに「何がしかの意図」があるのを疑われても仕方がない一方。

個人的には「組織の在り様が近代以前」だという説に納得する。
要は「統治能力のなさ」が明らかになるだけ。

「圧倒的な劣化」をそろそろお互いに認知しないとどうにも。
こんな状態で「business as usual=従来通り」を求めたところで意味がなく。

そもそも「従来通り」は無条件に好ましかったのかどうか。
こういう「機会」でもないと考えられないことであることを忘れずに。
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