退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好ましい形」について

2011-03-23 03:49:10 | Weblog
晴れのちくもり。風が一時強く。

昨日は疲れて眠ってしまった。
特に何かしたわけでもなく。

クリストファー・ラッシュ「エリートの反逆」を読み始める。

何もかも思い通りになるという「発想」の貧しさを知ろう。
いたずらに「イデオロギー」を主張するだけの愚も同様に。

ただ難しいのは子どもが幼い頃には両親がいるのがいいと思いつつ
そうでなくってもいいはずという「あいまいさ」。

とりあえずそれぞれの「経験」があるなら
形にこだわらず「感想」を述べればいいはず。

いない方がいい親がいることもあれば
必要な親がいないこともあるという「シンプル」。

そこにもし「他人を汲み取る気持ち」があるなら
ある程度の「参考」にはなるだろう。

さて。

かつての「家庭」はなんとかその役割を果たしていたような「イメージ」だけが濃厚にあるものの
「一寸先は闇」という現状を理解しつつ「未来」を求めるならもう少し「寛容」がないと。

子どもを「まともに」育てるためには
家庭というのはあまりに限定された「ジャングル」。

むしろ「他人」と触れ合うことがいい。
そこで学ぶことは少なくないから。

「同じこと」と「違うこと」の振幅を生きること。
そのあたりが「適当」だと思うのだが如何。

人は「パンのみ」にも生きないし
「ひとりぼっち」でも生きないのが「定石」。

「さまざまなルート」があることが
「健全」であり「豊か」であると思いたいもの。
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