くもり。傘を持って出て仕事場に置いてくる。
清水幾太郎「流言蜚語」読了。
関東大震災の経験者としての「描写」が沁みる。
同じ道を歩く避難者の声に誘われ思わず「ウォーッ」と叫ぶあたりが何とも言い難く。
死んだと思われた妹と弟の安否を確かめるため
そこらじゅうにある死体を確認したという「事実」もあり。
上空で紙のように見えたトタン板が降ってきて
逃げ惑うよりない姿も心に刻まれるよう。
その著者は後年「東京の脆弱さ」を訴えるのだけれど
政治家はいっさい耳を貸そうとしないのが印象的。
「震災のリアル」を知っているからこそできる「呼びかけ」を
誰も「本気」で受け取らないという「悲劇」よ。
「同じこと」がまた繰り返されるのだとすると
「人は経験から学ぶことができるのだろうか」と真剣に思わざるをえない。
今回は「天罰」という言葉だったりしたけれど
当時は「天譴(てんけん)」という言葉が飛び交った模様。
あらためて「自然の猛威」に何事かを意味づけてしまうわれわれの「愚かさ」は
ある程度の「賢さ」を持っていると思われる作家たちの反応ぶりからも「避けられないもの」だと確信する。
具体的に必要な「処置」というものがあるとして
人はついつい「自分の思い」という「狭い世界」に囚われ「完結」しやすいものらしい。
そのあたりを重々承知した上で
できればあれこれの言動をしたいものではある。
がしかし。
どうやらそれが「無理筋」だと自覚すると
何やら暗澹とした気持ちになるのはまだまだ「子ども」なのかも。
苦笑いしながら明日を迎えることにする。
清水幾太郎「流言蜚語」読了。
関東大震災の経験者としての「描写」が沁みる。
同じ道を歩く避難者の声に誘われ思わず「ウォーッ」と叫ぶあたりが何とも言い難く。
死んだと思われた妹と弟の安否を確かめるため
そこらじゅうにある死体を確認したという「事実」もあり。
上空で紙のように見えたトタン板が降ってきて
逃げ惑うよりない姿も心に刻まれるよう。
その著者は後年「東京の脆弱さ」を訴えるのだけれど
政治家はいっさい耳を貸そうとしないのが印象的。
「震災のリアル」を知っているからこそできる「呼びかけ」を
誰も「本気」で受け取らないという「悲劇」よ。
「同じこと」がまた繰り返されるのだとすると
「人は経験から学ぶことができるのだろうか」と真剣に思わざるをえない。
今回は「天罰」という言葉だったりしたけれど
当時は「天譴(てんけん)」という言葉が飛び交った模様。
あらためて「自然の猛威」に何事かを意味づけてしまうわれわれの「愚かさ」は
ある程度の「賢さ」を持っていると思われる作家たちの反応ぶりからも「避けられないもの」だと確信する。
具体的に必要な「処置」というものがあるとして
人はついつい「自分の思い」という「狭い世界」に囚われ「完結」しやすいものらしい。
そのあたりを重々承知した上で
できればあれこれの言動をしたいものではある。
がしかし。
どうやらそれが「無理筋」だと自覚すると
何やら暗澹とした気持ちになるのはまだまだ「子ども」なのかも。
苦笑いしながら明日を迎えることにする。
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