退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「久方ぶりに鎌を使うこととどうしても気になる俳優の過去と現在あるいは『ウイルスとのお付き合い』について

2020-04-26 01:58:21 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

上の妹夫婦とともに下の妹夫婦の家に車で行く。

畑とは言い難い庭に自生する蕗を刈る。
大昔に母親の田舎で稲刈りをした記憶がよみがえる。

久方ぶりに使った鎌の切れ味に納得。
稲と比べればいかにもラクで。

やたらにはしゃぐ雄犬「ジェニファー」が纏わりつき。
今回はどうにか「フレンチキス」を免れる。

ポール・バーホーベン「トータル・リコール」(’90)を再見。

そうかもう30年前になるのかと思うことしきり。
シャロン・ストーンはまだ32。

シュワちゃんは43。
それぞれに「盛りの時期」だったろう。

本物に似せて作った頭部による表現が今となっては懐かしい。
マイケル・アインアンサイドの魅力が何とも。

「過去の自分」がどうであろうと「現在の自分」が大事。
われわれが「自分」をどう規定するのかについてというのがポイント。

エリ・サジック「グラビティ 繰り返される宇宙」(’19)を観る。

ただただマイケル・アイアンサイドの健在ぶりを観たかっただけ。
とはいえ意外に面白い。

「ループの罠」にハマった人々がそこからどう脱け出すのか。
緊張感を保つ描写にふむふむ。

漱石に倣えば「二個のものがsame spaceをoccupyする訳には行かぬ」という次第。
そこで「異なる行動」を採ることが「未来」を変えることに。

マル激を観る。

今回はコロナウイルスに対する認識について。
長崎大学の山本太郎という名前を覚えておこう。

実は中世のペストの流行が「教会の権威」を失わせ「ルネサンス」を導いたのだと。
宗教が「災厄」に対して何の処置も出来なかったことが原因。

生物学的に考えればミトコンドリアもゴルジ体も「ウイルス」で。
その種のものとの「共存」こそがわれわれを「進化」させた模様。

「コロンブスのアメリカ大陸発見」も「ウイルスに対する耐性」がなした業。
「耐性」をもたないインカやアステカはスペイン人が持ち込んだ病気に勝てず。

バタバタと死んでいく人々に「神の啓示」を思うよりないままに。
要は「さまざまなウイルスに対する耐性」を持つ者の方が「強い」と。

その一方。

わが国は「絶対的な安心」を求める者たちが多く。
「現実」と「情報」の中で「自らの合理的な判断を下せる者たち」が少なく。

「お上」が下した「判断」とは異なる行動をする者をいたずらに非難し。
「自粛」をきちんとしていない者には「非国民」のレッテルを貼るお粗末ぶり。

それどころか「感染者たち」を差別する動きも。
橋の下で二十年暮らしていたホームレスの老人を野球部の仲間が殺したりもして。

今回のウイルスが浮き彫りにする「現実」に向き合いたいもの。
「長期戦(少なくとも2年)」になることは明らかで。

「従来とは違う暮らし方」をしつつ
そこで「失われるもの」について考えるくらいの「余裕」がないとどうにも。

安倍がダメなのはいいとして次に「強力なリーダーシップ」を求める前に。
肝心なのはわれわれがもっと賢くなること。

「宙ぶらりんを耐える体力」を身に付けないと。
もはや問答無用に「正しいこと」などどこにもないのだから。
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