退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『他者』に向き合うことの難しさと飛行船が出て来る残念な続編映画」について

2024-05-13 02:46:57 | Weblog
くもり。夕方から降り始め深夜にも。

角谷詩織「ギフティッドの子どもたち」を読む。

「ギフティッド」というのが結局何を意味するのかがわかりにくく。
どうやらあらゆるものに「過剰に反応する存在」だと理解するのが精一杯。

「発達障害」でもなく「サヴァン症候群」でもなく。
その種の子どもたちがいることを確認する。

いわゆる「普通」という基準が当てはまらないようで。
彼ら彼女らへの「手当て」が必要だとのこと。

手探りながらそれがうまくいくケースもあることの「基本」には。
「他者への理解」ということがあらためて。

実は「ギフティッド」であってもなくても「同じこと」だったり。
われわれが「自分にわかりやすいかたち」でしか相手を理解しないのを忘れずに。

そして「他者」を認めず「自分の思い通り」にしがちなことも。
もって「他山の石」としたいもの。

スティーヴン・ソマーズ「ハムナプトラ2 黄金のピラミッド」(’01)を観る。

「ザ・ロック」時代のドウェイン・ジョンソンが若く。
ただしお話の展開は微妙。

主人公ふたりの子どもアレックスが「狂言回し」なのだけれど。
残念ながらあまり魅力的でなく。

ブレンダン・フレイザーとレイチェル・ワイズはいたずらにキスを交し。
ジョナサン、ジョン・ハナーの「コメディ・リリーフぶり」も活きず。

ロック・ナー、アドウェール・アキノエ・アグバエは悪くないのだが。
彼の「処理」も何だか。

冒頭からこりゃダメだとわかる次第。
敢えて言うなら「群衆シーン」にふむふむといった趣き。

飛行船の登場は「ヒンデンブルグ」を思い出させて。
ちょいと「ファンタジー風味」を付け加えたかった模様。
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