退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好ましい俳優が綴る『歴史』と『感情を伴わないアクション』のみの映画のつまならさ」について

2021-03-22 03:13:09 | Weblog
雨のちくもり。このところ風が強い。

ジョージ・タケイ「<敵>と呼ばれても」を読む。

著者の名前でピンと来ないのだとすれば「スタートレック」を観ていないからだろう。
日系アメリカ人の「歴史」を描いた「アメコミ」。

「パールハーバー」の後に彼ら彼女らが味わった「苦痛」たるや。
かの国が「沸騰しやすい」のは昔から。

問答無用に収容所に入れられるのだからいやはや。
「アメリカ人であることの証明」のために召集された部隊は「激戦地」で戦うことに。

「見た目で判断される酷さ」があった「歴史」を忘れずに。
「〇〇人」というステレオタイプによる判断がもたらした悲劇よ。

それでも後に大統領が「謝罪」をするだけマシだけれど。
9・11の後には「似たようなこと」が繰り返され。

つくづくわれわれは「愚か」だと思わされる次第。
それでも著者の父は「民主主義のよさ」を説いていたことを思おう。

そういう「民度」があったからこそ「民主主義」は機能する。
舌を噛んで死にたくなるような「現在の貧しさ」をあらためて。

チャド・スタエルスキ「ジョン・ウィック パラベラム」(’19)を観る。

主演のキアヌ・リーヴス、ハル・ベリー、ローレンス・フィッシュバーン、
イアン・マクシェーン、ランス・レディック、アンジェリカ・ヒューストンの「豪華」。

ただし「単調なアクションと銃撃戦」しか描かれないのでは感情移入も何もなく。
唯一の「収穫」は「渡辺謙」を思わせるマーク・ダカスコスのみ。

タイトルの「パラベラム」はラテン語で「戦争の準備」を意味する模様。
それにしても「感情の動き」にあまりに鈍感な描写に驚くのみ。

「既定のルール」を破るとしたらそこに「意味」があるはず。
そのあたりを「前作を観ているはずだからわかるでしょう」ではダメで。

監督は「アクション」にしか興味がなかったのか。
そこに「物語の魅力」を加えるつもりがなかったように思えるのが残念。

いろんな「戦い」のシチュエーションが出てくるのは結構。
とはいえ「敵が主人公を簡単に殺せるはず」なのにそうならないのには「理由」が要る。

例えば小林旭の映画だったら彼が「魅力的なスター」だったから。
これまた残念ながら現在のキアヌ・リーヴスにそれほどの「価値」はなく。

「スピード」(’94)や「マトリックス」(’99)の頃ならまだしも。
本作のシリーズはアクションや銃撃戦の速さと「敵が死ぬまで撃ちまくる徹底ぶり」が取り柄で。

さらにはいたずらに「傷を負う主人公の姿」が。
この種の「男優たちの思い込み」はいい加減にしないとどうにも。

「自意識の壁」を意識することのないままそれが伝わるわけもなく。
「目を覚ませ」と言いたくなるだけ。
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