退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「映画に関するマニアックな本と勘違いが呼び覚ました個人的な記憶あるいは続編の方が面白い珍しいパターン」について

2020-02-05 02:21:15 | Weblog
快晴。寒さも緩む。

木全公彦「異能の日本映画史 日本映画を読み直す」を読む。

著者を「シネマスコーレ」の木全純治と勘違いしていた次第。
確か若松孝二監督は原一男「ゆきゆきて、神軍」(’87)の上映の二次会で見たはず。

「みんな遊んでるな」と言ったのを覚えている。
河合塾の名物講師牧野剛もいたか(いずれもすでに故人)。

プロデューサーの小林佐智子に「どうしたらこういう作品が作れるのか」と聞いたり。
「普通にしてるだけです」といった答えが返ってきたような。

昔の話なので記憶に捏造があるやもしれず。
京都出身の友人に誘われて参加したと思うのだが。

いやはやついつい個人的な過去の話に。

佐分利信の監督としての評価や星野和平という「やり手のプロデューサー」など。
いかにも「温和な作品」を撮っていた清水宏が「暴君」だったことも。

それにしても著者の「マニアックぶり」よ。
「こんな本を誰が読むのだろう」と思いつつ自分が読んでいる。

ガイ・リッチー「シャーロック・ホームズ」(’09)を観る。

「シャーロック・ホームズ シャドウ・ゲーム」(’11)の方を先に観たのだが。
続編の方が洗練されていることを確認する。

主人公ふたりの関係の在り様は「腐れ縁」とでも言ったらいいのか。
ワトソンの結婚を邪魔するホームズの姿にふむふむ。

「人生の墓場」より「男同士の付き合い」を優先させようといった具合。
それを拒否する姿勢を見せつつホームズに付き合うワトソンの姿よ。

ブラックウッド卿の「魔術」が実は「科学あるいは化学」。
「英国風味」が感じられるのはエンドロールで流れる曲。

モリアーティ教授の姿が明確に描かれない工夫も。
「続編の方が面白い」という珍しいパターンがここに。
コメント
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