退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『遊び』が好きだった人あるいは面白くないのに続編が作られてしまう映画」について

2020-02-02 02:22:04 | Weblog
『晴れ。今日も夜風が冷たい。

橋本治「父権制の崩壊あるいは指導者はもう来ない」を再読。

著者が亡くなってもう一年になるのかという思いと同時に
「遊び」が好きな人だったのだなあと思うことしきり。

最期まで「自分以外の人々のこと」を考えてくれていたのだから。
感謝するよりない。

「時代という物語」をまとめて解説してくれているんだもの。
その有難みを今さら感じる次第。

この「レベル」を知ったらいい加減なことは出来ないはず。
敢えて今だからこそそう言いたくなる。

ジェームズ・ワン「インシディアス」(’10)「インシディアス 第二章」(’13)を観る。

「ソウ」(’04)の監督作品を続けて。
正直前者を観てダメだと思いつつ「毒を喰らわば皿まで」といった感じで後者も。

「幽体離脱」が「暗闇の捜索」になるだけではどうにも。
「オバケたち」にもたいして魅力がなく。

父親ジョシュの展開は「お話」を終わらせないためだけのような。
音楽がいかにも扇情的なのも気になる次第。

ヒッチコック「サイコ」(’60)のバーナード・ハーマンを「増幅」。
「内容を伴わない音」は残念なだけ。

シークエンスとして面白いものが何もない。
同じ監督の「死霊館」(’13)はそこそこ評価されているようだけれど未見。

霊媒エリーズのリン・シェイの存在に辛うじて「説得力」があるのみ。
ただし飲みながら観るには悪くない作品か。』

ここまで書いていつのまにか寝ていた。
たぶん疲れたのだろう。

ちなみに「インシディアス=insidious」は「陰険な・潜行性の」という意味か。
「inside+形容詞の語尾ous」だと思えば何となくイメージできる。
コメント
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