退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「残念な事ふたつ」について

2016-01-20 02:02:53 | Weblog
晴れ。今シーズン一番の寒さ。

「考える人」編集部編「伊丹十三の映画」を読む。

「お葬式」(’84)「タンポポ」(’85)「マルサの女」(’87)
「マルサの女2」(’88)「ミンボーの女」(’92)「スーパーの女」(’96)。

観たことのある作品はそれだけ。
あらためて「~の女」というタイトルが多いことに気付く。

伊丹十三を知ったのはおそらくエッセイが最初のはず。
「ヨーロッパ退屈日記」「女たちよ!」「問いつめられたパパとママの本」

「再び女たちよ!」「小説より奇なり」「日本世間噺大系」など。
そう言えば橋本治の初期の随筆集成はこのタイトルを真似ていたはず。

俳優としては「北京の55日」(’63)「日本春歌考」(’67)
「草迷宮」(’83)「家族ゲーム」(’83)。

実に多才な人ではあったけれど
自らを「からっぽ」だと思う一面もあったらしい。

映画を作る以上はヒット作にしないといけないという考えに縛られすぎたかも。
彼はそれをきちんと実行できる力を持ってはいたものの。

津川雅彦の「復活」、小林桂樹の「軽味」を引き出し
数々の俳優たちを世に送り出した功績は素敵。

もう少し生きてまた違ったタイプの作品を作ってもらいたかった。
おそらくはそこに「本領」が表れたはずなので。

仕事場で。

若い女子の同僚が「今日は閉めるんですか」と聞くので
「今日は寒いし手伝ってくれなくていいよ」と答える。

問題はその後。

「君にやってもらうのはいささか気が引ける」といったようなことを言ったのだけれど
これが大失敗。

彼女は「小さい人」なので重い物を持たせるのはどうかと思っていたところ
「わたしは『小さいこと』にアイデンティティーがあるんです」と言われ。

「なるほどそういう考えもあるのか」と答えはしたものの
やらかした感が濃厚で。

「余計なお世話」が彼女のプライドを刺激した模様。
やはり自分はどこか「圧倒的に鈍い」ことを再確認する。

この一点だけは昔から変わらず。
やれやれと思いつつ付き合っていくしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする