娘が 「スブタ」 と言ったから 今日は酢豚記念日
というわけでもないですが、昨晩はまたもや酢豚をつくりました。
昨日の朝、「晩ごはんは何がいい?」と娘に尋ねたところ、
「スブタ!」
と勢いよく返ってきたので気合を入れて作りました。
とは言え、作り方はいつもと同じなんで、豚をいつもより増量し、
こないだ日記に書いた豚のから揚げにしたのです。
おかげさまで娘には大変好評で、
「もうお店で他の酢豚食べなくてもええわ♪」
とまで♪
そういってもらえると作り手としては嬉しい限りで、
「そうかそうか♪」
と、上機嫌で一緒に食べました。
でもね、こうしてみると甘い父親でしょう?
まあ、それはそうなわけなんですが、昨日はちょいと特別な日。
20数年前のこの日は娘が生まれた日なわけでありましたから。
あの時は本当に大変だったな~。
もう二度と体験したくないわ…
と私は今でもそう思いますし、
さらに、もっとしんどさを味わった奥さんは更にそう思っているはずでしょう。
(詳しい内容は「あの日のこと」をご参照のこと。)
でもそれだけに、やはり娘の誕生日は感慨深い。
毎年毎年その日になると、
「あ、今ちょうど破水に驚き車を走らせていたころか。」
とか、
「今まだ、奥さんがうんうん言って苦しんでいる頃か。」
とか、
「ああ、この時間帯は本当に眠かったけど、絶対寝たらあかん時間帯やったな。」
(だって、今ここで寝たらその後絶対一生言われる…)とか思ったな、とか…
で、お昼過ぎになった頃、
やっと生まれたか…
そんな感じで、あの時のことを時間の経過とともに追体験したりするのです。
だから、娘がいくつになっても、
私がぼけない限りは、毎年同じような感じでこの日を迎えるんでしょうね。
そういう意味で、この日は単に数字の並びだけではなく、
何度も繰り返し思い出すことによって体験し直す特別な日。
言うならば、自分自身の誕生日よりも結構特別な感じがします。
だって、自分の生まれたときのことは全く記憶にないから。
(=^^=)ゞ
でも考えれば、
そういうのこそが本当の意味での記念日なのかなとか思ったりします。
あ、そういやもうすぐ結婚記念日だ!
今年でちょうど30周年目。
奥さんへのプレゼントには…
やっぱ好物のかす汁を作るか?
というわけでもないですが、昨晩はまたもや酢豚をつくりました。
昨日の朝、「晩ごはんは何がいい?」と娘に尋ねたところ、
「スブタ!」
と勢いよく返ってきたので気合を入れて作りました。
とは言え、作り方はいつもと同じなんで、豚をいつもより増量し、
こないだ日記に書いた豚のから揚げにしたのです。
おかげさまで娘には大変好評で、
「もうお店で他の酢豚食べなくてもええわ♪」
とまで♪
そういってもらえると作り手としては嬉しい限りで、
「そうかそうか♪」
と、上機嫌で一緒に食べました。
でもね、こうしてみると甘い父親でしょう?
まあ、それはそうなわけなんですが、昨日はちょいと特別な日。
20数年前のこの日は娘が生まれた日なわけでありましたから。
あの時は本当に大変だったな~。
もう二度と体験したくないわ…
と私は今でもそう思いますし、
さらに、もっとしんどさを味わった奥さんは更にそう思っているはずでしょう。
(詳しい内容は「あの日のこと」をご参照のこと。)
でもそれだけに、やはり娘の誕生日は感慨深い。
毎年毎年その日になると、
「あ、今ちょうど破水に驚き車を走らせていたころか。」
とか、
「今まだ、奥さんがうんうん言って苦しんでいる頃か。」
とか、
「ああ、この時間帯は本当に眠かったけど、絶対寝たらあかん時間帯やったな。」
(だって、今ここで寝たらその後絶対一生言われる…)とか思ったな、とか…
で、お昼過ぎになった頃、
やっと生まれたか…
そんな感じで、あの時のことを時間の経過とともに追体験したりするのです。
だから、娘がいくつになっても、
私がぼけない限りは、毎年同じような感じでこの日を迎えるんでしょうね。
そういう意味で、この日は単に数字の並びだけではなく、
何度も繰り返し思い出すことによって体験し直す特別な日。
言うならば、自分自身の誕生日よりも結構特別な感じがします。
だって、自分の生まれたときのことは全く記憶にないから。
(=^^=)ゞ
でも考えれば、
そういうのこそが本当の意味での記念日なのかなとか思ったりします。
あ、そういやもうすぐ結婚記念日だ!
今年でちょうど30周年目。
奥さんへのプレゼントには…
やっぱ好物のかす汁を作るか?