こんにちは。
昨日の以蔵の検査ですが、
結果からいうと、肉離れによるものではないかということでまずは一安心でした。
とはいえ、肉離れといえども、全治2週間以上はかかる、
ひどいけがであることは間違いのですが、
私はその診断結果を聞いたとき、安心の余り泣いてしまいました。
「パパは大げさやねんから…」
というのも、以蔵は血小板減少症という体質(病気)のため、
一度出血するとなかなか血が止まりません。
それゆえ、体にメスを入れる手術などは、
普通の子ならば、なんてことないものも、以蔵には命にかかわるものとなるからなのです。
実際過去に二度手術を受けましたが、
その都度、知人などの愛犬たちから毎日輸血をしてもらい、
大げさではなく、文字通り死の淵から帰ってきた子なのです。
実はうちに来る前、以前の飼い主さんのお宅でも一度輸血を受けているそうなので、
結局今まで三度輸血を経験していることになるので、
次回は、血液の相性以前に、輸血そのものに対する拒絶反応が出る可能性が高いのです。
それゆえ、主治医の先生からも、
「万が一次回手術というようなことがあれば、
その時は本当に覚悟を決めねばならないでしょう。」
と、そういわれていたのです。
そういうわけで、昨日はまずレントゲンを再度細かく撮ることになり、
その結果、骨に異常はないものの、肩の内部に白いものがあり、
それが腫瘍なのか出血なのか判断できないとのこと。
最悪なのは、以前と同様の血腫が今度はそこにできていた場合。
(血腫は再発することがよくあるとのこと。)
またあの手術をせねばならないのか?!
いずれにせよそれらが神経を圧迫し痛みを与えている可能性が高いとのことでした。
そこでより詳しくみるために、CTとMRL検査を受けることに。
その結果、患部に造影剤の影響がほとんどないことから、
血腫や出血の可能性は低く、恐らくは胸筋の肉離れであろうとのことでした。
ですので、今後は炎症を抑え安静に過ごさせねばなりませんが、
体にメスを入れる必要はなくなり、
私は途端に安心しきってしまったのです。
しかしこの結果が出るまでの2時間足らず、
私は本当にいろいろ考えました。
恐らくかなりの確率であれは腫瘍の再発であろう。
そうなれば手術を受けさせるのか?
でもそれは、高確率であの子と別れねばならないという選択。
かといって、そのままでは腫瘍はどんどん大きくなり、
一層神経を圧迫する。
その時の痛み、血液の流れ、破裂の恐れはどうなのか?
それに四度目の輸血は実際どうなんだ?
もしかしたら輸血を万全にして臨めば、対応できるのではないか?
このようなことを延々と頭の中で繰り返し繰り返し考え、
自分として後悔の無いのはどちらなのか?
つまり、あの子がより多く幸せな時間を得ることができるのはどちらなのか?
自分でもうっすら正解などないことがわかりながら、
それでも自問し続けておりました。
実は以蔵は前述のように二度命の危機に瀕しているので、
その後も何かあると覚悟を決めねばならないことは、
常々承知はしていたのです。
ですので、今回のようなことも以前から考えてはおり、
その時は、「もう手術は受けさせない。」とそう考えていたのです。
だから何かあったらその時がこの子の寿命で、
その時が「天寿を全うした」のだと納得しようと思ってました。
いわば、「毎日毎日、過ごすその日々こそが天寿」
とそう思いながら以蔵と過ごしていたのです。
だから、いつ別れが来ても悔いのないように、
したいこと、させたいこと、あの子が喜ぶことはできるだけたくさんしてやろう、
そう思いながら、日々過ごし。
膝の上で丸くなって寝ている以蔵をそっとなでては、
平穏に暮らせるありがたみをかみしめていたのです。
でもいざ、その選択の時に立たされれば。
決めていたはずの決心は揺らぎ、残る希望に縋りつきたくなる自分がいます。
そういうわけで、帰りの車の中では安心し切ってはいたものの、
やはり、頭の中では先ほどの考えがぐるぐる回り、
一体その時どう決断すべきか、日々向き合わねばならないものだと痛感しました。
それとやはり、
いつどこで何が起こるかわからないんだから、
以蔵はもちろん、他の子達についても、(無論家族友人たちも)
「毎日が天寿かもしれない。」
それを念頭に入れつつ、
やるべきことなどは極力めんどくさがらず、
手を抜かず、甘えず。
そこらがとても大切だなと再認識しながら、
いつも以上の安全運転で家路につきました。
そういうわけで、前日同様に以蔵と一緒でしたが、
心持ちは全く違っておりました。
(*^人^*)
「ただいま!」
*おまけ*
とまあ、かような感じなので、
私を知る方々は、いかに私がうろたえ、
狼狽していたかは想像に難くないと存じます。
ですが、こういう時の奥さんはいたってクールで、
異常のあった当日も、
うろたえて役に立たない私に対して、テキパキと私に指示し、
病院から戻った後は、腑抜けになった私に代わり他の子たちを散歩に連れ出してくれ、
また、この検査の当日は、店番をしながら帰りを待っていてくれていました。
ですが奥さんもさすがに今回は厳しいと感じていたようで、
私からの検査結果の報告があまりにも遅いため、(検査に結局3時間以上かかりました)
「きっとあの人は、動かなくなった以蔵を泣きながら抱いて帰って来るんだろう。」
と、そう腹をくくっていたそうです。
ですがそうではなく、私と以蔵が戻ってきたわけで…
そういうことで夕飯の準備などまるでしていなかったから、
ありあわせの材料で鍋を準備し、
家族全員(無論ワン&ニャン&ハム含む)そろって、
よかった、よかったといいながら、鍋をつつき、〆のおじやに入るとき…
「あ!ご飯炊きすぎてた!」(奥さん)
「ん?どれ?あ!ほんま!なんでこんなにたくさん炊いたん?!」(わし)
「わかれへん。わかれへんけど、
なんか一杯炊かなあかんと思って…」(奥さん)
やはりクールに見えた奥さんも、
実はかなり動揺していたことは間違いないようです。
昨日の以蔵の検査ですが、
結果からいうと、肉離れによるものではないかということでまずは一安心でした。
とはいえ、肉離れといえども、全治2週間以上はかかる、
ひどいけがであることは間違いのですが、
私はその診断結果を聞いたとき、安心の余り泣いてしまいました。
「パパは大げさやねんから…」
というのも、以蔵は血小板減少症という体質(病気)のため、
一度出血するとなかなか血が止まりません。
それゆえ、体にメスを入れる手術などは、
普通の子ならば、なんてことないものも、以蔵には命にかかわるものとなるからなのです。
実際過去に二度手術を受けましたが、
その都度、知人などの愛犬たちから毎日輸血をしてもらい、
大げさではなく、文字通り死の淵から帰ってきた子なのです。
実はうちに来る前、以前の飼い主さんのお宅でも一度輸血を受けているそうなので、
結局今まで三度輸血を経験していることになるので、
次回は、血液の相性以前に、輸血そのものに対する拒絶反応が出る可能性が高いのです。
それゆえ、主治医の先生からも、
「万が一次回手術というようなことがあれば、
その時は本当に覚悟を決めねばならないでしょう。」
と、そういわれていたのです。
そういうわけで、昨日はまずレントゲンを再度細かく撮ることになり、
その結果、骨に異常はないものの、肩の内部に白いものがあり、
それが腫瘍なのか出血なのか判断できないとのこと。
最悪なのは、以前と同様の血腫が今度はそこにできていた場合。
(血腫は再発することがよくあるとのこと。)
またあの手術をせねばならないのか?!
いずれにせよそれらが神経を圧迫し痛みを与えている可能性が高いとのことでした。
そこでより詳しくみるために、CTとMRL検査を受けることに。
その結果、患部に造影剤の影響がほとんどないことから、
血腫や出血の可能性は低く、恐らくは胸筋の肉離れであろうとのことでした。
ですので、今後は炎症を抑え安静に過ごさせねばなりませんが、
体にメスを入れる必要はなくなり、
私は途端に安心しきってしまったのです。
しかしこの結果が出るまでの2時間足らず、
私は本当にいろいろ考えました。
恐らくかなりの確率であれは腫瘍の再発であろう。
そうなれば手術を受けさせるのか?
でもそれは、高確率であの子と別れねばならないという選択。
かといって、そのままでは腫瘍はどんどん大きくなり、
一層神経を圧迫する。
その時の痛み、血液の流れ、破裂の恐れはどうなのか?
それに四度目の輸血は実際どうなんだ?
もしかしたら輸血を万全にして臨めば、対応できるのではないか?
このようなことを延々と頭の中で繰り返し繰り返し考え、
自分として後悔の無いのはどちらなのか?
つまり、あの子がより多く幸せな時間を得ることができるのはどちらなのか?
自分でもうっすら正解などないことがわかりながら、
それでも自問し続けておりました。
実は以蔵は前述のように二度命の危機に瀕しているので、
その後も何かあると覚悟を決めねばならないことは、
常々承知はしていたのです。
ですので、今回のようなことも以前から考えてはおり、
その時は、「もう手術は受けさせない。」とそう考えていたのです。
だから何かあったらその時がこの子の寿命で、
その時が「天寿を全うした」のだと納得しようと思ってました。
いわば、「毎日毎日、過ごすその日々こそが天寿」
とそう思いながら以蔵と過ごしていたのです。
だから、いつ別れが来ても悔いのないように、
したいこと、させたいこと、あの子が喜ぶことはできるだけたくさんしてやろう、
そう思いながら、日々過ごし。
膝の上で丸くなって寝ている以蔵をそっとなでては、
平穏に暮らせるありがたみをかみしめていたのです。
でもいざ、その選択の時に立たされれば。
決めていたはずの決心は揺らぎ、残る希望に縋りつきたくなる自分がいます。
そういうわけで、帰りの車の中では安心し切ってはいたものの、
やはり、頭の中では先ほどの考えがぐるぐる回り、
一体その時どう決断すべきか、日々向き合わねばならないものだと痛感しました。
それとやはり、
いつどこで何が起こるかわからないんだから、
以蔵はもちろん、他の子達についても、(無論家族友人たちも)
「毎日が天寿かもしれない。」
それを念頭に入れつつ、
やるべきことなどは極力めんどくさがらず、
手を抜かず、甘えず。
そこらがとても大切だなと再認識しながら、
いつも以上の安全運転で家路につきました。
そういうわけで、前日同様に以蔵と一緒でしたが、
心持ちは全く違っておりました。
(*^人^*)
「ただいま!」
*おまけ*
とまあ、かような感じなので、
私を知る方々は、いかに私がうろたえ、
狼狽していたかは想像に難くないと存じます。
ですが、こういう時の奥さんはいたってクールで、
異常のあった当日も、
うろたえて役に立たない私に対して、テキパキと私に指示し、
病院から戻った後は、腑抜けになった私に代わり他の子たちを散歩に連れ出してくれ、
また、この検査の当日は、店番をしながら帰りを待っていてくれていました。
ですが奥さんもさすがに今回は厳しいと感じていたようで、
私からの検査結果の報告があまりにも遅いため、(検査に結局3時間以上かかりました)
「きっとあの人は、動かなくなった以蔵を泣きながら抱いて帰って来るんだろう。」
と、そう腹をくくっていたそうです。
ですがそうではなく、私と以蔵が戻ってきたわけで…
そういうことで夕飯の準備などまるでしていなかったから、
ありあわせの材料で鍋を準備し、
家族全員(無論ワン&ニャン&ハム含む)そろって、
よかった、よかったといいながら、鍋をつつき、〆のおじやに入るとき…
「あ!ご飯炊きすぎてた!」(奥さん)
「ん?どれ?あ!ほんま!なんでこんなにたくさん炊いたん?!」(わし)
「わかれへん。わかれへんけど、
なんか一杯炊かなあかんと思って…」(奥さん)
やはりクールに見えた奥さんも、
実はかなり動揺していたことは間違いないようです。