気が付けば、体に残る毛がほとんどなくなり、
また残っている毛もほとんどが白髪になって、
どこから見てもお爺ちゃん犬になったジョイ。
あれだけ走り回れ健脚を誇った足も、
急ぐと、もう後ろ足がもつれだします。
だから その頃にはもう自転車で単独ではなく、
ほかのわんこ達と一緒にゆっくり歩いて散歩に出るようになりました。
それでも歩き方は時に危なげで、つまづくことも増え、
特に後ろ足はきれいに上がりきらず、少々引きずり気味になるため、
つめも真ん中の二本のみが短くすり減り、
時にはつま先や肉球を痛め出血することも。
だからこ靴下をはかせて散歩に出ることが増えてきました。
また、この頃から体のあちこちにイボや腫瘍ができはじめ、
時にはこのように大きな腫瘍ができ、歩くのにかなりの負担になったりもしました。
(「ジョイの玉とり」参照)
そして初めて散歩中にふらつき、一人で立てなくなったのが昨年の冬。
「へべれけ~!」
幸いこの時は一過性のもので、数日後にはもう元気に歩いてくれ出しましたが、
足腰の弱りは確実にジョイの身に起こっておりました。
この足腰の急激な弱りの原因が不明だったため、
少しでも悪影響のありそうなものを排除するため、
長く続けていたアトピーの投薬をこの時から中断することにしました。
だからなのか、または季節的なものなのか、
一度生えそろった毛も次第に抜け始めてきましたが、
かゆみ自体はそれほどではなさそうだったのが救いでした。
そういう感じでも、毎日何とか踏ん張って、
朝、昼、夕方、夜、寝る前の散歩もそれまで通りしっかりこなしていたのですが、
脚、特に後ろ足を完全に上げることができなくなり、
少しひきずってしまうため、散歩時は自作の靴(地下足袋)を履かせることにしました。
とはいうものの、辛いことばかりではなく、
「お!これがしのやんさんの新しい車ですか!」
「クンクン、やはりにおいをかぐのは楽しいですね♪」
と、春もいっぱい楽しんで。
「蒸し暑いのはやっぱこたえますわ~!」
と、この年の暑い夏を乗り切り、
長雨の秋も越して、意外に寒くない12月を無事に迎えることができました。
ですが、さすがにほとんど16歳になっていたので、
この時から夜寝ている間におもらししてしまうようになり、
おむつ着用するようになりました。
「これで安心♪」
また、抑揚のない鳴き声をいつまでも上げ続けたり、
焦点の定まらない目つきになるといった、
ボケの初期症状も見せ始めたのです。
それでもあの子は、ふらつきながらも散歩に出て、
食事も好き嫌いしながらも毎回きちんと食べていました。
しかし、その散歩も日に日に歩く距離が短くなり、そして歩数が減り、
食事は回数が減り、そして食べる量が減り、
ジョイ自体も目に見えて弱っていくのがわかるほどでした。
そして逝く前日の夜、いつものように散歩に出ようと寝床から出そうとするも、
ガンとして動かず、散歩を拒否。
しかしその日のお昼にしっかり食事をとっていたので、
まだまだ大丈夫と思っていた私は、強引に抱きかかえ表に。
するとジョイは数歩歩いたかと思うと、うんちをし、
そしてまた数歩歩いて家の前にきてからまたうんちを。
そのうんちを見た瞬間、私はもう残された時間がかなり少ないことを理解し、
大急ぎで抱きかかえ、家に連れ戻り、
家族の目の届くキッチンに寝床をこさえ寝かせました。
(弱った内臓のうんちは、一目でそれと分かるのです。)
それでもまだこの時は、別れがこんなにすぐ来るとは思っておらず、
「さあ、これから寝たきりジョイの介護が始まるぞ!」
と気合を入れ直し、紙オシメなども箱買いして、
そして準備万端整え年越し準備に入ったのです。
ですがその翌日。
ジョイはあっけなく、本当にあっけなく旅立ちました。
お昼過ぎに前日に食べたおやつを吐き戻し、
その後水を飲んだ後、深く息をしつつ横になり、
やがて静かに寝入ったと思ったら、
そのままどうも起きるのを忘れてしまったようです。
本当に予想外であっけなかったので、
「おい、もう少し世話させてくれよ。
このたくさんのオシメどうしたらええの?!」
と、思わずそう口にしてしまいましたが、
ジョイは、「そんなこと関係ないよ。」と言わんばかりに穏やかな顔。
まあ、それほどに安らかな旅立ち方だったのだから、
考えればこれ以上望めないほどの大往生。
そしてその後最後の別れを済ませ天に送った後、
あの子の骨を拾い上げたのですが、
その時の焼け跡を見ると、内臓周辺が真っ黒になっていました。
内臓がダメになっていた時にはこうなるとのことで、
つまり、もうジョイの内臓は終盤はほとんど機能していない状態だったようです。
そりゃあ吐き戻したはずだ…
それなのに、前日まで美味しそうに、
そして、嬉しそうにおやつと大好きな鶏肉を食べれたということは、
あの子には最後まで楽しく嬉しい喜びがあったということ。
これは本当に良かった。
また、前述のようにぼけ始めたと思い、
今後はそれがどんどん進行すると思っていたのに、
反対に最後の方は常にしっかりと意識があるようで、
鳴きだしても、私がそばに寄り声をかければすぐ鳴きやみ、しっぽを振り、
私たちがそばにいる時には、嬉しそうな表情をし、
常にその目に意思をはっきり見ることができました。
だから、最後の日も、常に家族の誰かがそばにいることも理解していた様子。
だって、嬉しそうにゆっくり しっぽを揺らそうとしていたから。
だから、
だから、あの子は最後まで喜ぶこと、楽しいことを手放さなかった。
奥さんが望み、そして名付けてくれた通り、
ジョイは「JOY」な一生だった。
それが本当に嬉しい。
無論、今でも思い出すと寂しいし、悲しくはなるけれど、
それ以上に、「あの子と暮らせて本当に楽しかった。」とそう思えます。
ジョイにはやっぱり笑顔が一番似合う。
こういう顔もよく似合う。
「リラックス~♪」
そして今。
何かの用事でジョイのいない部屋に入ると、
「寒っ!」
そうか、ジョイはいつもこんな寒い部屋に…
いやいやいや!
あの子はいつも冷暖房完備やった!
そう、誰の部屋よりも冬は暖かく、夏は涼しかった!
そして今もきっと快適な場所で、私たちを待っていてくれているはず。
そういうわけで、、本当はまだまだあの子への思いは尽きないのだけれども、
実は今日でちょうど四十九日。
そういうこともあり、
一応区切りのためにいったん ここでジョイのお話を終わらせていただきます。
長文にお付き合いくださりどうもありがとうございました。
(*^人^*)
さあ、今晩は長く手が付けれなかったあの子の寝床を片付けよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生後40日目 優しいお母さん(ラッキー)の枕もとで。
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また残っている毛もほとんどが白髪になって、
どこから見てもお爺ちゃん犬になったジョイ。
あれだけ走り回れ健脚を誇った足も、
急ぐと、もう後ろ足がもつれだします。
だから その頃にはもう自転車で単独ではなく、
ほかのわんこ達と一緒にゆっくり歩いて散歩に出るようになりました。
それでも歩き方は時に危なげで、つまづくことも増え、
特に後ろ足はきれいに上がりきらず、少々引きずり気味になるため、
つめも真ん中の二本のみが短くすり減り、
時にはつま先や肉球を痛め出血することも。
だからこ靴下をはかせて散歩に出ることが増えてきました。
また、この頃から体のあちこちにイボや腫瘍ができはじめ、
時にはこのように大きな腫瘍ができ、歩くのにかなりの負担になったりもしました。
(「ジョイの玉とり」参照)
そして初めて散歩中にふらつき、一人で立てなくなったのが昨年の冬。
「へべれけ~!」
幸いこの時は一過性のもので、数日後にはもう元気に歩いてくれ出しましたが、
足腰の弱りは確実にジョイの身に起こっておりました。
この足腰の急激な弱りの原因が不明だったため、
少しでも悪影響のありそうなものを排除するため、
長く続けていたアトピーの投薬をこの時から中断することにしました。
だからなのか、または季節的なものなのか、
一度生えそろった毛も次第に抜け始めてきましたが、
かゆみ自体はそれほどではなさそうだったのが救いでした。
そういう感じでも、毎日何とか踏ん張って、
朝、昼、夕方、夜、寝る前の散歩もそれまで通りしっかりこなしていたのですが、
脚、特に後ろ足を完全に上げることができなくなり、
少しひきずってしまうため、散歩時は自作の靴(地下足袋)を履かせることにしました。
とはいうものの、辛いことばかりではなく、
「お!これがしのやんさんの新しい車ですか!」
「クンクン、やはりにおいをかぐのは楽しいですね♪」
と、春もいっぱい楽しんで。
「蒸し暑いのはやっぱこたえますわ~!」
と、この年の暑い夏を乗り切り、
長雨の秋も越して、意外に寒くない12月を無事に迎えることができました。
ですが、さすがにほとんど16歳になっていたので、
この時から夜寝ている間におもらししてしまうようになり、
おむつ着用するようになりました。
「これで安心♪」
また、抑揚のない鳴き声をいつまでも上げ続けたり、
焦点の定まらない目つきになるといった、
ボケの初期症状も見せ始めたのです。
それでもあの子は、ふらつきながらも散歩に出て、
食事も好き嫌いしながらも毎回きちんと食べていました。
しかし、その散歩も日に日に歩く距離が短くなり、そして歩数が減り、
食事は回数が減り、そして食べる量が減り、
ジョイ自体も目に見えて弱っていくのがわかるほどでした。
そして逝く前日の夜、いつものように散歩に出ようと寝床から出そうとするも、
ガンとして動かず、散歩を拒否。
しかしその日のお昼にしっかり食事をとっていたので、
まだまだ大丈夫と思っていた私は、強引に抱きかかえ表に。
するとジョイは数歩歩いたかと思うと、うんちをし、
そしてまた数歩歩いて家の前にきてからまたうんちを。
そのうんちを見た瞬間、私はもう残された時間がかなり少ないことを理解し、
大急ぎで抱きかかえ、家に連れ戻り、
家族の目の届くキッチンに寝床をこさえ寝かせました。
(弱った内臓のうんちは、一目でそれと分かるのです。)
それでもまだこの時は、別れがこんなにすぐ来るとは思っておらず、
「さあ、これから寝たきりジョイの介護が始まるぞ!」
と気合を入れ直し、紙オシメなども箱買いして、
そして準備万端整え年越し準備に入ったのです。
ですがその翌日。
ジョイはあっけなく、本当にあっけなく旅立ちました。
お昼過ぎに前日に食べたおやつを吐き戻し、
その後水を飲んだ後、深く息をしつつ横になり、
やがて静かに寝入ったと思ったら、
そのままどうも起きるのを忘れてしまったようです。
本当に予想外であっけなかったので、
「おい、もう少し世話させてくれよ。
このたくさんのオシメどうしたらええの?!」
と、思わずそう口にしてしまいましたが、
ジョイは、「そんなこと関係ないよ。」と言わんばかりに穏やかな顔。
まあ、それほどに安らかな旅立ち方だったのだから、
考えればこれ以上望めないほどの大往生。
そしてその後最後の別れを済ませ天に送った後、
あの子の骨を拾い上げたのですが、
その時の焼け跡を見ると、内臓周辺が真っ黒になっていました。
内臓がダメになっていた時にはこうなるとのことで、
つまり、もうジョイの内臓は終盤はほとんど機能していない状態だったようです。
そりゃあ吐き戻したはずだ…
それなのに、前日まで美味しそうに、
そして、嬉しそうにおやつと大好きな鶏肉を食べれたということは、
あの子には最後まで楽しく嬉しい喜びがあったということ。
これは本当に良かった。
また、前述のようにぼけ始めたと思い、
今後はそれがどんどん進行すると思っていたのに、
反対に最後の方は常にしっかりと意識があるようで、
鳴きだしても、私がそばに寄り声をかければすぐ鳴きやみ、しっぽを振り、
私たちがそばにいる時には、嬉しそうな表情をし、
常にその目に意思をはっきり見ることができました。
だから、最後の日も、常に家族の誰かがそばにいることも理解していた様子。
だって、嬉しそうにゆっくり しっぽを揺らそうとしていたから。
だから、
だから、あの子は最後まで喜ぶこと、楽しいことを手放さなかった。
奥さんが望み、そして名付けてくれた通り、
ジョイは「JOY」な一生だった。
それが本当に嬉しい。
無論、今でも思い出すと寂しいし、悲しくはなるけれど、
それ以上に、「あの子と暮らせて本当に楽しかった。」とそう思えます。
ジョイにはやっぱり笑顔が一番似合う。
こういう顔もよく似合う。
「リラックス~♪」
そして今。
何かの用事でジョイのいない部屋に入ると、
「寒っ!」
そうか、ジョイはいつもこんな寒い部屋に…
いやいやいや!
あの子はいつも冷暖房完備やった!
そう、誰の部屋よりも冬は暖かく、夏は涼しかった!
そして今もきっと快適な場所で、私たちを待っていてくれているはず。
そういうわけで、、本当はまだまだあの子への思いは尽きないのだけれども、
実は今日でちょうど四十九日。
そういうこともあり、
一応区切りのためにいったん ここでジョイのお話を終わらせていただきます。
長文にお付き合いくださりどうもありがとうございました。
(*^人^*)
さあ、今晩は長く手が付けれなかったあの子の寝床を片付けよう。
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生後40日目 優しいお母さん(ラッキー)の枕もとで。
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