(この日記は先週の出来事なので、以蔵はまだ負傷前で普通に歩いております。)
「あ!なんやあれ!」
「ちょっと、まって!
ぼくこれ調べなアカンわ!」
と、散歩途中に以蔵が見つけて夢中になったのはこれ!
DG!(ドングリ)
え?!
「え?!これがドングリ!?」
そうやで。
「ご飯をてんこ盛りに入れる…」
それはどんぶりや!
「魚屋さんで売ってた!今の時期が美味しいね。」
それは、寒ブリや!
「岸和田で有名なお祭りやね!」
それはだんじりや!
「お腹が痛い時に煎じて飲む…」
それはせんぶりや!
「お鍋なんかの時、薬味に使うあの赤くて辛い…」
それはかんずりや!
「アカザ科ホウキギ属 の一年草であるホウキギの成熟果実を加熱加工した物で、
古来、民間療法で用いる生薬の一つであったが、
現代では、食品の一つとして用いられる、別名”畑のキャビア”。」
それはとんぶりや~!
って、お前 絶対わざとやろ?
「へへ?ばれた?」
というわけで、予想外のドングリの出現に少し驚いた私。
でも、確かにそこに植えられている街路樹を見上げれば椎(しい)の木だから、
その下にドングリが落ちていても不思議ではない。
とはいえ、
「ドングリなんて、野山にあるもの。」
そう思い込んでいた私だから、
うちの近所のような街中に、こんなに沢山あるとは思いもよらず、
なんだか得した気分になりました。
(そういや、以前同様に「ヤマモモ」で喜んでいたっけ。)
さて、このどんぐりですが、
正直利用法などあまりないくせに、妙に収集心をそそります。
特に子供、とりわけ男の子にとっては、
一時期 宝物のような存在で、一生懸命拾い集めては、
その数を競い合ったり、誇ったり。
また大きさや姿かたち、色つやの秀でたものを選び出し、ひたすら愛でたり。
(この場合、帽子の取れていないのが必須条件。)
とまあ、このように小さな心をガシッとつかんで離さない!
もしかしたら、多くの男性にとって人生初の収集品(コレクション)であったかもしれません。
ですので、当然私もよく拾い集めましたし、たくさん持っておりました。
そんなある日、あるお祭りの縁日を覗いていると、
とある屋台に、いつも見慣れたあの大量のドングリがあるではないですか!
「大人がこんなにたくさんのドングリを一体どうするのだろう?」
そう思った私は、屋台のおっちゃんに尋ねたかったのですが、恥ずかしくて聞けませんでした。
(屋台には大きく「しいのみ」と書いてありました。)
その後地元の商店街でも、定休日になるとドングリを売る店が出始め、
その時に、「これは炒って食べれるドングリだ。」と教えてもらったのですが、
それにも私はまたびっくり!
というのも、小さなころから、
「ドングリを食べるとつんぼ(聴覚障碍者)になるから食べたらあかん。」
と祖母に教えられていましたから。
あの頃、祖母の言葉は絶対に正しいと思っていたので、
時折ドングリの味が気になって、思い切って割っては、こわごわかじったことはあるのですが、
その後は慌てて吐き出したりしていたのものです。
でも実は食べてもそんなことになるはずもなく、
単に、アク(渋)がきついのでそのまま食べられないということだったのですね。
というわけで、ドングリが食べられることを知った私は、
図書館でドングリの食べ方を調べ、
昔(縄文時代)は、すりおろしでんぷんを取り出し、それを水で溶き加熱し、
「縄文コンニャク」を作ったという記事を読み、その味に思いを馳せ胸を膨らませました。
でも、そんなに沢山のドングリは家の近所で手に入るはずもなく、
いつしかその情熱も消え失せて、私は成長していきました。
ですがその後、山に行きドングリがまとまって落ちているのを見かけると、
「あ!コンニャク!」
と、今でもそう思ってしまいます。
ですので、今回のこの散歩道でも同じように思ったのですよ。
ちなみに今回のこのドングリ、
正体はただいま調査中。
もし食べれるやつだったらば、
次の秋まで覚えていよう。
(=^^=)ゞ
「あ!なんやあれ!」
「ちょっと、まって!
ぼくこれ調べなアカンわ!」
と、散歩途中に以蔵が見つけて夢中になったのはこれ!
DG!(ドングリ)
え?!
「え?!これがドングリ!?」
そうやで。
「ご飯をてんこ盛りに入れる…」
それはどんぶりや!
「魚屋さんで売ってた!今の時期が美味しいね。」
それは、寒ブリや!
「岸和田で有名なお祭りやね!」
それはだんじりや!
「お腹が痛い時に煎じて飲む…」
それはせんぶりや!
「お鍋なんかの時、薬味に使うあの赤くて辛い…」
それはかんずりや!
「アカザ科ホウキギ属 の一年草であるホウキギの成熟果実を加熱加工した物で、
古来、民間療法で用いる生薬の一つであったが、
現代では、食品の一つとして用いられる、別名”畑のキャビア”。」
それはとんぶりや~!
って、お前 絶対わざとやろ?
「へへ?ばれた?」
というわけで、予想外のドングリの出現に少し驚いた私。
でも、確かにそこに植えられている街路樹を見上げれば椎(しい)の木だから、
その下にドングリが落ちていても不思議ではない。
とはいえ、
「ドングリなんて、野山にあるもの。」
そう思い込んでいた私だから、
うちの近所のような街中に、こんなに沢山あるとは思いもよらず、
なんだか得した気分になりました。
(そういや、以前同様に「ヤマモモ」で喜んでいたっけ。)
さて、このどんぐりですが、
正直利用法などあまりないくせに、妙に収集心をそそります。
特に子供、とりわけ男の子にとっては、
一時期 宝物のような存在で、一生懸命拾い集めては、
その数を競い合ったり、誇ったり。
また大きさや姿かたち、色つやの秀でたものを選び出し、ひたすら愛でたり。
(この場合、帽子の取れていないのが必須条件。)
とまあ、このように小さな心をガシッとつかんで離さない!
もしかしたら、多くの男性にとって人生初の収集品(コレクション)であったかもしれません。
ですので、当然私もよく拾い集めましたし、たくさん持っておりました。
そんなある日、あるお祭りの縁日を覗いていると、
とある屋台に、いつも見慣れたあの大量のドングリがあるではないですか!
「大人がこんなにたくさんのドングリを一体どうするのだろう?」
そう思った私は、屋台のおっちゃんに尋ねたかったのですが、恥ずかしくて聞けませんでした。
(屋台には大きく「しいのみ」と書いてありました。)
その後地元の商店街でも、定休日になるとドングリを売る店が出始め、
その時に、「これは炒って食べれるドングリだ。」と教えてもらったのですが、
それにも私はまたびっくり!
というのも、小さなころから、
「ドングリを食べるとつんぼ(聴覚障碍者)になるから食べたらあかん。」
と祖母に教えられていましたから。
あの頃、祖母の言葉は絶対に正しいと思っていたので、
時折ドングリの味が気になって、思い切って割っては、こわごわかじったことはあるのですが、
その後は慌てて吐き出したりしていたのものです。
でも実は食べてもそんなことになるはずもなく、
単に、アク(渋)がきついのでそのまま食べられないということだったのですね。
というわけで、ドングリが食べられることを知った私は、
図書館でドングリの食べ方を調べ、
昔(縄文時代)は、すりおろしでんぷんを取り出し、それを水で溶き加熱し、
「縄文コンニャク」を作ったという記事を読み、その味に思いを馳せ胸を膨らませました。
でも、そんなに沢山のドングリは家の近所で手に入るはずもなく、
いつしかその情熱も消え失せて、私は成長していきました。
ですがその後、山に行きドングリがまとまって落ちているのを見かけると、
「あ!コンニャク!」
と、今でもそう思ってしまいます。
ですので、今回のこの散歩道でも同じように思ったのですよ。
ちなみに今回のこのドングリ、
正体はただいま調査中。
もし食べれるやつだったらば、
次の秋まで覚えていよう。
(=^^=)ゞ