oveja(オベハ)
さて、今年も羊の季節がマドリードにやってきた。
実は今年の羊にあわせてこの記事をUPする予定であったが、どうにもこうにも、いつ行われるかを調べ切れなかった。
マドリードが羊で埋め尽くされる日が毎年あるという。今年は10月の26日だったようだ。
「スペインと羊」と言っても、ぴんと来る人は少ないかもしれない。
ナバーラや、バスクの北スペインに残る先史時代からの話には、森の神バシャハウンが登場する。女神が多い中で、唯一の男神、森の奥深くに住み、全身毛むくじゃらだという。羊飼いから羊をさらい、その乳を飲んで暮らしている。嵐が迫ってくると大声で羊飼いに知らせ羊を集められるようにすることから、羊の群れの神様として崇められている。
また。南からは遊牧民であるイスラーム教徒も羊を持ち込んだので、スペインでウール産業が飛躍的に伸びたのは自然の流れといえる。
編み物をしたり、ウール製品が大好きな人は聞いた事があると思うが、メリノ・ウールの発祥はスペインである。いまや、オーストラリアで放牧されている画像が、多くの人の脳に焼き付いていると思うが、スペインからオーストラリアへたどり着いた8頭の羊が、まるで大地に雲が広がったのかと思えるまでに増えたのである。
イスラームのヨーロッパへの玄関口、スペイン。元来持つ羊文化に、北アフリカからやってきた羊毛文化、ローマ帝国の技術が合わさり誕生したのが、真っ白でやわらかい羊毛、メリノ・ウール。
スペイン大航海時代の巨万の富は、このメリノ・ウールによってもたらされた。コロンブスの新大陸発見の影に羊あり。
さて、スペインはイスラーム統治時代があり、その間に広く牧畜が行われた。パウル・コエーリョの『アルケミスト』を読んだ事のある人は、思い出してほしい。主人公が羊を連れて歩き回ると言うくだりを。
スペインの羊の飼い方は、羊を連れて歩く、「移牧」である。季節ごとに移動する、羊の道がスペインにはたくさんあるが、近年は都市開発が進み、この道も失われつつある。
そこで1994年から、移牧の祭りが復活し、羊たちは歩く権利を主張するために、堂々とマドリードの幹線道路を横断すると言う。昨年は、有力紙EL PAISによると、数千頭の羊がマジョール通り、プエルタ・デ・ソル、アルカラ通り、シベーレス通り、プエルタ・デ・アルカラを抜け、カサ・デ・カンポへと大行進したと言う。今年も然り。
日本人にも人気が出そうな祭だと思うが、日本では知られていない。
実際の様子はぜひ動画でご覧いただきたい。[a]
そして写真も…。(EL PAIS)
聖書の羊イランへ 復活祭の羊ギリシャへ 出エジプト記エジプトへ
迷える羊英語、シルクロードを通って日本へも…ああ、とうとう1000頭…
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※この写真はmitra@アンダルシア
マドリッドに羊?写真もなかったので、ネットで頭の活性化だいぶしましたよ!(詳しくはオルサさんの第2ブログ)
モンゴルあたりもイメージしやすいですね。
サルデーニャ!あそこは絶対に行ってみたいところですね。鉤鼻の真っ黒いボロをまとったばあ様が、枝で羊のお尻をピシッとたたいていそうじゃありませんか!
移牧の羊と羊飼いの関係は、おっしゃるとおりです(と、イスラームの遊牧についての講義で習いました)
私は、羊飼いの飼った羊は、天に召されると、雲になって、羊飼いを守ってくれていると信じています。
羊と聞いて、すぐにオーストラリアやニュージーランドをイメージしてしまいますが、囲いの中で飼う羊と、移牧によって、飼い主と旅をする羊、この2つは人間との距離感がだいぶ違うように感じます。どちらもエサを食べ、毛を刈られ、人の懐を温めてくれるものですが、旅をする羊は、人間にとって家畜以上の存在、旅の友であり、人生の伴侶であり、子供達であるような、そんな気がするのです。勝手な思い込みかもしれませんが。
山の中をそれこそ羊を連れて歩きたくなりました。
羊にとってはあまりありがたくないと思いますが、私たちは「泡だらけ」のマドリッドみたいですよね!
フランスでもスペインとの国境近いバスク地方では羊の飼育が盛んですね。
都会に出た羊君たち、何を思って町を闊歩してるのでしょうか…
草が見当たらないなぁと、不安だったかもしれないですね。
一度羊で真っ白に埋め尽くされた、マドリッドの町を見てみたい。