مَقْبَرَة (マクバラ)
春のエジプトで思い出すもの言えば、お墓。
日本のようにお彼岸があるわけではない。
エジプトの春の風物詩、春香祭からの連想である。
これについては以前書いたが、魚の塩漬けを食べて春の到来をピクニックしながら楽しむという、古代から続いている祭り。
ピクニックと言えば、墓参りという連想である。
沖縄には亀甲墓というものがあり(これについても沖縄からの手紙を読まれたし)お墓の前でピクニックするが、エジプトでも古代より、お墓参りして、その場でピクニックの習慣が今でも残っている。
イスラームでは、墓は持たないことになっているが、エジプトでは古代エジプトのように庭付きの家のような墓が現存する。
写真は階段ピラミッドの麓である。お墓の脇がすぐ家になっており、ベンチが立てかけてある。夏はこのベンチで、寝ていることだろう。
ムハンマド・アリモスクや市場、ハンハリーリにほど近いところに「死者の町」というところがある。
なんとも恐ろしげな名前だが、何も知らずに行けば、ただの町である。実は家ではなく、「庭付き一戸建ての墓」に、いつの間にか人々が住み着いてしまったために、この名前がついたようだ。
「元」お墓に住んでいるのではなく、仏様(?)と同居しているそうだ。
日本では無縁仏が問題になるお墓も、こうして住み着いている人のおかげで、お参りする人が絶えても、仏様(?)は安らかに眠っていられるようである。
先祖代々の墓参りに来る人もいるそうで、そんな時は住み着いている人に事前に連絡があり、お墓参りに来る時は家財道具を運び出してお墓にもどすそうだ。そして、お参りが終わったらまた、住めるようにすると言う。
古代の神殿などに行くと、天井が煤けていることが多い。これは、後の人々が住んでいた証拠であるが、エジプト人はお墓や神殿に住むことに抵抗がないらしい。
日本のような環境では考えられないが、ほうっておけばからっからのミイラになってしまうお国柄。そして、蘇るためにミイラを作っていたご先祖様を持つ人々にとって、お墓に、そして仏様と一つ屋根の下は、取り立てて問題があることではないらしい。[a]
ミイラが蘇ったりする映画を見たことがあるけれど、あれはイスラム以外の人が考えたストーリーなのかな。
トルコでも朽ち果てた墓地を何回か目にしました。
ある程度の年月が流れたら、また掘り返して普通の土地に戻すとのこと。
確かに現在生きている人間にとって、3代以上前の祖先は未知の人々なのだから、土に戻すのが自然なのかも知れませんね。
お化けよりも完全に悪魔を恐れています。
火葬にすると、土に還る時の栄養分が少なくなるし、骨壷に入れておくなんてナンセンスだそうです。
と、これはイスラーム的な考え方。
古代エジプト的な考えの人たちは、いつか復活する時に必要なのがミイラ。
ミイラが恐ろしげに蘇るのは、ハリウッドのお考えのようですね。
トルコも結構墓石が凝っていたので、元々は墓石文化なりがあったと思いました。
「大地に還り、土を肥やし、動植物をはぐくむ…これぞ最高の生まれ変わり」と、私のコーランの先生の弁。
イスラムって、ホンと合理的です。
今回の記事で、墓参りのときは家財道具をjはこびだすときいてほっとしました。
住んでいる人も墓の持ち主も互いに理解し、融通を聞かせていることに驚きました。
非常に興味深い地域ですので、ぜひとも住人から話を聞いてみたいものです。
運び出すと言っても、日本人と違ってものは少ないですから、簡単だと思います。
墓の持ち主に理解があると言うのが、すごいなあと思います。