Pilot-Kの「前見て加速!」

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「啓蒙する」に違和感

2019-01-14 12:09:16 | Weblog

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ネット上で「啓蒙」という表現を見掛けて
その用いられ方に違和感を覚えることがあります。
例えば(例えばです)、
「教師が生徒を啓蒙する」というような用いられ方。

辞書には、
《「啓」はひらく、「蒙」はくらいの意》
人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。
(goo国語辞書より)
と書いてあり、
「偉い人が劣った人に教えを施す」という意味ですよね。

だとしたら、
“偉い人”(上の例では「教師」)の側が
能動的な行為として「啓蒙する」を用いるのは
少なくとも日本人的には、おかしいのだと思います。
上記の例も、「私は○○先生に啓蒙された」と、
謙遜を込めて受動的に用いるなら、おかしくないでしょう。

こうしたことから、
行政機関や議員さんたちは(戦前はともかく、現代では)
住民に対して“啓蒙”ではなくて、
“啓発”という用語を用いるのだそうですね。
ただ、これが、
心の底では「教えを施す」なんて思っているとしたら、
それは言葉の置き換えで済む問題ではないでしょう。

このことは、
教習所の指導員が教習生に対する態度にも
通じるものがありそうですね。


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