『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』熊野より(25)**<2008.1. Vol.50>

2008年01月07日 | 熊野より

三橋雅子

<ここによき湯あリ――湯の峰温泉①>

 我が家のお風呂、湯の峰温泉は千八百年来の日本最古の花が自然に積もり薬師如来の形になったものを本尊、湯峯薬師として東光寺が建てられた。座像をなしている、この本尊の胸から温泉が噴出していたため、古くは湯の胸温泉と呼ばれていたものが、湯の峰になったという。この真っ黒けの如来様は年二回ご開帳になる。湯の噴出口と言われる胸の穴は、私には弾丸の痕のように見える。薬師本尊の他、ここには重要文化財の不動明王像など、見ごたえのある変わったものが数点あるので、暗くて狭い本堂をそろそろすり抜けながら眺めるのも楽しみの一つ。

 脱衣所に珍しく広告らしいものがあった。旅行会社の調査による、関西圏温泉のランク表である。第一位がこの、古びた湯の峰温泉なのには驚いた。ちなみに二位は神戸の有馬温泉。知名度では断然上回るが、この名湯も当節のご多分に漏れず、塩素消毒による循環湯になっては一位は無理なのか。西宮時代は、近かったのでよく来客を案内した。懐かしい。

 ここはかつての村の財産区で、その地域の住人は無料、古い家には浴室がない。尤も本宮町全域というわけではない。この前の合併の前の、昭和の大合併以前の旧村の範囲である。無料は引っ越してその日から、というわけではなく、選挙権と同じく三ヶ月を経て資格が得られる。「みつき経ったけど、住民票か何か入り用ですか」と訊けば、湯番は「ああ何もいらないよ」で手続きは終わった。当時この公衆浴場は二百円だったが、世界遺産登録を機に二百五十円に上がった。ここは九十二度の源泉を水でうめているが、三百八十円の薬湯は源泉百%、一旦タンクに溜めて冷ましている。とろっとして濃度が高い。石鹸、シャンプー類は使用禁止。ここは住民も正規の料金を払わなくてはならないが、病気や怪我の時は特別の計らいをしてくれる。連れ合いも電動鋸で怪我をしたとき、しばらくの間一回三十円でここのお世話になった。気のせいか、年の割りに治りが早かった。傷に良い、ということで、飲むと胃潰瘍などに利くというのも胃の粘膜修復が早いのか。薬効の適応症は多岐に亘る。大阪や三重ナンバーの車を横付けして、二十リットルタンク(二百円)を十も二十も積み込む人も少なくない。腐らず二年はもつと言う。温泉粥は少し黄色くなるがとろっとしてなんともいえない香りと味である。湯豆腐は煮立ててもスが入らないのでゆっくり濃厚な味を楽しめる。茹でものは何でもこれで、用途は広いが、温泉コーヒーは、安物のインスタントが一番おいしくて、高い豆を手間暇かけて挽いたり、丹念に淹れるのはだめなのである。

 観光客は入るなり、石鹸もなければシャンプーもシャワーもないなんて、とこぼす。外に出ても暇を紛らすものはない。こんなとこ一週間もいたら気が変になる、などとブーイングしきり。お陰でリピーターがほとんどいないのは有難い。ここの愛好者は、今や全く少なくなった本来の掛け流し(全国で10%とも20%とも言われる)を求めて来る昔からの常連で、世界遺産登録とは関係ない。ちっとも変わらないねえ、でも以前は湯筒で、自由にお湯が汲めた、無論只で、などの話が聞ける。

 今湯筒は観光客の、卵や薩摩芋茹でで賑わう。地元も筍の季節には長時間嵩ばる袋を大きい石で沈め、旅館や民宿の女将も、蕗やゴンパチ(すいば)など、客用の茹でものをここでしている。硫黄臭のある高温の湯(重曹硫化水素泉)は、沸騰させない為においしさを保つのか。茹で卵は白身が先に硬くなって「温泉卵」にはならないが、わざわざ遠くから、何ケースもの卵を茹でて行く人もある。

 我が家も遅れ遅れの芋堀りがようやく終わり、お風呂の間サツマイモ茹でに費やす季節になった。湯船に漬かっている間では茹で上がらないので、連れ合いは寺の住職が営む「湯胸茶屋」で時間を漬す。もっともこれは茹でものがなくても定番なのだが。新聞配達のない我が家ではここのお古の新聞をもらってくるのに、風呂?温泉コーヒー?新聞取りが欠かせないコースなのである。無論私は家で安いインスタントコーヒーで温泉コーヒーを楽しめるのに、と茶屋に入る気にはならないから、車で、ほとんど唯一の読書タイムを楽しむ。

 熊野本宮大社例大祭初日の湯登神事では、湯の峰の温泉で湯垢離をとり、温泉粥を食したあと、湯の峰王子で神事をする。それから稚児を親が肩車に乗せてアップダウンのきつい大日越えをして本宮旧社地に向かう。ここはお風呂の前後の、ちよっときつい散歩に良い速足一時間強のコースだが、私の足では届かないような段差の激しいところも多く、装束をまとったり軽いとはいえ、子供を乗せての道行きの厳しさはさぞかしと思われる。

 かつて熊野詣の人たちの、本宮大社に入る前の禊の湯でもあったし、熊野御幸の時代にも、皇族や貴紳が休養にこの地を訪れ長旅の疲れを癒した。いまだに皇族との縁は深く、現天皇の皇太子時代、近くは皇后が末皇女婚礼の直前、二人で、いずれもお忍び来訪があったとか。

 ふだんの昼間は大抵一人湯だが、たまには高野山から小辺路を三泊四日、一人で歩いてきた、と大荷物を下ろす人もいる。湯の中で幸せそうに足を伸ばす東京人の、道中の話を聴くのも楽しい。

  湯の花の浮きて一人湯秋深む

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