『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』埋草草子**<2007.9. Vol.48>

2007年09月04日 | 澤山輝彦

埋草草紙

埋草草子

 彼岸花はお彼岸に咲くから彼岸花の名がついた。今年は9月に残暑が長引き、彼岸花の開花が遅れたと言われた。そういえば10月中旬に彼岸花が咲いている庭や公園を見た。

 9月22日、猪名川町栃原という所の彼岸花はもう盛りをすぎていた。ここには残暑の影響はなかったのだろうか。10月7日、JR加茂駅あたりヘハイキングに行った。あちこちの田は稲刈りの真っ最中で、そんな田の畔にヒガンバナが満開だった。もう終わったと思っていたヒガンバナが満開で、黄色い田、緑の草、背景の山や空の色とあいまって、正調日本の秋を演じていたのである。素晴らしい天然の劇場だった。

 加茂駅は関西本線の駅だ。ここまでは大阪駅から直通電車があるが、ここから先へは、ここでジーゼルカーに乗り換える。10月7日(日)、私が乗って来た電車に接続して、隣のホームに二両編成のジーゼルカー亀山行きが止まっていた。電車より小型だ。電車から乗り換えた人達が乗って満員になり、すぐ発車して行った。この線、ここから亀山まで毎月第二土曜日には午前10時から午後3時まで保線作業のため運休する。この間代替輸送はない。この線を第二土曜日に利用する人は要注意だ。沿線の人々は第二土曜日の5時間は鉄道で移動出来ないのだ。それが不便なのかどうか私は知らない。

 兵庫県三木市にある三木鉄道は来年3月命脈が尽きる。三木鉄道はJR三木線を三木市などが第三セクターになって運営してきたが、赤字が続き来年3月で廃上を決めた。アンケート調査によると、80%近くの人が廃止に賛成しているそうだ。この執着のなさは、路線の立地条件に問題があるのだろう。でも公共交通機関である鉄道がかくも簡単に廃止されるのは問題なしと言い切れないと思うのだが。寂しい気がする。

 NHKテレビ、クローズアップ現代で知った。ここ5年間で361人も餓死した人がいたのだ。5日に1人餓死者が出た勘定である。私は衝撃を受けた。これが豊かな国日本の実情なのだ。福祉を軽んじ弱者を切り捨てて平気な国の姿なのだ。一部の金が集まる人、えぐい政治家そんな者をほうっておくのもしゃくだが、中流なんて言葉に惑わされ貧乏に気が付かない人々、明日は我が身という言葉がある、早く気付かなければならないのだ。

 ワーキングプアー、こんなカタカナ語を平然と使う国にしておいてはならないのだ。

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『みちしるべ』斑猫独語(31)**<2007.9. Vol.48>

2007年09月04日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<月が出た出た月が出た>

 私が住んでいる川西市大和では8月に入るとすぐ「ふるさと大和納涼盆踊り大会」と銘打った盆踊りがある。そこには地域の商店会や活動団体が夜店を出し、子供たちの多くは踊りに加わって楽しむというより、夜店での買い食いや買い物を楽しむのである。

 昔からの風習や伝統が無い所では、こうしたものが続いてそれはそれなりの伝統となって行くのだろう。地方にはテレビで紹介されたりする厳かなお盆本来の意味を持った盆踊りがある。私はそんな物を知らずに育ったから、盆踊りとはこんなものだと思っているし、そんな盆踊りには炭坑節は付き物で、ここの踊りにも炭坑節が入っているので全く文句は無い。日本から炭鉱が無くなって久しいが、盆踊りの炭鉱節が不滅なのは嬉しい。

 炭坑節は炭鉱で歌われていた。そんな歌だから、てっきり坑内で石炭を掘る炭鉱夫の歌だと思っていたが、これは掘り出された石炭を選別する選炭場での選炭婦の歌だったのである。そういえば確かにそうだ。歌詞には石炭を掘る採炭現場は出てこないし、選炭婦の歌ときけば納得のいく歌詞がある。石炭を掘る最前線では歌など歌っている余裕はなかったにちがいない。

 アメリカの歌で、日本でも流行し今では懐かしのメロディーになってしまったが、16トン、Sixteen Tonsがあった。覚えておられるお方もあるだろう。日本人が歌っていた歌詞の一部はこんなものであった。「ああ、おいらの商売炭鉱夫、年がら年中地の底で、石炭掘って泥まみれ、まったくやりきれないぜ、ああシクスティントンズ」これぞアメリカ版炭坑節である。ところがこんな訳の歌詞ではまだまだ気楽なものだった。英語の歌詞はすごいのだ。訳したものを見つけたので下に書く。あの頃覚えたうろ覚えの英語の歌詞の意味がはっきり分かる。

ところで 人間は泥で出来ているという人もある
だけど 貧乏人は筋肉と血で出来てる
筋肉と血 骨と皮
弱い頭と強い背中で
16トンの石炭積んで手にするのは何?
一日たてば借金がかさむ
セント・ピーターさま いけぬから呼ばないでくれ
おいらの魂は会社のものだ

 アメリカ版炭坑節はまさに地底で石炭を掘る炭鉱夫の歌である。セント・ピーターさまとは死ねばめんどうをみてくれる神様なのだから、呼ばれるということは死を意味する。給料の前借りで借金だらけの体は、自分のものではなく会社のものだという、これはきつい。日本の炭坑節では選炭婦が、さのよいよい、と言っていればよかったのだが、アメリカ版ではそれどころではない。16トンは採掘ノルマではなく、一日の運搬ノルマらしい。

 炭坑節が永遠なら炭鉱の歴史、そこでの働いた人々のことなども永遠に語り継がれなければならないと思うのだ。炭鉱で働いた女性からの聞き書き集「炭鉱花嫁」という本が出ている。人の生き方を教えてくれる本だ。三井三池炭鉱の閉山、大闘争なども歴史に埋もれさせてしまっていいのだろうか。語り継がねばならない。かく言う私は長い間、ボタ山のある風景に詩情を感じるなど、呑気なものであったのだ。

ちょっと一言

 今年の暑さはよくねばってくれましたが、10月中旬にもなれば、さすが秋らしくなってきました。そうなったらなったで、人とは勝手なもので、「今朝なんか寒いですな、長袖きてますねん」てな挨拶を交わしたりするのです。盆踊り、炭坑節のことなど、今、話題にするには時季はずれの気がしないでもありません。これは9月号が定時に発行されていればなんでもないことなのです。一寸ずれこみ状態が続いています。止まってしまうよりマシだ、などと居直りはしません。定時の発行をめざして、皆さんがんばりましょう。

写真は北部水源池連絡会に参加する北六甲台自治会の夏祭りです。

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