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『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**「もういいでしょう」(斑猫独語63)**<2014.11.&2015.1. Vol.87>

2015年01月11日 | 斑猫独語

「もういいでしょう」(斑猫独語63)

澤山輝彦

 「芸術とはかしこまったもんやない」と言う信念でオブジェの数々を発表し続けるグループがあり、私もそこに紹介してもらい参加して一年になります。その発表の場の一つが「スペース御蔵跡」という画廊で大阪市中央区日本橋2にあります。この「御蔵跡」という名が気になりました。昔米蔵があった所だったそうです。その考証はまたいつかするとして、このあたりを歩いていると電柱にも御蔵跡という標識が巻いてあるのを見つけました。そこで手元にあった古い地図昭和53年版大阪府区分帳をみると、このあたりは南区御蔵跡町という町名だったことがわかりました。大阪の場合、区も改変され、町名変更も加わり御蔵跡町は中央区日本橋になってしまったのです。歴史性の抹消です。余分なことは考えなくてもよろしい効率優先であればそれでよし、国民は白痴化するほうが治めやすいのである、というとんでもない政策の現れであるとは考えすぎでしょうか。

 地名を変えることは行政にとって効率よく事務処理が出来るという一面はたしかにあるでしょう。この変更はわからないことはないという場合があります。また、住民がいやがるような地名がついてしまっている所、たとえば、字さらし首なんて所があるとすれば、これは変更してもいい、と思います。でもこのような事例については別問題として考える必要があります。

 地名変更は各地でどんどん進められました。都市や町村だけではなく国家規模でも進められてきたのです。最近では平成の大合併だとかで、あっちこっちひっつきまわったあげく、漢字表記を捨て軽いかるいひらがなの市名をつけた所がたくさん出来ています。皆さんもいくつかはご存知でしょう。まったく住民を馬鹿にした名づけだと思います。これぞ総白痴化が狙いですね。

 さて、私が今、住んでいる川西市大和(だいわ)は元兵庫県川辺郡東谷村でした。東谷村は明治22年町村制施行によって江戸時代の11の村が集まって出来たものだそうです。もうこの頃から合併による地名変更はあったんですね。その東谷村は多田村、川西町と昭和29年合併して川西市になった。川西というのは猪名川の西側に位置するところからきたものらしい。ある意味これも軽い名づけですが漢字は使っていますね。私がここに引っ越してきた頃新聞屋さんがサービスにくれた大和地区案内図という図には小字名が載っていました。大根畑や墓の北、墓の東などがあったのを憶えています。これらの字名は今ありません。無くなりました。これは住居表示に関する法律第3条1項及び2項というものに基づいて、平成7年1月25日に住居表示が変更された、ということです。うーん、住居表示の変更、ですか、まさに行政側の発想ですね。歴史を抹消する意図ありなどという考え方がまちがっているみたいです。まあ、そんな歴史が何度も繰り返され現代になっているのです。

 私がすんでいる大和ですが、大和は畦野の地名があった山を切り開いて住宅地にした所で、株式会社大和ハウスの開発によって出来た都市郊外新興住宅地です。故に大和という名前がついた、かんたんめいりょうの地名です。能勢電車の畦野が最寄駅になります。古代の牧場のあった所だとかで、小学校は牧の台を名乗っています。川西市牧の台一丁目この方が大和よりましかなあと思いますが。トヨタ自動車は挙母(こもろ)市を豊田市に地名を変えさせたのですから、新しく土地をひらいた企業がつけた大和、行政も良しといったのでしょう大和はまだ許されるところがあると言えば甘いでしょうか。

 まあ、そんな出来具合の土地になんのことなく生きているのだから、これからも必要ならば地名の変更ぐらい認めればいいのでは、と言ってしまいそうですが、そうは言いません。今はないテレビドラマ「水戸黄門」では黄門さんが「もういいでしょう」の一声を発して事はおさまるのです。私も知名変更は「もういいでしょう」と言いたいのです。何事であれ、お上のやることにはそれなりに理由がつけられますが、裏があることが多い。これを鵜呑みにして理解を示せば、えーそうだったの、負けちゃった、ということになる。歴史上様々な例を見ることが出来ますからね。

 閣議決定による憲法解釈、民主主義の原則を無視し国会を無視したとんでもないことが、堂々と行われています。反対は反対、守るべきは守る、このことを曲げてはならないのです。一寸でも理解を示すと地名が消えた、そんなものではすまない命が消える消される戦争で殺される、そんなことが今着々と準備されているのです。地名からもっと大変なことに目がむいてしまいました。

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『みちしるべ』この流れとめるのは主権者である我々だ (斑猫独語62)**<2014.9. Vol.86>

2014年10月01日 | 斑猫独語

この流れとめるのは主権者である我々だ
(斑猫独語62)

澤山輝彦

 毎日、朝食時にその日の朝刊を見る。食べながら新聞を読むのは行儀の良いことではないから、さっと見出しを目にするという程度にはしているが、たったそれだけの事でも消化によくないことがたびたびある。8月3日の朝刊(毎日新聞)の第一面のトップ見出しも消化不良を誘発するものであった。四段で「有事に民間船員『徴用』防衛省検討 戦地輸送で予備自衛官に」とある。もう、これはほとんど戦争中だといって通用することではないか。政治家や官僚にここまで頭を働かしてくれと頼んだ覚えは絶対にない。記事にはすでに2社から高速のフェリー2隻を借りる契約を結んだとあるから検討ではない、すでに実施していたのだ。この国はどこまで戦争にむけて突っ走るのだろう。太平洋戦争では軍に徴用された民間船約2500隻が沈められ、6万人以上の船員が犠牲となった。記事はこういう導入部で続いていく。

 私の母が神戸から《あるぜんちな丸》で渡米した時と、友人がが《ぶらじる丸》で移民する時の二度、神戸港の桟橋から船出の人を見送るという経験をした。銅鑼が鳴り別れのテープがいっぱいの船出は特別の情緒を感じさせてくれた。涙の別れというものではなかったから、二隻の船を間近に見ることができる、あわよくば見送り人として乗船できないかなあ、そんな考えを伴った見送りであった。その時は知らなかったがこの二隻いずれも二代目だったのである。初代《あるぜんちな丸》は昭和14年7月に就航、昭和18年11月長崎で大改造され、航空母艦「海鷹」になる。海戦を潜り抜けてきたが、昭和20年呉軍港で米軍機攻撃により被弾、7月豊後水道で機雷に触雷、別府湾へ曳航中空爆をうけ大破、実働わずか三年半であった。《ぶらじる丸》は開戦後、海軍の特設運送船となり軍需物資の運搬にあたっていた。ミッドウェー作戦にも参加している。昭和17年8月4日「空母へ改装、至急横須賀へ回航せよ」の命を受け、トラック島から単独回航中5日潜水艦の魚雷攻撃を受け被雷7分後、乗組員便乗将兵389人のうち188人とともに沈没する。戦後両船は再建されたが過去の栄光ある活躍はなかったようだ。私が目にした時はまだ活躍していた頃なのであろう。末路は中国へ売られた、台湾で解体されたなどさびしいが、船の最後は解体、鉄にもどるのである。

 海運がすたれ、鉄道輸送もすたれていった。両者の接点である港周辺の臨港鉄道の跡などたどろうにも痕跡すらないというほど消されてしまったものが多い。この両者に復活の兆しがあるという情報を得たのだが、それがどこからだったかたどれないのだ。情報源はとにかく、このことはスピード、利便性一辺倒でやってきた様々な現代機械技術とそれと共に変化していった人間性について考え直す大事な時点の一つになるのではないだろうか。道路問題の原点はまさにここにあったのだ。私達が生きる時間は限られるが、急いで時間だけを送っても得ることは少ない。時間をかけるということは人間であることをそこにかけるということだ。そこには発見があるかもしれないし、思索は深まりはすれ薄れることはない。物を考える時間が無いなどと言うことはなくなる。スローに生きる、自然とともに生きる、海運、鉄道輸送の復権を自分達のこれからの生き方にあてはめて考えてみたのだ。

 「徴用」という言葉から始めたこの独語、徴用なんて言葉は使ってほしくない、二度と見たくない。兵隊を運ぶなら自前の軍艦、輸送船で運べばいい。いやこう言ってはいけない、日本は戦争を放棄した国だ、軍艦なんて要らないのだから。歯軋りしながらでも戦争をしてはならないと言い続けなければならない。どんなことがあっても次回の国政選挙にはこんな戦争好き好き勢力を絶対に勝たせてはならない。有権者一人ひとりにこのことが問われている。賢くならなければならないのだ。

*************************************

※ あるぜんちな丸、ぶらじる丸については「客船がゆく 海・人・船のものがたり」土井金二郎著 情報センター出版局 1991 を主に参考引用した。

※ 日本の商船隊の潰滅の歴史は「日本商船隊戦時遭難史」財団法人海上労働協会、昭和37年というのに詳しいという文献も見つけた。

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『みちしるべ』かもしれない(斑猫独語 61)**<2014.7. Vol.85>

2014年07月26日 | 斑猫独語

かもしれない(斑猫独語 61)

澤山輝彦

 かもしれない【かも知れない】断定はできないが、そうなる(する)見込みが有ることを表す。〔「かも分からない」はこの語から類推して作られた新しい言い方〕「新明解国語辞典」によればかもしれないはこう説明してある。

 もう一つ大辞林をみると文法的解説が加わっている。たった六字の言葉がこのように解剖されている。かもしれない〔副助詞「か」に係助詞「も」の付いた「かも」に、動詞「知れる」の未然形「知れ」、助動詞「ない」の連なったもの。〕と。日ごろ文法などまったく意識せずに使っている日本語だが、我々はこんなに複雑な文法にのっとって言葉を発しているのだ。現代日本語文法というものをあまり詳しく勉強した覚えはないが、古典による文法、品詞分解は面白くない授業だったということをよく憶えている。

 長い前書きになった。机の上がすぐ乱雑になってしまう。読んで積み重ねた本は元へ戻せばいいが、切り取った新聞記事や、コピーしたもの、書き散らかしたものなどが結構たまる。それを、いつかいるかもしれない、必要な時があるかもしれない、と思うものだから、どんどんたまる。そんな物を今日(7月3日)処分しながらこのタイトルを考えついたのである。

 こんな物のたまり具合など、心配事にはならない。気にしなければそのまま何年もほうって置けるかもしれないのだ。だが、安倍内閣が「かもしれない」と言い出して手を打った集団的自衛権行使についての閣議決定などは、これから先とんでもない事になるかもしれないのだ。これだけ世間に反対、批判の声があふれているのに強行してしまう、安倍という人は「あほかもしれない」いやここは断定してもいいかもしれない。かもしれないは結構遊べるなあ。

 気象予報の長期予報など、過去のデータを集め分析解析して発表するのだろうが、今年はエルニーニョの発生を予測している。これなど科学的裏づけのある物であっても予報は予報、はずれることがあるかもしれないのだ。気象予報については、責任逃れという言葉は適切ではないかもしれないが、どうも最近は悪い状況を強調しすぎる予報が多い、と私は感じている。竜巻の発生と被害が大きかった年があった、あの頃からこの調子が強くなったようだ。でもまあ、まったく気にせずにいて被害にあって泣くより、それ相応の対策、気構えだけでもしておけば、もし被害にあっても、ある程度気楽な対応ができるかもしれない。

 この記事の載る号は早ければ7月中、遅くとも8月には印刷発行されるだろう。私は印刷時には猫の手より一寸ましだけの手を出す手伝いに行く。その時、通り道にある二軒のブックオフへ寄るのが楽しみなのだ。元図書館員、本好きの業とも言えよう。「耕衣自伝」――わが俳句人生――<永田耕衣;著・平成4年・沖積社刊・3,500円・箱付き>がたったの105円で買えたりするのだから、またそんなことがあるかもしれないと、私はブックオフへ寄り道するのである。

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『みちしるべ』身も蓋もない(斑猫独語 60)**<2014.3. Vol.83>

2014年04月08日 | 斑猫独語

身も蓋もない(斑猫独語 60)

澤山輝彦

 朝食を終えて、書斎兼画室兼寝室へ籠るまで、しばらくパソコンをさわったり、新聞をみたりする間がある。その時、NHK・TVの朝番組を耳にすることがある。これは毎日必ず見るというものではないけれど妻が見る番組で、私は耳に栓をしない限り番組の声は聞こえるので、聞いている。(あ、今、私の机から2メートルほど離れた庭のクロガネモチの木でウグイスが盛んに鳴きだした。枝を渡る姿も見える。一寸寒いが春そのものだ。ええ飛び入りだった)NHKの番組の話に戻ると、今日はバッグの話だった。バッグ評論家が出ていろいろ言っている。バッグなんて要するに物を入れて運べたらそれでいいのであると私は思うのだが、そうはいかないのだろう。私のように言ってしまうと、「身も蓋もない」と言うことになるのだろうか。念のため国語辞典三省堂大辞林で「身も蓋もない」を調べると、「表現が露骨すぎてふくみも情緒もない。にべもない。」とある。露骨すぎるかどうかはともかく、ふくみも情緒もない、という所ははずれてはいない。

 世の中の道具(自動車なんかまさにそうだ)、小物というかそんな物のホトンドが、含み、情緒、趣味性などに立脚して作られており、機能だけにこだわって作られた、身も蓋もない物など無いのである。人間の欲望が要求した結果であるのだが。ここで思いつくのが百均の商品である。ある意味機能だけにこだわって廉価で売られていると考えられないこともない。経済学の立場からはそうでないことは分るのだが、まあ機能のみの安い物ととらえておくことにする。それなら機能的には完璧かと言えばそうではないところが百均なのであり、こう言うとここにも「身も蓋もない」という言葉を使うことも可能である。むつかしいのである。

 道具が機能以外に人の情緒に訴え、趣味に取り入る、この心がデザインというものを産んだのだ。デザインの好みによる物の選択は美的感覚に訴える分、美学という哲学に基づいており、人々は哲学をしたはずだから、これは特に非難することもない。人と物がある限りこの分野の進化は止められないのである。進化しすぎの弊害は古生物学でマンモス、アンモナイトなどがその例となるが、道具機械として自動車では往年のアメリカ製大型車のデザインに似た進化があったのだ。持つ物は十分な機能、そこそこのデザイン、そんな物で十分である。可能であれば自作の物が一番の優れものである、と言えるのだ。

 道具をめぐって[身も蓋もない]言葉で一蹴したい物に、高価であることだけで、持つことに優越感がうまれる、見栄張りの持ち物、そんな道具、物がある。その物自身に罪はないのだが、そうなってしまう運命を持った道具を私は不憫に思わない。そんな物を持って優越感を持つような人は大嫌いだ。(私がもし、君のデジタル時計と私のローレックスの時計を取り替えてあげましょう、なんて言われたらハイハイ喜んでと絶対逆らいませんが)

~-+*+-~*~-+*+-~*~-+*+-~*~-+*+-~*~

 道具、物を「身も蓋もない」言葉で決めつけたところで、自分一人で納めておけば、なんの害もない。しかし、己一人の世の中ではない。それに望むと望まないにかかわらずの高齢化である。こんな時代、長生きしようと思えば「身も蓋もない」言動で問題をおこすのは避ける方が得策である。ふくみ、情緒、繊細という語も加え、これらを身に備えておくことは、対人関係において――備えあれは憂いなし――となるであろう。こういう気を持たず、「身も蓋もない」物言いで世渡りすれば、そこは渡る世間は鬼ばかり、年中豆を投げつけられかねないことになるかもしれない。俺はそうして豆を手にいれんねん、という人は別にして。

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『みちしるべ』行く年来る年(斑猫独語 59)**<2014. Vol.82>

2014年01月18日 | 斑猫独語

行く年来る年(斑猫独語 59)

澤山輝彦

 NHK紅白歌合戦から逃れるのが私の年末の行事になってもう数十年になる。この歌番組を国民的だとか言うのがまず嫌いだし、この番組の宣伝の多すぎるのも腹が立つことの一つで、とにかく見ないのである。ここを抑えて黙って付き合うのが大人かもしれないが、私はそれが出来ない。まだがきなのである。そこで風呂へ入る、本を読む、寝る、ぼやっと考え事をする、画を描くなどいろんなことをして過ごすのだ。私の日常生活が31日の晩にも変わりなく続いているというだけのことである。妻はこの時間が非日常なのであり、楽しみなのでそこを邪魔することはないと心得ている。テレビ番組に触れたついでだから言うが、あまちゃんとか言うドラマも見なかった。これはあまちゃんに限らす朝ドラというのは見ない。15分の間にもめ事が出る、朝からもめるなよ鬱陶しいのである。また物を食う場面がやたら多いのも嫌いだ。日曜日の大河ドラマも見ない。そう言えば、家族にかんぱいという番組も初めの頃は面白いなあと見ていたが、だんだん笑福亭鶴瓶のくどさが鼻についてきて見なくなった。あれが鶴瓶の持ち味かもしれないが、くどすぎる物言いがいやになってしまったのだ。(俺のだじゃれもそろそろ飽きられているかもしれないな用心しなければ)

 では一体あなたは何を見ているの、テレビ見るの? と言われるかもしれないが、一応はニュース番組を見る。面白くないニュースが多いがまあ見る。安倍が何かしゃべれば音は消す。BSの世界街歩きは好きだなあ。あのテーマ音楽のCDを買ったんだから。ただ一つ無理を言えば、テレビでは匂いがしないのだ。だからいいのかもしれないが、異国の匂いはきっと独特のものがしているはずだ。日曜美術館も数少ない見る番組だ。

 さて、妻はテレビを見ながら年賀状を書いている。12月15日までに出す年賀状より心がこもっていると私は思う。私はもう数年になるが年賀状をやめた。年賀状だけの付き合いという言い方があるが、そんなもの付き合いでもなんでもない。付き合いとは月に一度、二月に一度でもいい、顔を合わせて話し合う仲だとおもう。年賀状が来ないからもう付き合わないなんて言う相手ならこちらから付き合いはごめんこうむる。今のところ年賀状をやめたことで私の付き合いに影響はでていない。ただこれはうれしい、という年賀状をもらった時には、寒中見舞いとして返事は書く。

 テレビにいちゃもんをつけたが、テレビ、新聞などいわゆるマスコミの流す情報には批判眼を持って接しないと、情報操作に乗せられてしまうことがある。注意が必要だ。景気が良いと言った翌日には、倒産件数が相変わらず多いと出るし、消費は上向きだと言った翌日には、働く者の給料は相変わらすだ、と出る。低所得者にも税金は容赦ないが、大企業は様々な税の控除を受ける。まあいろいろあるが、難しく考えることはない。命を大事にすること、そう言っているか、しているか、うそはないか、そこを見抜くだけでいいのである。今年がいい年でありますよう。

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『みちしるべ』今年もあと五週間になった(斑猫独語 58)**<2013.11. Vol.81>

2013年12月05日 | 斑猫独語

今年もあと五週間になった(斑猫独語 58)

澤山輝彦

 画でもさわるか、本でも読むか、俳句でも作るか、という気になってひとまずスタートしようと机に向かったのだが、まわりに色々な物を積み重ねてきたのが眼につきだし、これを片付け始めたところ、あれもこれもと大げさな事になってしまい、ほとんど午後半日を費やしてしまった。こういう発作を年に何回か起こしている。

 この片付け仕事なかなかてきぱきと進まないのである。写真が見つかれば、どこで、いつのことや、と昔の事を思い出すのだから時間はかかる。コピーした文書などやはり読んでしまう。そんな中の一冊の雑記帳に、川西自然教室が第二名神反対運動に取り組み始めた頃の事だろう、童謡や唱歌、世界名曲の歌詞を第二名神反対という替え歌にしたものを書き留めていたのを見つけた。すっかり忘れてしまったけれどやったことは思い出した。ほんの一晩か二晩の乱造物であるが、まあ懐かしい物であった。

 能勢電に乗って川西能勢口へ出る途中で、能勢電をまたぐ第二名神の架橋工事現場が眼につくようになった。山は無惨にけずられている。反対運動って何だったんだろう。そんな気がする。一つは、あの運動の総括が出来ていないからであると思う。(総括という言葉に何か懐かしみを感じるのだが)もとより私達の運動で第二名神がつぶれるだろうとは思っていなかったけれど、そんな中での運動だ、何か得るところ、価値あることがあったはずだ。そこの所をしっかり総括してこなかったことが、今、工事現場を眼にして、打ちのめされてしまうことになるのではないか。いや、ちゃんと総括はしてある、と言われたら夜都市波田(寄る年なみだ、こんな字に変換されました)と自分を責めて終りにしますが。

 今日、伊丹市立美術館でベン・シャーン展を見てきた。なかで、1954年の水爆実験に被災した第五福龍丸を扱ったシリーズ物の前で、しばし足が止ってしまった。ちゃんとこんな仕事がなされていたのである。この国の現状と言えば、3.11はもう昔のことにしてしまっている。外国には首相直々に出かけて原発を売り込んでいるし、原発再稼働の声は強くなる一方だ。新聞は原発再稼働反対のキャンペーンをはれない。秘密保護法まで出来てしまったのだ。ほんの少しだが芸術にかかわった私だ。厭な物はいや、憎むべきものは憎む、そんなことを根底にした作品を作らねばと思ったのだ。

 政治に不満があっても、元はと言えば選挙で彼等を選んだ人々があるからで、その結果がこうなるのだから仕方がない。でも、外国からそのやり方が心配されるような政治は、多数決の結果だから文句あんのんか、と言ってしまえばそれは危険だ。まあ、大衆がかしこくならなければいつまでたっても何を言っても無駄だ。

 ベン・シャーン展は12月23日までです。

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『みちしるべ』二度と戦争はしません、この言葉大事(斑猫独語 57)**<2013.9. Vol.80>

2013年09月21日 | 斑猫独語

二度と戦争はしません、この言葉大事(斑猫独語 57)

澤山輝彦

あの戦争知る人また減って行く敗戦の日

 終戦記念日という言葉にはこだわらねばならない。敗戦の日なのだ。終ったのではない、負けたのだ。無謀、厚顔の日本だ、反省の言葉がまずここから無かったのだ。もう一つ、戦争で死んだという言葉もまちがっている。戦争で殺されたのだよ。戦争は殺人ごっこである。

 そうして今、平和ぼけという言葉が平和をまるで悪者扱いする。平和にぼけて何が悪いのだ。戦争ぼけや、好戦ぼけの恐ろしさを知れ。というわけであのころのことを少し。

小さくえぐい収穫もれのジャガイモ食った疎開の日

ムシイモ秤で分けた夕食戦後民主主義

水筒からかゆ出して食っていた人駅の階段

米食わぬ時代代用食という言葉で生きた日々

アカザ食い自慢にならぬ忘れもならぬ幼き日

ジャガイモの皮食う犬いて猫はネズミを食っていた

かんてきの熱でシラミをあぶり出していた姉がいた

傷痍軍人戦闘帽ゲートルの人野田阪神

闇市の芋団子甘かったことサッカリン

米軍の車列が続く続く見ていた日夕焼け

 ジャガイモの皮を食っていた犬とは、飼うでも無し家にいついていた犬で“シロ”と呼んでいた。人も食えない時代だがよくなついてくれた可愛い白茶のぶち犬だった。猫も実家は五軒先だが何故かうちにいそうろうしていた。名は“チビ”だった。彼等が記録を残せば何と書くだろう。私は食い物の事ばかり。飽食の時代という言葉も甘やかしを助長するだけのものである。決して世界はそんな甘いものではないのだ。

シリア情勢緊迫す見せつける英国民主主義

シリア攻撃降りる英国ポチよ真似よ     (9月2日現在)

 戦争は次から次へと起こされるのだ。

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『みちしるべ』踏切(斑猫独語 56)**<2013.7. Vol.79>

2013年07月22日 | 斑猫独語

踏切(斑猫独語 56)

澤山輝彦

 新橋、横浜間に鉄道営業が始まったのは1872年で、以後、鉄道は国策としてどんどん延びて行った。道路なんてたいして問題にならなかった時代なのだ。(この1872年を「いやな兄さん汽車しらぬ」こんな語呂合わせで覚えると受験雑誌に載っていて、まんまとのっかった私は覚えてしまったのであります。もっと大事なことはちっとも覚えなかったのに……。)やがて、歴史的な時間で考えればほんの最近のことなのだが、自動車と道路の普及、発達によって鉄道は落日の悲哀を味合うことになる。と言っても大都市圏における鉄道事情は少々異なることと、鉄道の持ち味を生かして人々を鉄道へ回帰させる手もうたれていることがあることはあるのだが。

 自動車と道路によってどんどん存在感を薄くして行った鉄道だが、鉄道と道路が地上で出会い、交差する場合には未だもって鉄道が堂々とまず走り抜ける、踏切である。道路はそこ踏切を横切ることになり、列車接近時には自動車はもちろん人も列車の通過まで止って待たねばならない。こんな踏切も都市や近郊では事故防止や渋滞解消とかで、どんどん高架化が進みその数は減少傾向にある。このことはスピードアップ、安全、渋滞解消と、鉄道、道路両者に悪いことではない。ただ私など、踏切に情緒ありと感ずる者にとっては、そこは人の叙情的精神涵養の場の一つだとするので、その減少は寂しいことになるのだ。

 私が今よく利用している能勢電鉄、阪急電車、JR福知山線の内、踏切を見ることが出来るのは、能勢電鉄では畦野⇔川西能勢口間、JR福知山線では尼崎⇔川西池田間であり、そこで踏切の数を数えると、前者20カ所、後者16カ所であった。そのうちこれらを渡らねばならないと思うとささやかながらうきうきするのだ。(阪急はまだ数えてない)

 今、見たい踏切は南紀へ向かう特急くろしお、関空特急はるか、コンテナ貨物が通過する、大阪駅西側にある踏切だ。カンビール又はお酒、ワインでもかまわない。つまみ、何がいいかな(?)、これを少々持って何本か列車の通過を見る、まさに酔狂な事である。

 カンカンカンカンと警報音がなり、赤ランプが点滅する。人手あるいは自動的に遮断機が下りる。待つことしばし、すぐそばを列車は通過しその風圧を感じる。踏切はそれが出来る公許の場なのだ。四季により、天候によって雰囲気も変わる。大人に抱かれたり、手をひいてもらった子供はいつまでもそこを離れず列車に見入る。こんな場が減ることは寂しいことではないか。私は車を持たないということもあるかもしれないが、車と道路との関係が人の情緒をたかぶらせるという場に出会ったことがない。インターチェンジなんて人をよせつけないし、道の駅なんてただの商業施設ではないか。

 踏切はいいぞ。踏切を楽しもうではないか、老人の繰り言かなあ。全日本踏切快楽倶楽部の立ち上げを宣言しようか。(言うだけです)

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『みちしるべ』斑猫独語(55)**「変わる梅北、いろいろ考えた」**<2013.5. Vol.78>

2013年04月28日 | 斑猫独語

変わる梅北、いろいろ考えた

澤山輝彦

 梅北なんとか言う所が今日(2013/04/26)オープンしました。正式な名称は新聞で何度か見ましたが私には覚える気がないので正確に言えません。所詮、物欲にまみれた幻想とも言える世界へ99%を構成するひとびとを無理矢理みちびくだけの大きな器にすぎない所だと私は思っていますし、拝金主義者のもみ手と薄ら笑いが見えてしまうのです。えらくひがみっぽい見方ですが、そんな物でしょう。でも、年寄りが行って見もせずに年寄りの感覚で勝手な事を言うて、そんなんじゃ衰えが加速するだけじゃ、と言われればそれもそうかなぁであります。一遍ぐらい見といてもええなあ、といつかは一度のぞくことになるのですが、いつのことやらわかりません。それにしても大阪駅周辺の変わりようはすごいもんです。それだけ田舎的だったのでしょうが。さらに最近廃止になった梅田貨物駅の跡地利用が控えていますが、利権やなんやかが、さぞうごめいているのでしょう。

 梅田貨物駅は大阪駅をはさんで南側にもありました。ごく最近取り壊された大阪中央郵便局の西側にあたります。この南の貨物駅には堂島川につながる水路、掘り割りがあり、艀(はしけ)による機材等の運搬がおこなわれていました。私は見た記憶があります。国道2号線に出入橋という所がありますが、これはこの水路に架かっていた橋の名残です。こんな所の水運なんて時代おくれだと駅の廃止よりそうとう早く埋め立てられましたが、今、これが残っていれば、再開発の目玉になるのではないかと思っています。梅田から掘り割り経由、堂島川へ、中之島へ観光遊覧船を出すことが出来るからです。大阪は水の都と呼ばれ、浪速八百八橋など歌の文句にまでなりましたが、遠い遠い昔の話になってしまいました。「涼しさに四つ橋四つを渡りけり」こんな句も残っていますのに。ダルビッシュ投手が活躍する球団の本拠地はテキサスです。テキサスにあるサン・アントニオという街には運河があり、そこには観光船がにぎやかに行き交っています。見てきたように書いていますが、世界ふれあい街歩き、というNHKの番組でみたのです。なんでも洪水のあと排水をよくするために掘った川を綺麗にして舟を浮かべ観光に使っているそうです。大阪は地盤沈下などの問題があったのでしょうが、川をたくさん埋めてしまいました。それで、もしあそこの掘り割りが今でもあったらと考えたわけです。この掘り割りの埋め立てたあとには阪神高速が通っています。中之島にあるのと繋がっているのかな。自動車に乗らない私はどうか知りません。

 それにしても自動車道路が景観を台無しにしてしまうのは何とも言えず残念です。川西市北部を走る第二名神のための工事が目に見えてくると、人々はこんなことになるのか、と今更のように驚いているのです。国民共有の財産である景観(だけではない自然や文化財をも破壊します)をいとも簡単に道路が隠してしまいます。もう少しこのことを道路問題として大きくとりあげないと、後世に憂いを残します。広島県鞆の浦の判決はよかったですね。まあ、もう高速道路を要求することはやめなくてはならないのです。 

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『みちしるべ』斑猫独語(54)**「山電事故から」**<2013.3. Vol.77>

2013年03月23日 | 斑猫独語

山電事故から

澤山輝彦 

 山陽電車と自動車運搬車が踏切で衝突する事故があった。(2013.2.12)踏切での事故のほとんどは踏切を渡っている側の不注意が原因である。電車が来ているのに踏切が上がったままというたちの悪い例もなくはないが少ない。

 この山陽電車事故を報道するニュースショーを見ていたら、現場中継のアナウンサーが「電車は大きく大破しています」と叫んでみいる。「馬から落ちて落馬して」という重言というやつである。我々もついやってしまうのだが、経験を積んだアナウンサーでも、現場で興奮してつい口から出てしまったのだろう、まあご愛嬌だ。同時に同じショーに出ていた評論家というのだろう女性がしたり顔で「高架になっていれば事故は防げたでしょうね」と言ったのだ。高架になれば踏切はない、踏切事故はおきないのだ。ぬけぬけと言う神経を疑った。まあニュースショーなど真剣に視る必要はないのだが、みれば視たでいろんなことにこだわってしまう。たまには「あ、ええこと言いよるなあ」という場面にであうこともある。この山陽電車事故がらみでは、トレラートラックの運転手は前方の車が赤信号で止ったため、自分の車の進む先が短くなって車体後部が踏切にはみ出してしまったと言った。この言を受けたある評論家は、前の車の後にあててでも前進すべきであった、と言ったが、その通りなのだ。法律では緊急避難は認められる。でもこういう対処の仕方を自動車乗りは簡単に決断出来ないのだろうな。車が大事なのだ。たかがしれた車でも。外国ではバンパーなんてぶつけてがちゃがちゃやるためにあるという認識を持っていて、それで割り込み駐車したりするという話を聞いたことがあるし、フランスでの実例をテレビでみたことがある。

 たかがしれた車と言えばこの頃の車デザイン悪いなあ。特にヘッドライトが大きく一体化した前照灯周辺がきらいだ。目が釣り上がったようなのが主流になっていないか。ぎすぎすした悪い顔つきをしている。丸いヘッドライトの可愛い顔の車が無くなったようだ。又、個性的なデザインもきらわれるようだ。すぐ平凡な形になってしまう。要求する者が悪いのか、与える者が悪いのか。

 誰も彼もがたかがしれたこんな車を持ち、車中心で物事を考えることが普通の時代である。当然公共交通機関の利用が減りそれは衰退していく。公共交通機関を利用していた者はもう見捨てられたようなもので、それに交通弱者という言葉を作ったりしてしまう。その為の対策を求めてもそこは少数派、大声にはならないからニュースにもならない。車社会はこんな結果を出してしまったのだ。こんな弱者を切り捨ててしまう社会はまともであるはずはない。道路問題しかり、車社会の問題しかり、それらの影の部分はずっと見続けなくてはならないのだ。

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