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『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(53)**「小火(ぼや)の会」**<2013.1.Vol.76>

2013年01月07日 | 斑猫独語

「小火(ぼや)の会」

澤山輝彦

  「大体やなあ、北斎が描いた時代と今とは何もかも違うんじゃ、それをやなあ、コンピューターで分析中華(ちゅうかという言葉を漢字変換してしまったのである)再現ちゅうかしてやなあ、ここから富士山はみえへん、とかこう見えるとか言うてんのんやけど、いらんお世話やで」真昼亭独鯉さんは名の通り真昼から気炎を上げている。地域コミュニテイの小集団「小火の会」誰も聞いてくれないぼやきを持ちより、うっぷんを晴らす会の巳年初集会の場である。こんな会、上手く行くのかなあとの心配はよそに、案外笑いのほうが勝ったりしてうまくいっている。それぞれ雅号をつけて呼びあうことで、職業を密かに証したり、主義主張を微妙にオブラートで包んだりしている。瀬鯉上人、藪亭逸舎、護憲亭窮状、大痔林国文、蝶立亭美蛙乃など本人自ら、また人から勧められてつけた号を持っている。ところでオブラートだが、粉薬を飲むのに子供の時よく使ったものだ。今でも使われているのかな。これが日本人の医者の発明だということをつい最近知った。

 独鯉さんは、NHKテレビ日曜美術館をみてぼやいているのだ。北斎の富岳三十六景を富士山の存在だけに目をやる見方が気にくわないようだ。あの絵には人が描いてある。あの人達の存在を見ないで富士山だけを見るのはナンセンスだと言うのだ。そんな人の中に、富士山に目をむけていない人のあることが面白いのだそうだ。そう言えば絵の中の人物で富士山を見ていない人がけっこういるのだ。富士山がどうしたと言うのだ、俺たちにはいつもの風景なのだ、それを背景に働いているのだ、そんな風に見える絵がたしかにある。面白い指摘だ。図書館へ行って一度富岳三十六景を完全に見てみよう、今年一月の課題が出来たようだ。

 「小火の会」の会則はただ一つ決して他人のぼやきに憤慨しないこと。それはそれで聞くこと、このことはぼやいてはならない。これをぼやく人はもっと大きな火を焚く会に入ることをすすめている。

 近所で小火があった。小火より小さい微小火だったようだが、消防車が二台やってきてあたりは騒然とした、かと言えばそうではなくえらく静かだったのだ。無関心なのかこれが平常心なのか、私は野次馬根性が旺盛だから、次回「小火の会」では、なぜみんなもっと野次馬にならないのか、とぼやくことにきめた。

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『みちしるべ』斑猫独語(52)**目は口ほどにものを言う**<2012.11. Vol.75>

2012年11月05日 | 斑猫独語

目は口ほどにものを言う

≪人間は戦争する為に動物を利用した≫

澤山輝彦

 歴史を見れば人間はたくさん戦争をしてきた。戦争に勝つために様々な兵器を考案した。また機械ではない動物も使ったのである。大きな動物は人より力が強かったし、脅しもきいたのだ。ハンニバルがアルプス超えをした戦で戦争用の象をつれていたことは世界史の時間に聞いた。近代戦では軍馬、軍用犬などが前線で働いたし、軍需用皮革、羽毛の供給の為に飼育された動物なども間接的に戦争に加担する働きをさせられたのである。太平洋戦争中、今の羽曳野市、古市あたりに私は母と妹と三人で疎開していた。その時、近くにヌートリアを飼っていたプールがあり、そこで泳いでいるヌートリアをよく見に行った。あれは兵隊用の脚絆等をつくるために飼われていたのだと少し大きくなってから母から聞いた。(こんなヌートリア達が昨今の迷惑動物となった先祖なのかもしれない)科学技術の進んだ21世紀にもなればもう昔のように動物を利用しなければならない戦争などないだろう。そこで、過去の戦争における動物の働きを反省方々記録することが行われ、それが物語になったり、映画化されたりするのである。そんな物の一つとしてスピルバーグ監督の映画『戦火の馬』があった。私は宝塚のシネ・ピピアでそれを見た。

 第一次世界大戦、ヨーロッパの戦線に送られた馬の話である。戦争にかり出された馬は数千数万頭いただろう。その中の一頭と飼い主の少年とが主人公の話である。農耕馬として不適当と見られた馬が飼い主の少年と心を通わせいい馬になって行く。その馬が徴用され戦場に送られ苦労を重ねる。口がきけたらどんなセリフをはくのだろうと思った。少年(彼も大きくなっているから青年か)もやがて兵隊になりこれも苦しい戦争をする。塹壕から出れば機関銃の射撃でばたばた打ち倒される。それでも突撃だ。塹壕にただよう毒ガス、こんな戦場を少年の馬は走るのである。やがて毒ガスで目をやられて病院にいる飼い主の少年と馬が出会うというのが大筋だ。戦争場面でたくさんの馬か死んでよこたわっているシーンをみて、映画作りのすごさを感じたし、そんな場面(ここだけではないけど)から厭戦気分が少しでも生まれればそれはそれで娯楽映画も反戦映画になりうると思ったのだった。さて、戦争の為に馬を徴用する、というは勿論我国にもあったことだ。先の映画のように飼育者との別れはあったから、こんな歌が出来たのだろう。ご存じの方もおられるはずだ。「ぬれた子馬のたてがみを、なでりゃ両手に朝の露」という歌詞だった。これは母がよく歌っていたもので、これなどまさに戦火の馬に準ずるものであろう。このあたりはもうすこし深く軍歌などと関連づけて調べる必要があるだろう。この歌のメロディーが春歌になって歌われたのは後年職場の忘年会でのことだった。

 ところで動物の目だが、牛馬の目は大きくぬれていて常に何かを訴えている。もちろん喜びの表情も読み取れるが、つらさ悲しさなども訴えていると見てしまう。牛馬だけではないどんな動物の目も訴える物を持っている。私はそんな目に弱いのだ。活きづくりなんかきらいだ。辛さ悲しさ苦労はいやだ。それらが物語に、映画になって人に訴え、苦しみ悲しみに同情し同化しそれを避ける智恵を考えさせる。戦争の悲惨さを訴えることは、そこから戦争を避け、反戦の考えを生み出す。

 ところが、最近の戦争現場ではそんな相手に同情心がうまれたり、可哀想なんて気をおこさない冷酷な人間になるための教育が行われるという。戦争も目前のむごさを見ることのない距離をおいた電子戦争になっていく。遠くで引く引き金はまったくゲームと同じなのだ。ゲーム感覚で人を殺すのである。こんな時代に反戦を訴えるのに、これまでのような感情をたよりにすることは出来なくなるかもしれない。何か新しいテクニックで反戦を訴えねばならなくなるかもしれない。こんなことはすでに誰かが研究していることだろう。もし、まだなら平和側は戦争したい側に完全に負けていることになる。まあ、私達は戦争は絶対にしてはならない、このことを言い続けるしかないだろう。

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『みちしるべ』斑猫独語(51)**REX8**<2012.9. Vol.74>

2012年09月04日 | 斑猫独語

<REX 8>

澤山輝彦

 オーストリアを知らない人はまあいないだろう。芸術文化の国だ。美術史、音楽史をひもとけばこの国からはキラ星がいっぱい出ているし、世界史上にも様々な足跡を残した国だ。もう一つの大国なのである。だが、この国、今回のロンドンオリンピックでメダルを取った国の中にないのだ。オーストリアがどのように今回のオリンピックと関わったかは知らないが、銅メタル一つないのである。(丁寧に見たつもりですが、もし見落としていたら、ごめんですませてくださいねオーストリアの皆さん)まあ、メダルメダルとがつがつしなかったんだろう。日本では、なでしこなでしことそれしかないのかというような絶叫ぶりと、メタルが取れて当然なのにどうした、という報道ばかりで、それに比べるとオーストリアは清々しい。このへんがちがうのだなあ。まあ、これはメダルの数ゼロから下した私の判断で、オリンピックにオーストリアがどう取り組んだかわからないから言えたものではあるが。

 そんなオーストリアだが、一般観光案内などに紹介されることのない場所、また現地住民にとってもあそこは一寸という所もたくさんあるはずだ。そんな所が出でくるテレビドラマを有線テレビで見つけた。REX8という題のウイーンを舞台にした警察物推理ドラマで、コミックな面もあり、なかでも題名の元になったレックスというシェパードの警察犬が活躍するのが犬好きの私にはなによりで、愛視聴したのである。このドラマに先に書いたウイーンのあんな所、こんな所というのであろう場所が犯罪の場としてよく使われたのである。例えば鉄道の操車場が出てきた。日本ではもう遠の昔に無くなってしまったものだ。そこにこれはロシアから来た貨車だというのが出てきたりする。陸続きのヨーロッパ大陸ならではの舞台である。ウイーンといえばドナウ川だろうか。そこに海港に匹敵するクレーンやコンテナがならぶ港があったのだ。もちろん市内を走るトラムカー(路面電車※)はよくあらわれた。ドラマで垣間見ただけでの判断ではどうかとも思うが、操車場が今もあるということはヨーロッパではまだ鉄道貨物輸送が行われているのだ。市街地交通にトラムカーが堂々と走っている。これらは日本が捨てたものである。この人達は遅れているのだろうか。彼等は貧弱な文明の下で生活しているのだろうか。

 警察ものだから犯罪者や被害者の家、関係する建物などが当然出てきた。ロケではなく、撮影所のセットもあったかもしれないが、人々の生活の場と見ていいだろう。そこに見たのは、壁を飾る絵画の豊富なことと、そのほとんどが抽象画であったことだ。まさに芸術の都ウイーンという言葉がぴったりであった。操車場、トラムカー、日本から見れば旧式とも思われる交通環境を見て、そんなあたりに住む人々が現代的な抽象画を日常に取り入れている、この洗練された精神はどうだ。私達が捨てたもの、それが進歩だと思ってきたことが私達に達成感を与え、華麗な精神を持たせたか。今一度考える必要があるのではないか。
REX8はREX9まで続いて終った寂しい。

※ 日本でもまだ路面電車が走っているところはあります

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『みちしるべ』斑猫独語(50)**匂いは大事**<2012.5&7. Vol.73>

2012年07月07日 | 斑猫独語

<匂いは大事>

澤山輝彦

 杉花粉の飛散がほぼ終り、杉花粉症は楽になるはずなのに、その頃になって黄砂がやって来る。私には黄砂は杉花粉よりやっかいなのだ。そこで一句“仏教の来た道今は黄砂来る”であるからまだ当分アレルギー性鼻炎からは解放されず、点鼻薬やマスクの世話になっている。何かに集中していれば気はまぎれてすむのだが、ぼんやりしている時や深い睡眠の取れない時など、鼻づまりはかなり鬱陶しいものである。

 嗅覚がにぶくなると、物が美味しく食べられない。物を美味しく食べるということは、味覚、嗅覚の二大感覚と共に、舌触り歯ごたえ、見た目も関与する、感覚総出の働きであるのがわかる。嗅覚が鈍ると食事が楽しくなくなる。炊きたてのご飯のあの香りがもう一杯となるのだし、香の物はまさに香りを感じなければ、変な根菜を食べているようなものだ。パンを食べてもコーヒー、紅茶、牛乳いずれも香りがないとただの水、いや水にだって匂いがあるではないか。食べることで嗅覚の鈍い利点はフナズシが平気で食べられることだ。とは言えフナズシなんてそうざらに食べるものでない。これは一度だけ経験があるから書いたまで。さて酒だ。酒も香りで飲むものであるのが分る。匂いにむせると言う感覚なのか、それによって酒量は控える事が出来るが、匂いがしないと、変な水だなあ、という位の感覚でぐいぐいと飲んでしまい深酔いし苦しむことになる。これは何回かの経験があるから書いたもので、杉花粉症発症中の飲酒は十分注意しなければならないのである。おいしくないから飲まない、というのが一番なのだが。妻から、一寸これ匂ってと、総菜や食材の点検を頼まれることがあっても、臭いがしないとなんともならない。腐敗の見分けは臭覚によるところが大である。腐敗した物で死ぬことだってあるかもしれない。死といえば空気中の有毒ガスで臭気のあるものには嗅覚は無くてはならない、これ無ければ死に結びつくのである。

 嗅覚というものの大事さは、こんな事を書き始めるだけでも次から次へとあれもこれも嗅覚がらみのことではないかと、どんどん広がりそうだ。一寸それるがこれも匂い香りがからむこと。色香に迷う、と言う一寸危ない男女の仲を言う言葉があるではないか。嘘か本当か知らないし私には経験のないことだが、この香水の香りは私のではない、なんてことから夫婦喧嘩が始まるという話もある。ここに、五感の他に第六感というものの働きが出てくる。“一寸臭いぞ”と言うのは何も鼻孔粘膜を刺激されて感じるものではない。けれどもこの言葉、他の感覚ではいいあらわせないのではないか。一寸見た、一寸聞いた、では現実だ。一寸臭いとはまったく違う。匂いは大事で面白いのである。

 このように、大切な嗅覚なのだがその割に普段、いの一番の感覚になっていないと思うのだ。例えばこの間の竜巻の被害者の言葉を聞いたが、視覚的聴覚的な言葉はあったが、嗅覚的な言葉は出なかった。まあ臭気は消えるのが早いかもしれないが、きっと土の匂いとか、金属木材の破壊に伴う匂いなどあったはずだ。一つ鼻を効かせて、一瞬を嗅ぎとる人生を送ろうではないか。道路問題ネットワークの私達だ、ここの排気ガス臭いなあ、などと。

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『みちしるべ』斑猫独語(49)**茶人好み**<2012.3. Vol.72>

2012年03月06日 | 斑猫独語

茶人好み

澤山輝彦

 日常茶飯事と言う言葉がある。毎日経験する、ありふれたことを言う。飯を食い、茶を飲むことが珍しい事であれば、毎日毎日感動の連続で疲れはて、人の命は短くなるかもしれない。日本人の平均寿命が延びたのは、身のまわりのなにもかもがたちまち日常茶飯事となってしまい、感動する精神が減ってきているからかもしれない。

 のどの渇きをおさえるためなら水でいい。実際私が子供の頃には鉄管ビールなんて言葉を使って蛇口に口をつけて水道水を飲んだ。国語辞典「大辞林」初版には鉄管ビールは採られていて水道の水を洒落て言った語とある。今時の子供たちは過保護に育てられているからこんなことはしないだろうし、大人だってよほどのことがないかぎり恰好をつけるから鉄管ビールは飲まないだろう。もはや鉄管ビールは死語になる運命だ。そこで、お茶なのだ。果汁飲料、炭酸飲料、コーヒーといろんな飲み物が簡単に手に入る時代だが、やはりお茶がいい。後口のさっぱりした所、冷たくても、温かくても、熱くてもいい所、お茶だ。ペットボトル入りの茶が出来てから、テレビで各種おえらい方々の会議の席に茶のペットボトル出されているのが見えるのはご愛敬だ。茶は値打ちがあるのだ。

 アメリカの独立は茶とかかわっている。この茶は紅茶だが、茶は茶なのである。ボストン茶会事件とかなんとかがおこり、本国イギリスと植民地アメリカが戦争をはじめ、アメリカは独立宣言をするのである。茶から始まった独立戦争中、アメリカはイギリスから海上封鎖される。こんな歴史があるからアメリカはいまだにキューバを封鎖し続けているし、経済制裁だとかなんとかで敵対国に封鎖をしかけるのだが歴史だなあ。その茶会、ティーパーティーは今アメリカの保守的な運動にその名をよみがえらせている。彼等はチェンジのオバマを支持しない。アメリカの振る舞いはイラク戦後もあまり変わっていないと私は思う。内政にも我々には分らない問題があるのだろう、そこに茶会が出てくるのだろう。

 日本でのお茶がらみの歴史の一つに、茶壺道中というのがある。徳川家へ献上されるその年の新茶は壺に入れて権力を笠に着た者達によって人々を見下しながら江戸へ向かったのである。時代劇ではそんな道中で一悶着起きるのだ。これのどこまでが史実であったかは調べてみないとわからないが、そこは時代劇の世界だ。そんな時代劇が消えかかっているという。アメリカの時代劇西部劇はもうとうに消えている。これが時代なのだ。

 食後の一服、休憩の一服、それはいいが、同じ茶でも茶道というものを私はあまり評価しない。こんな事を言うと無知だ、粗雑な奴だ、などと笑われそうだが、茶なんて一寸行儀良く飲んだらそれでいいのではないか。実際千利休はこんな歌を残している。

茶の湯とは ただ湯を沸かし茶をたてて

飲むばかりなる もとを知るべし

 私は日常煎茶や番茶をのんでいる。心斎橋(ここだけとは限らないが昔からずっとそう思い込んでいる)のお茶屋さんの前を通ると茶を焙じるいい香りがしてくる。あの時は無性にお茶が飲みたくなる。ここでお茶とお酒のコラボ、私の創作カクテルを一つ紹介する。

 抹茶碗にたてた茶に2~3㏄のジンを入れる、ただそれだけのことである。ほとんど茶である。たくさん飲むと後で酔いがでる。“茶人好み”と名付けた。

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『みちしるべ』斑猫独語(48)**<2011.11.&2012.1. Vol.71>

2012年01月06日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<道はあるくもの>

 たとへば、家から近くの郵便局へ行くとすると、行きと帰りは同じ道を通らない、回り道をして帰ってくることもあるし、時間や用件にもよるが、最寄りの駅へ行くのにもこの方法で行き帰りすることもある。こんなことが面白いのだ。

 知らない所を訪ねる場合、この方法を試みるとそれが近場であっても一寸した旅をしているような気分になったりする。電車はさすがに駅間距離が長いからよほど時間の余裕と天候、健康状態が良好でないと後にさしつかえることがあるから注意が必要だが、街の中で地下鉄やバスで移動するなら駅、停留場は一つくらい手前で降りて目的地へ向かうこれがいいのである。そこからとる道も一筋二筋、表通りをはずして路地をとおったりするとなおさらいいのだ。

 尼崎で『みちしるべ』の印刷を手伝った帰り、宝塚市立病院に入院している妹を見舞いに行くことにした。市立病院など目印として大きなものは大体の位置の見当をつけて向かえば十分辿り着くので、その日もそのつもりで阪急宝塚へまず出ればいいと思っていたのでそのことを話すと、阪急宝塚からは遠いと言われ地図をみれば小浜にあることがわかり、尼宝線で行けば小浜バス停が最寄りであることがわかった。尼宝線は拡幅問題やY電器の開店問題などで、わがネットワークの検討対象になったまいどの道路である。そんなことの色々を考えながらバスに乗っていたが、先に書いた方法を楽しもうと、小浜の手前安倉で降りた。ところがここにはあまりいい道がない。しかたなくバス道を歩いたが、Y電器の前を過ぎてここだったのか、あの頃ここを問題にされた方は今どうされているのかな、など思いながら歩いた。そして目的地の市立病院へは、行く手を工場、高速道路にはばまれ、これは迂回にちかい道をとってたどりついたのだ。この場合読みが甘かったかもしれないが、迂回させられたこと、それも高速道路の長い壁によるには、先のまわり道の楽しみはなかった。

 盛り土による道路の造成は土地を二分してしまう。盛り土ではなくても車線の多い道路でも同じことだ。地域によっては行き来も出来なくなってしまうくらいの物になるのである。またこんな道路は景観を台無しにしてしまう。刑務所の壁なんか鬱陶しいものだろうが、道路が遮ってしまう景色も鬱陶しいものである。騒音、排気ガス、交通量などは問題としてとらえられ数量的に検討することが出来るが、景観というようなものは数値に変換出来ないものだから、やっかいである。でもこのことは十分気をつけないと人の心、情緒、文化を破壊してしまう。広島県福山の鞆の浦などよくがんばっている。たかが、自動車交通の利便のため文化遺産の風景を壊してしまってはならないのである。

 娘は(私の姪だ)売布神社から歩いて来ると妹が言ったので帰りは私も売布神社へ出ることにした。これは旅的な帰路となった。小浜宿の跡をみたりして、調子にのりすぎて、見当を誤りついたのは清荒神であった。近々お参りと、鐵齋美術館を訪ねてみよう。

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『みちしるべ』斑猫独語(47)**<2011.9. Vol.70>

2011年09月05日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<節電の夏>

 今年はクマゼミが庭の木へ来てよく鳴きました。こいつはどう聞いてもやかましい。聞く度にやかましさを再確認しました。こんなクマゼミに負けずおとらず節電節電の声もけっこうやかましく、なかでもクーラーの使用をひかえようという声がよくひびいたようでした。

 クーラーへの依存を少しでも抑えようという魂胆から、窓際にゴーヤーやフウセンカズラなどを植えよう、緑のカーテンを作ろう、なんてことを新聞が書き立て、テレビでも放送したものですから、妻もその気になり、緑のカーテン作りが私にまわってきました。ぐずぐずしていて、やっととりかかれば種も苗も売り切れの店ばかり、マスコミの威力をまざまざと感じると共に、勝手なもんで自分のぐずぐずを棚にあげ少々がっかりもしました。今年のカーテンはあきらめようとしていたところ、七月の末頃だったか花屋の店頭にひょろひょろのゴーヤーの苗が売られている、三本買って帰り植えました。

 今、それらはカーテンの役目を果たす大きさにはなっていませんが、それなりに実をつけました。5cmと7cmほどの二つで、大きくなるのを見て楽しんでいます。そんな時、Fさんが、畑になったものだと大きなものを三つ下さいました。早速ゴーヤーチャンプルでいただきました。ちゃんと時期通りやっていれば我家でも今頃収穫出来ていたかもしれません。

 クーラー、我家にはありません。ずっとノークーラーを貫いています。妻や子供もなんとかついて来てくれました。子供は妻にクーラーがほしいと言っていたそうですが、私には言いませんでした。頑固な親父だと思っていたかもしれません。私はクーラー無しを勉強出来ないといういい訳に使ってもいいと思ったりしていたのですが。

 暑い夏は暑い暑いと言ってすごす。日影を喜び、時に吹く冷たく感じる風を喜ぶ。扇子、団扇、まあ扇風機も入れよう、日がかげれば昔にかえって冷たい柳蔭、そんな小道具が夏を引き立ててくれる、暑い夏もそれはそれでいいものなのです。このことは、どなたにも出来るとは思いません。が、やせ我慢ではなく、実践出来ているから言ったまでで、クーラーの効いた部屋で、無理せんでもええやン、と評されてもいいのです。

 電化生活の利便性が電気の供給量ということで一気に問い直されたのが、今年の夏です。電気会社の言い分を鵜呑みにすることはないと思いますが、利便性に逆にひっかきまわされている生活に反省も必要かと思った夏でした。

 まだまだ残暑きびしく、発達した入道雲を見ることが出来ます。私はそんな雲に人の顔を見つけて楽しんでいます。とくに隈取りを入れた顔を想像するととても楽しいものです。

~平成は炭酸で割る柳蔭~

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『みちしるべ』斑猫独語(46)**<2011.7. Vol.69>

2011年07月04日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<ええこと言いよんで>

 石原慎太郎、橋下徹、両方とも私の好みでない人物だ。しかし、彼等は時に真面目にいいことを言うのである。私がこんなことを言ったところで「いつも真面目じゃわい、おまえに言われる筋はない、ぼけ」といわれたらおしまいだが。

 福島原発事故や菅総理の退陣などメデイアは連日これらの報道にいそがしく、ここにまたお粗末な大臣が出たりして、ついにあきれかえるもひっくりかえって立ち上がり不可能になってしまったそうだ。そんな影にかくれたかのように、排ガス規制違反のいすゞ自動車に関する報道は、はかなく消えてしまったようだ。

 2011年6月4日 東京新聞朝刊、東京都は三日、いすゞ自動車が低公害・低燃費車として昨年5月に売り出した中型トラック「フォワード」(四トン)の車載コンピュータに国の排ガス規制を逃れるようなエンジン制御プログラムが見つかったと発表した。国の適合試験と違う走り方をさせると、規制値の三倍超の窒素酸化物(NOx)が排出されるという。石原慎太郎知事は「規制逃れのいんちき。企業の犯罪だ」と批判している。

 「規制逃れのいんちき。企業の犯罪だ」まるで“みちしるべ”に投稿する人の言葉ではないか。この発言まったく正しい。どこの知事がこんな発言をようするか、佐賀県知事なんて、貝枝(わかってんねんで)とかいう大臣に出向かれて「原発動かしたれや」と言われれば「そうやなあ」なんてすぐのってしまうのだからなあ。

 知事に企業の犯罪だと言われたいすゞ自動車は、6月3日付けで国土交通省に改善対策届出をしているが、発見の動機という欄に、東京都の指摘及び社内情報によると書いてあるのだ。いったい社内情報というものがいつ、どこで出たのか、そいつがわかれは面白いのだが。そこは書いてない。

 さて、近場の橋下知事だが、彼の脱原発についての発言、これはなかなかのものである。同じ時期、関西電力筆頭株主の代表である大阪市長の発言にくらべると、これは雲泥の差と言う言葉を使ってもいいものである。いつも橋下に言い負けているような大阪市長で、橋下きらいだから応援してやりたいと思っていたのに、これではどうにもならない。

 ただ、橋下については、知事選にたしか100%以上の確率でもって立候補しない、と言いきっておきながら立候補した経緯がある。私が橋下を嫌うのはここだ。こんなところから、いつか原発容認に鞍替えするのではないか、という不信感は除くことが出来ない。でもまあ今の所はその言を信じておこう。脱原発の橋下はいいのである。

 電力事情が悪くなれば、それはそれでそこそこの仕事をしようではないか、という考え方は自動車産業(他の各種産業にもあるが今は自動車産業に代表してもらう)には無い。土日に仕事をし、木金休む、そんな手を考え付くのである。労働者の事情なんておかまいなしだ。まったく労働者はなめられているのだ。それとも労働者も「それでいいのだ」とバカボンパパのようになってしまったのか。

 福島原発事故を機会に脱原発に向かう、これが正常な人間の考え方である。考えなくても正しい感覚が働けばそうなるはずだ。第二次世界大戦のかつての同盟国であったドイツとイタリアが早々と脱原発に向かったのである。なぜか、ヨーロッパ戦線ではパルチザンが生まれた。ムッソリーニ、ヒトラーがそれを生んだのである。皮肉にも、正しいことをやり通すためには武器を持って命がけで反抗するという根性を植え付けたのだ。この根性が遺伝子として体内にあるからである。日本にはこれがなかった。(これは私が勝手に考えたことだから、よそで言わん方がよろしい。誰がそんなこと言うもんか、それであなたは正常である)そして何事にも甘く“和”という語でもって良しとする精神が必要以上に育ってしまい、のど元を過ぎてもいない原発問題をかかえながら、早々と運転再開を認めようという動きが湧いてくるのだから言葉を失う。もっともここには金がからんでいるようだ。なさけない次第である。電気会社のおこぼれでどんな良いことがあったのだ。それも事故発生でぱーではないか。戦時のように銃を手に命がけで反抗をするのではない、脱原発を言うのに、何を躊躇するのだ。それに加担するのにどれだけの覚悟がいるのだ。本当に電力不足が起きれば少々生活環境は今より劣り不便になる面だってあるだろう。就業の不安定から所得が減ることが生じるかもしれない。でもただそれだけのことではないか。

 原発が動きだすと、廃棄物が出る。それは未来永劫放射能の消えることのない、放射性廃棄物なのだ。その影響に恐れおののきながら生きねばならない未来の人々のことを考えてもみよ。

 日本人が世界で大手を振って歩くためには、いすゞの責任はもちろん、福島原発事故を徹底的に検証し、それを脱原発につなぐことが絶対条件となるのである。

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『みちしるべ』斑猫独語(45)**<2011.3.&5. Vol.68>

2011年05月06日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<切手収集という趣味があった>

 チケットショップ(金券ショップとも言う)、私が使っている二昔前の大辞林(1988年版)にこの語は無いが、広辞苑の最新版には有る。チケットショップは今ではざらで、社会的に認められた存在になっているのだ。そんなチケットショップで郵便切手が売られていることがある。数年前に発行された記念切手などが額面より安く売られているのだ。何十年前のことになるか、切手収集をしていた時のことを思うとこの安さは考えられないことなのだ。

 切手収集趣味の歴史は古く、私がそれを始めた頃には、趣味は切手収集です、という人はいっぱいいたし、有名人が趣味は切手収集です、と答えたりしていたのである。

 その頃、記念切手の発行日にはそれを買うため郵便局に行列が出来たりしたもので、私達子供は一枚か二枚ぐらいしか買えなかったが、投機対象としてシートごと買っている人達もいたのである。中学生の時、昼休みにたしかレスリングの国際試合を記念する切手を買いに行き、午後の授業に遅れてしかられたことがあった。自分で買えない時には母に頼んだりした。そうしないと、すぐ切手商のショウウインドウに額面を超えた値段で並んでしまうのである。その頃の記念切手にはそれだけ値打があったのだ。それが今額面を割る値段で売られている。なんでだろ。いろんなことが考えられるがとにかく切手に値打がなくなってしまったのだ。そんな切手など集めても仕方がない、今では切手収集という趣味の世界は少数派のものになってしまった。まあ、他に面白いものがいっぱいあるからしょうがないのかなあ。

 切手収集を勧める言葉に“切手で知る世界”というのがあった。私にはこの言葉はその通りに作用した。世界のことをいろいろ知ることが出来たし、覚えたのであった。

 例えば、アジア、アフリカの植民地のほとんどが独立したが、その前と後、宗主国と独立後の国名等を自然に覚えたし、セルビアやモンテネグロなどユーゴスラビア建国と解体にからんで聞いた国々のことも、それらの国の切手を持っていたので、少しは知っていた。博物学的興味をかきたてる切手もたくさんあったし、デザイン感覚を養うのに良いものも多くあった。私には楽しくあれこれ役にたった趣味であった。

 郵便切手とは郵便料金を払ったことを証明する証紙である。極論すれば料金が読める数字さえあればいいのである。実に郵便局でのメータースタンプがそうであるし、クロネコメール便もバーコードだけである。だが、最初の切手、英国で発行されたものに国王の肖像が入ったのである。こんな始まりがあったものだから、数字だけというものの方が少数派、特殊なものになり、切手は様々な図柄を持つようになり、収集の対象になったのである。そして今では濫発ではないかと思われるくらい次々と切手が出る。濫発では面白さに欠ける。なぜこの切手が発行されたのか、その意味すらはっきりしないものまであるのだ。

 「そんな事分からんのか。儲けるためやないか、小さな切手一枚刷ってなんぼやおもてんねん、その一枚が80円や120円で売れるのだ、儲かるやろ」人々はそんな心を見抜いたのである。そんな物に見向きもしなくなったのだ。ここに切手収集趣味が下火になった原因の一つがある、と私は確信しているのだ。

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『みちしるべ』斑猫独語(44)**<2011.3.&5. Vol.68>

2011年05月02日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<言行一致>

 福島原発事故は「想定外」の津波による天災とする考え方に立った人もいたようだが、事故発生から一月もたち、何がどうなったのか、そこがはっきり知れて来るとさすがに「天災だった」と言う人は影を潜めたようだ。あれは人災だったのだ。原発は安全だ、心配ないと言って人々を安心させて造ったはずなのに安全ではなかったのだ。大きな津波が来るかもしれない、ということを気にもかけず、注意をおこたって来たことがこの災害をうんだのだから、これはもうはっきり人災なのだ。そして補償という言葉まで東電から出るようになったのである。

 それにしてもあの事故の始めの頃、テレビのニュース番組で原発や放射能について語っていた科学者たち、彼等のほとんどは平気な顔で大丈夫、大したことはない、と言っていたのではなかったか。あれは人を欺きおとしいれる犯罪だと私は憤慨していたのである。ある民放の番組に出ていた学者が「あの放射能ぐらいなら何も心配はいらないのだ」と座して言ったのをとらえて同じ番組に出ていた芸人が「先生それもっと大声で前で言いなはれ」と言ったのだが、番組はそれをさせることなく終った。私は腹が立ちTV局に「なぜあの先生にあれを言わせなかったのか」と抗議の電話をした。きれいなお姉さんと思う声の方が、はいはい、と聞いてくれた。それだけだった。NHKでも腹が立つことがあった。これもさる学者が半径30Km内なんてなんでもないと言うではないか。私はこれには電子メールを送った。その先生を半径30Km内で生活させその映像を映せ、それは説得力を持ったものになると。これをお姉さんが読んでくれたか、おじさんがよんでくれたか、分からず終いである。まあ当座のうっぷん晴らしにはなったけれど。

 人をあげつらいこうは言っても、私自身あまり大きなことは言えないと内心忸怩たるものがある。なぜなら、たった一行か二行の原発反対の署名をしたことで、私は反原発である、と思っておりながら、私の日常はこの福島原発事故が起きるまで原発の危険な存在について考えてもいなかったのと全く同じだったのである。これでは原発推進者とどこもちがわないのだ。ここに来て、私は何々に反対する、と言うことの重さ、真剣さ、を考え直さねばならないと肝に銘じたのである。

 山手幹線反対運動は私達の仲間が本当の反対を身をもって展開した貴重なものであった。私もかすかにかかわれたことを誇りに思うのである。これからは何事においても言行一致の行動をとるのが、自分に正直であり、健全な精神が健康な体を呼ぶのである。そしてそんな仲間たちと楽しく酒を呑みたいものだ。あ、禁酒節酒の誓いを破らねばならない、言行一致の難しさ目の前に現れたではないか。まだまだ笑われる姿がちらつくようで。

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