壱岐の宿で目覚めると快晴。
朝イチは勝本城址。
北端の港に築かれた勝本城、秀吉の朝鮮出兵の中継基地として平戸の松浦家、有馬や大村、五島などこの海域に詳しい大名によって築かれた。
城山はそれほど標高は高くなく防御というよりも港と海域の監視が目的だったのだろう。
本丸には稲荷神社が鎮座している。
石垣もそこそこ残っている。
芭蕉の門人、曽良は勝本の港町で病没した。
墓がこのあたりにあるというので少し探してみたが見つからなかった。
通りがかりの近所のおばさんもよく知らないらしい。
続いて掛木古墳。
直径30mほどの円墳で石室もよく残っている。
壱岐は、こうした古墳の他に高いところからはながめる風景、神社のたたずまいなど明日香あたりの光景を思い出してしまう。
港へ行く途中、印通寺港に寄ってみた。
「街道をゆく」の壱岐対馬編で司馬さんが見つけた「唐人神」を私も見つけた。
通りから入ったところにある何ということのない祠である。
祀る神がおもしろく漂流していた人間の下半身、つまり陰陽の性器が御神体。
高速船の乗船時間が12:00なので最後に岳ノ辻展望台から壱岐をながめる。
わずか1泊2日の短い間だったが壱岐はほんとうにのどかないい島である。
淡々と古跡を巡る時間が実に心地よかった。
ジェットフォイルがしずしずとやってきた。
定刻通りに出航。
波が荒いという玄界灘も今日は平穏。
かつて旧帝国海軍連合艦隊とロシアバルチック艦隊の死闘が行われた海域である。
対馬と壱岐の間を通って行ったバルチック艦隊は沖ノ島あたりで連合艦隊に捕捉され、ほとんどが沈んだ。
海上故、何も痕跡はないがそれが却って妄想をかきたてる。
遣唐使船が行き交い、元寇があり、朝鮮出兵がありと最も海難が多かった海域とはここであろう。
亡霊が漂っていそうである。
妄想の時間は1時間もない。
すぐに対馬がみえてきて厳原港に到着。
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