扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

薩摩紀行六日目③ 箱崎八幡神社、木牟礼城

2019年05月29日 | 城・城址・古戦場

出水麓を取材撮影して島津本の情報収集は概ね終了。

気が楽になった。

 

今日は人吉に泊まることにしているので半日かけて移動すればよい。

ぶらぶらと進んでいこう。

 

出水麓からほど近いところに箱崎八幡神社がある。

二之鳥居のところに駐車場があった。

少し歩くと一対の大きな鶴が狛犬のように出迎えてくれる。

出水はツルの飛来地として有名、シベリアから一万羽がやってくるという。

 

 

箱崎神社は日本一大きな鈴があることでも有名。

それは神門の頭上にぶら下げられている。

 

社伝によれば始祖島津忠久が薩摩下向の際、博多沖で強風に遭い筥崎八幡宮に誓願したところ難を逃れたことで感謝し、この地に箱崎神社を勧請したのだという。

 

神社から西へ平地を行くと木牟礼城跡。

島津忠久は源頼朝から島津荘を拝領すると配下の本田貞親を派遣して木牟礼に守護所を設置したという。

通説では初代忠久、2代忠時は鎌倉に出仕し、3代久経が元寇に対応するために下向、4代忠宗、5代貞久と土着していく。

忠久が守護所を置いたという伝承から出水を島津発祥の地とする考え方もある。

そんな由緒の城ではあるが、城跡は田んぼの中にアタマを出した小さな丘の端っこに碑が立つのみでささやかこの上ない。

5代貞久は大変な激動の時期を薩摩で過ごした。

文保2年(1318)に守護職となると元弘の変が起き後醍醐天皇が足利等をさそって倒幕活動を始める。

貞久は鎮西探題を滅ぼすことに貢献した。

首尾良く建武新政が始まったのもつかの間、後醍醐帝と尊氏が不仲となると北朝側について南朝側と戦った。

その後南朝優勢になる苦しい時期を乗り切り死の直前、薩摩守護職を師久に大隅守護職を氏久に譲った。

守護職島津家は以後、総州家断絶の後、奥州家薩州家相州家などに分かれ宗家の座を巡って長らく抗争状況に入る。

 


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