扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

私のこころ -初志とは-

2003年10月17日 | 来た道

会社を創った。
今日が創立記念日である。

どうしてこんなことになったか。

私は1987年に社会に出たのであるが就職活動をおろそかにした。
名古屋のNTTに入社したもののとても真面目に勤め人をやったとはいえなかった気がする。

NTTというのは大変大らかな会社であった。
通話料金をなかなか下げなかったり、とても国民の方を向いているとは言い難い事業運営をする会社ではあるが、私のような者でも拒まず雇うような懐の深さがあった。
私はこの公社から民営化されたばかりの「お役所」で「食客」のようなものであったろう。

NTTには都合13年いた。
小僧時代からすぐ東京に出され、グループ会社に出向し、広告・PR、出版とマーケティングリサーチをやった。

折しもバブル景気到来中であった。

残念ながらさほどに浮かれることも財を築くこともできず、狂乱の社会をよそ目によく徹夜で企画書を書き、レポートを書いた。
何もしなくとも仕事があふれ、マーケティングリサーチャーとしては至福の時を過ごした。
自分が知りたいことを知るために調査を企業に提案し、生きたいところに行くためにフィールド調査の必要性を説いた。
最も仕事が楽しく、また増長した頃でもあったろう。

しかし、30才を超えるころになるとNTTに戻される。
管理が仕事になった。
元々、管理をしたくて社会に出たわけでもない。
なぜ自分はここにいるか。悩み、そして初心に返るつもりでNTTを辞め、他の会社で多少の仕事をした。

私の初心とは何だったか。

物心ついた頃、私は猛烈に本を読んだ。おかげで日本史、世界史はさほど勉強をせずとも常にほぼ満点であった。
私にとって歴史とは勉強するものではなく哲学の延長であった。自分を知ることといってもよい。
何故、私はこんなことをしているのであろうか。誰にあるいは何に動かされているのであろうか。
この気持ち悪さが常にあった。
死ぬまでに解決したい。
仕事にせよ、趣味にせよ。そのために生きているような気がいまだに離れない。
初志といえる。

多少自慢になるが、大学受験は楽だった。
嫌みかと思うがどこの大学でも受かったろう。
私は地元でも東京ではなく京都を選んだ。

幕末にかぶれていた頃、京都の東山から市街を見て「ここに来るのだ」と思い、そうなった。

今ひとつ、初志とは別に「夢」があった。
それは本を書くことである。

初志と夢、これをかなえるために会社を興した。

ネコが激励に現れた。

福を招いてくれるかもしれない。


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