扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

北関東周遊 #4 続日本100名城No.114 唐沢山城

2020年11月04日 | 日本100名城・続100名城

世良田から新田荘を行き足利に入る。

ちょうど関東平野の北の端、赤城山の裾野を回って行くと唐沢山城址。

市街地から北上して城山に入っていくとなかなかの登山ルート。

クネクネと曲がる道を行き、標高247mの山頂に着くと城址入口。

唐沢山城は中世の名城のひとつであるが現在では神社の方で有名らしい。

広大な駐車場があり土産物売場も観光地然としている。

 

唐沢山城は上杉謙信が傘下の国衆を率いて猛攻数度、ついに落とせなかった城として名高い。

城の始まりは延長年間に俵藤太藤原秀郷が築城したことで、その子孫佐野氏が居城として手を入れ続けた。

佐野氏は鎌倉公方と管領上杉氏らが始めた関東争乱、北条氏の野望に巻き込まれたものの上手く生き延びた。

立地上、上杉謙信の関東乱入の際には真っ先に攻められる運命にあり雪解けの頃になると謙信がやってきて猛攻を加えられた。

以後、謙信に囲まれれば帰順、上杉が春日山に帰ってしまえば北条方に復すといった外交術で謙信をいらだたせた。

結局謙信は唐沢山城を落とせなかったのである。

その秘訣は城の縄張にあることは登城していくルートですでに解りかけた。

城の虎口にたどり着くまでにひと山登ってくればよいという訳にはいかず複雑かつ急峻な地形を押し登らねばならない。

楠木正成の千早城を攻める幕府方のような様相であったかもしれない。

 

 

さてレストハウスの駐車場の端が虎口、喰違となっていて桝形のように作られている。

ここが西城、堀切にかかった橋を渡ると本丸を含む主要部となる腰曲輪が続いていて南城に至る。

この間上からは横矢が常時かけられるように設計されている。

社務所があるところが南城、眺望が開けていて関東平野を一望、はるかに箱根の方まで見通せる。

謙信に攻められていれば頼みは北条勢の後詰め、援軍はいかにという気分を目にできることは城兵の士気に影響しただろう。

本丸には神社社殿が置かれていてその周囲には高石垣が巡っている。

佐野氏の治世に築かれたものではなさそうで神社整備の際に整備されたのではなかろうか。

防衛上、石垣は関東においては効果は薄く土造りの土塁の方が山城では攻めにくい。

本丸は二の丸を始め堀切で分断された小さな曲輪が取り囲んでいる。

駐車場からは高低差はそれほどでもなく見物に体力が必要でもない。

天気がよければ眺望もよく山城好きには格好のいい城といえよう。

城跡のあちこちに野良ネコが参集しており壮観。

居心地がいいのか人々の世話が行き届いているのかどのネコも丸々と太りのんびりしている。

 

 

動画リンク

https://youtu.be/R7DxKfvCFkk


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