米沢の取材は会津同様順調。
次は山形である。
米沢を出る前に直江兼続が築かせたという石堤を見に行く。
直江兼続は米沢の暴れ川に石堤を用いた。
城の石垣のように丸石を積み上げるもので工事には武家も参加したという。
現在ではごく一部が残るのみで往時の様相を残してはいない。
さて、山形市は米沢から北へ50kmほど、南陽市、上山市と抜けると山形市内。
山形に来た目的は伊達氏と抗争した最上氏のこと、それに天童市を訪ねることにある。
山形の戦国最終局面は最上対伊達の構図となった。
この両者は微妙な関係で最上義光の妹婿が伊達政宗。
かつて1987年の大河ドラマ「独眼竜政宗」の舞台のひとつが山形あたりである。
政宗のライバル最上義光は一代で最上氏を復興した地元の英雄。
最上氏は足利一族斯波氏のひとつ。
南北朝時代に北畠顕家と争った斯波兼頼が奥州に下向、山形城を築いた。
斯波氏は奥州探題に大崎氏、羽州探題に最上氏と土地の名を持つ枝族に支配させこれが戦国時代の下地になった。
最上氏は寒河江氏、長井氏、天童氏など現在の市長村名を名乗る国衆を従えていく。
その完成形が義光となる。
最上といえば最上川、芭蕉の句でも名高い。
その辺、土地勘を養いつつ歩いてみたい。
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