「あんどりいらんど。」のannさんの力強い歌声に導かれて、山をころころ駆け上がり…。山本真平さんのつくりあげたポップで色とりどりの音符たちにいざなわれて山をころころ駆け下りた…。心地よい疲れと、冷めることのない興奮が今も身体に残っている。私にとって、今日のライブ体験は、そんな感じ。実際には、その場で、跳んではねてただけなんだけど。山のてっぺんでは、空に手が届かないかって . . . 本文を読む
歌舞伎役者で女形の坂東玉三郎さんにスポットを当てる。赤色のあでやかな衣装に身を包み、きんきらの髪飾りのついたかつらをかぶり、華麗に踊る玉三郎さんの踊り(鷺娘)で映画は始まる。同じ舞台の下(奈落)を、素の顔、男の姿の玉三郎さんが歩いていく。ドキュメンタリーとフィクションの境目。舞台の上からは、玉三郎さんが演じている鷺娘の曲が聞こえてくるから、玉三郎さんの顔を知らないと、別の人と間違えてしまう。
舞 . . . 本文を読む
大野一雄さんが晴海埠頭で踊っている。ゆっくりとした動き。その細い手は何に触れようとしているのか。その腕はどこに向かって伸びているのか。七分袖の黒いドレスから突き出した細い腕。大きな花飾りのついた帽子にシンプルな黒いドレスがきれい。カメラはゆっくりと、たゆたうように動いていく。夕闇が迫り、大野さんの表情はぼんやりとしてわからない。バックにみえる高速道路の橋や船も、どこかかすんでいる。はかなさ、もろさ . . . 本文を読む
酒好きな仲良し老人仲間が出てくる映画は大好きだ。日曜日、地中海映画祭の1本。マルセル・パニョル監督、1935年の白黒作品。
マルセイユの港町で安い居酒屋を営むセザール。飲み仲間、カード仲間のパニスは病で死の床に。司祭を呼びにいくため、太っちょの身体でえっちらおっちら汗かきながら歩くセザールの姿から、映画は始まる。司祭がパニスの家にわざとらしくやって来ると、死期を悟らせてしまうから、偶然立ち寄った . . . 本文を読む
19日、地中海映画祭が大阪、空中庭園ビルのガーデンシネマで始まった。ちょうど2年前にプラネットで観て記憶もわりと鮮明な作品。(当時の感想)ライヴに行った後、映画館に向かって歩きながら、グランフロントのあまりの人混みに、途中で引き返したものの喫茶店であれこれやっているうちに、元気が出てきて、やっぱり観に行ってしまった。
クスクス料理を看板にオープンした船上レストランの開店パーティで料理の上手な前妻 . . . 本文を読む
あんぱんまんが自分の顔をちぎって、子どもにパンを分け与えたように、今日、弾き語りで聴いたannさんの歌は心をちぎって、礫(つぶて)にして、観客の心に投げかけてきたようなそんな気がした。
ごつごつしたその固まりの感触は、生きることの“ごつごつ”した感じに似ていて、心にリアルに響く。生きることは楽しいことばかりじゃなくて、辛いことも多いけれど、笑顔を忘れないで、今、このときを . . . 本文を読む
画面の中、向き合って座っているダンサーの女の子二人。言葉もなく、沈黙の時間が流れる。じっと座っている彼女を正面からとらえた映像から、ものすごくダンスを感じた。身体の中から今にも何かが出てきそうな予感、既に、身体の中には、うごめくものがあって、すごくダンスしていそうにみえる。じっとして、動いてないのに、すごくダンスを感じたのはなぜだろう。
18日(金)の夜、神戸ドキュメンタリー映画祭のオープニング . . . 本文を読む
8月31日に大阪の中津で開催されたLink!LIVEについては、4回にわたりご紹介させていただいたところですが、当日、道に迷い遅刻してしまって、最初のユニットの演奏を聴くことができずにいました。主宰のチェシャ猫さんが、ライブの映像を送ってくださり、すっかり遅くなりましたが、トップバッターの女性ユニットをご紹介したいと思います。「Katze und Baer」ドイツ語の猫と熊という意味です。結成して . . . 本文を読む
「子供は子供だったころ腕をブラブラさせ小川は川になれ 川は大河になれ水たまりは海になれと思った
子供は子供だったころ自分が子供とは知らずすべてに魂があり魂はひとつと思っていた子供は子供だったころなにも考えず 癖もなにもなくてあぐらをかいたりとびはねて小さな頭に大きなつむじカメラを向けても知らぬ顔」『ベルリン 天使の詩』(ヴィム・ベンダース監督)(天使が人間の女性に恋をして天使の身分を捨ててしまう . . . 本文を読む
この映画に出てくる、どの登場人物も、ひとりを抱きしめている…そんな感じがする。ひとりであること、ひとりでいること、ひとりの時間を抱きしめる。徹底的な孤独。
大人になることは、きっと、自分だけの深い穴を掘っていくこと。その穴には、悲しみや怒りや切なさや、いろんな思い出がいっぱいつまっていて、年をとればとるほど、どんどん深くなっていく。
孤独という名のその穴は、決して人に見せることは . . . 本文を読む
観終わって、映画の中の登場人物たちの心意気、愛情、生き様、いろんな心情が怒涛のごとく一気に押し寄せてきて、イギリス、ウェールズ地方の民謡の歌声と重なり合い、歩きながら、ただもう涙があふれてきて、しかたがなかった。どんな絆よりも深く強い何かを映画との間に感じた。私の中の私が、どうしようもなく映画の中の魂と結びついた。求めてやまないものが、流れている。“父なるもの”&helli . . . 本文を読む
南北戦争から40年後も、アメリカ南部の田舎町では、黒人への人種差別も根強く残っていた。街には娼館があって、その女主人の娘が、病の身で帰ってきて、そのまますぐ息を引き取る。娘の葬式をきちんとあげたいと、女主人はプリースト判事に相談する。折りしも、街の判事を選ぶ選挙の直前…。
政敵が意気揚々と演説し、楽隊がマーチをかき鳴らす広場に、やおら、棺を載せた白い馬車が、喪服姿の娼婦 . . . 本文を読む
京都みなみ会館での35ミリフィルムでの上映。出発の時間が迫る中、急に襲ってきた睡魔を10分の昼寝に抑え、あわてて家を飛び出る。勇んだわりに、前半ちらりと再び睡魔に襲われたが、それ以降ぎゅっと画面にのみこまれるようにして観た。
いいシーンがいっぱい。エドワード・ヤン監督はもうこの世にいないけれど、(07年6月29日、59歳の若さで癌のため亡くなる)こうして、映画という作品を通じて、監督の魂に触れて . . . 本文を読む
9月21日に神戸で行われたダイアローグカフェの続きです。(前半)
小野さん:農村を訪ねた時、話をする糸口がほしくて「キツネに化かされた人のこと、ご存じありませんか」と尋ねることがあります。つてもなく、私自身、川を渡っていくような気持ちでした。「民話を聞かせてください」と訪ねていくと、最初は半信半疑だった村の人達も、どうやら私が本気だということがわかってくださると、いろいろ昔の民話を思い出しては、 . . . 本文を読む
「民話っていうのは、ものすごく切実な現実を背負いながら、その重みに耐えて生き抜くために、人々の胸のうちに創られたもう一つの世界なのではないか」小野和子さん「『民話』を考える―東北大震災から1年がたって-」から引用
9月21日(土曜日)、神戸で『うたうひと』の上映と、映画に出演された民話採集家の小野和子さんと濱口竜介監督とのダイアローグカフェがあった。
小野さんは、45年余り、民話を聞いて記録を . . . 本文を読む