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小野和子さんと濱口竜介監督のダイアローグカフェ ≪前半≫

「民話っていうのは、ものすごく切実な現実を背負いながら、
その重みに耐えて生き抜くために、
人々の胸のうちに創られたもう一つの世界なのではないか」
小野和子さん「『民話』を考える―東北大震災から1年がたって-」から引用

9月21日(土曜日)、神戸で『うたうひと』の上映と、
映画に出演された民話採集家の小野和子さんと濱口竜介監督との
ダイアローグカフェがあった。

小野さんは、45年余り、民話を聞いて記録を続けてきた方。
見知らぬ町や村を訪ねたり、伝手を得て民話を語られる人に会って、
そこで聞いた民話を記録されてきた。

映画そのまんまの人。
穏やかで、笑顔がすてきで、ざっくばらん。
どの言葉も、ちゃんと小野さんの身体をとおって消化されて出てきている。
だから、
小野さんに受け止めてもらえると思うと、安心して、
自分を出せる、自分の言葉を語れる、そんな気がした。

若い聴衆からのどんな質問にも丁寧に答え、
一つひとつの質問をきちんと聞いて、
答えていく誠実さ、受け皿の広さはすごい。

「形あるものは、全部なくなりました。
でも、じいちゃんに聞いた話(民話)は、私の中に残っていました」
東日本北大震災の後、
そんなことを小野さんに語ってくれた人がいたそうだ。

「みやぎ民話の学校」(さまざまな話や語りを一緒に聞く)
を2年ごとぐらいに開いていて、
2011年8月には、南三陸町で第7回目を開催。
従来の、伝承の語り手から民話を聞く「学校」ではなく、
このときは、
被災された民話の語り手の皆さんから、
被災の体験を語っていただくことを中心にした「学校」にされたそうだ。
数百人が参加、6人ほどの方が語り手になってくれた。
大震災で被災したばかりの、つらく悲惨な出来事を、
まるで、昔話、民話のように語ってくれることに驚いた。
語ることの意味、語るようになれるまでどれほどの涙を流されたか、
人のすごさに驚かれたそうだ。

(以下、それぞれの会話として、ご紹介します。
あくまで私のメモに基づいていますので、
ニュアンスの違いについては、どうぞご理解ください)

小野さん:
「歩き出したら止まらない」性格とでもいうのでしょうか。
学者、研究者、小説家のように、高尚な目的も、立派な肩書きもなく、
一介の主婦が、民話を聞きたいという、ただその一心で、
東北の村をあちこち訪ねていきました。
ただもう民話を聞きたくて来ている、それが出発点です。

得体の知れない、変わり者のような主婦を相手に、
自ら語ってくれる人は、なかなか見つからなかったが、
一度、気持ちが相手に伝わり、通じ合えると、
なぜか不思議な連帯感が生まれ、
お話(民話)を思い出したから、話をしたいといって
葉書が届くこともありました。

かつて、本をつくる仕事に携わっていて、
縁あって仙台に来ました。
絵本の延長で「宮城民話の絵本をつくる会」に入り、
初めて利根郡の古老の話を聞きに行きました。
でも、東北弁がまるでわからなかった。

その老人は、270もの民話を暗記していて、
当時70歳ほどで、ほぼすべてを採録しました。
20年後、90歳の頃にもう一度、話を聞きにいったが、
話の骨格など、ほぼ同じで、
口から耳に伝わる口承文学(民話)のすごさに圧倒されました。

濱口監督:
『うたうひと』の撮影中、果たして
「語っている空間」というものをフィルムに撮れるのだろうかと不安でした。

小野さん:
今まで民話を活字にし、本にしてきましたが、
音として残したいという思いはずっとありました。
映像で撮りたいという思いがあり、濱口監督と通じ合うものがあって、
『うたうひと』という映画づくりにつながった。

濱口監督:
今日、会場で、映画『うたうひと』を観ている小野さんの姿を、
たまたま後ろから拝見して、
映画の中の小野さんと全く同じところで、笑っておられて、感動した。

小野さん:
いつも、初めて聴く気持ちでいます。
語り手は、常に、何かしら、新しいものを出してこられるので、新鮮な驚きがある。
私自身は、演技力なんかなく、本気で笑って本気で反応しています。

濱口監督:
民話の語り手のおじいさん、おばあさんたちは、
小野さんという稀有の優れた聞き手を前にしたら、
同じ言葉(話)の繰り返しではなく、
今、この場にいる人たちに初めて話す気持ちで話せるのではないかと思います。

民話というのが、生き物であり、
まさに“語り”を聞くということを実感した。
小野さんから教えてもらって好きな言葉があるので、ご紹介したい。
「土着の魂 旅人の目」。

小野さん:
たよりない存在で、知らない、わからないことだらけでした。
田んぼや農業も知らないし、村社会特有の争いごとも知らない。
土着にはなりきれないけれど、よそものだからこそみえるもの、
旅人だからこそみえるものはあるはず。
互いの接点を見つけて頑張りたいと思っています。

濱口監督:
知らないということが、力になることもありますが、
知らないで会ったり、聞くことは、怖くなかったですか?

小野さん:
たいした問題ではないのでは、とも思います。
「今の私」でしか聞けないことを、聞くしかありません。
“聞く私”を変えてゆくというセリフが映画にありますが、
聞くことの積極性という側面はあります。
自分が試されるというか、自分自身をつくっていくことで対応するしかありません。
ありのままの私、というだけでは不十分で、無理。
なし崩し的に自分を崩して、相手に立ち向かっていってこそ、
初めて相手が胸を開いてくれる。
それしか方法はなかったし、そのほかに何も知りませんでした。

小さい頃に祖父母から民話を聞いたという体験もなかったですし、
本当に、新鮮な体験でした。

34歳で子どもも3人いて、
小さな子どもを置いて、東北の農村をめぐり民話を集めました。
家族の理解なしではできないことで、
カレーをたくさんつくっては、出かけていきました。
今から思えば、有無を言わさずというところもあったかもしれません(笑)。

当時は、今とちがって、地域の特産品やおみやげも、何もありませんでした。
せめて、みやげがない代わりに、子どもたちには、みやげ話をして聞かせました。
でも、子ども達からは、
「おかあさんの話は、
いつも貧乏なおじいさん、おばあさんが出てくるものばかりだ」と
言われました(笑)。

≪以下 後半へつづく

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