映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No1118-2『書かれた顔』~女形、玉三郎さんの仕草にみとれる~
歌舞伎役者で女形の坂東玉三郎さんにスポットを当てる。
赤色のあでやかな衣装に身を包み、
きんきらの髪飾りのついたかつらをかぶり、
華麗に踊る玉三郎さんの踊り(鷺娘)で映画は始まる。
同じ舞台の下(奈落)を、素の顔、男の姿の玉三郎さんが歩いていく。
ドキュメンタリーとフィクションの境目。
舞台の上からは、玉三郎さんが演じている鷺娘の曲が聞こえてくるから、
玉三郎さんの顔を知らないと、別の人と間違えてしまう。
舞台が終わって、楽屋に戻り、挨拶をひととおり済ませると、
白塗りの化粧を落とす玉三郎さん。
美しい女性が、男性へと変わる瞬間。
化粧を落としたり、あるいは、
化粧をするときの玉三郎さんの手つきが本当に美しくて、うっとりした。
白塗りのはけで、わずか数回で、首回りをきれいに塗ってしまう。
口紅、頬紅、眉と、手慣れた手つきで手際よくいろどっていく。
着物を着るしぐさもすてきだ。
全身鏡、2枚くらいに映して撮るシーンの美しさ。
実物よりも、鏡に映った映像の方がくっきりと照明が当てられたりしていて、おもしろい。
玉三郎さんが女形についてのインタビューに答えるシーンがある。
夕暮れについて聞かれて、思わず照れて、腕に顔を伏せたりするのがかわいい。
女形といっても、実は、女の目で世の中を観たことはないのだ、と言う。
あくまで、男の目から見た、女の理想、エッセンスを演じてきただけ。
武原はん(上方舞の日本舞踊家)さんは、肩幅が広くて、踊りには不向きの体型、
杉村春子(女優)さんは、若い時からお母さんのような役ばかりで、美人でないことを知っていた、
お二人は、自分にできないことを知っていて、だからこそ、自分自身に客観的になれた。
「女だということを一回封じ込めて、まず、材料として横に置いておいて、
自分の目で女をみて、
自分の使える、女みたいなものを、もう一回出してきて料理みたいに使う、
そういう独特な才能を持った人」と語る。
坂東さんは、足をわるくしたから逆に動きに敏感になれた、
女形にしては、身体が大きいから、そのことをうまく料理できるよう、
欠点をプラスにしていくよう、悩んで考えてつくっていったそうだ。
印象的だったのは、
言いたいことがないから、僕は踊ったり、芝居をするだけで、
むしろ、一番言いたいことは、そこで観てくれること。
衣装を着て振り返ったことが一番言いたいことかもしれないとか。
「自分の気持ちに起こった感情、魂、宇宙的なもの、霊感、
そういったものを伝えるために、言葉があるだけで、
本来、言葉は二義的なもの」
私が、大野一雄さんのダンスを見て、感じたこともそういったものかもしれません。
杉村春子さんも、映画のインタビューに答えています。
「女が女をやるとき、どうしてこんなにつまらないのか、精彩がないのか」
男形に学ぶことは多いとか。
撮影当時、杉村春子さんは88歳。
しゃべりながら、扇子をひろげて、また折りたたむ仕草がとってもすてきで粋。
帯にちょいと手をかけたりする仕草が、堂に入っていて
まさに女優さんだと思った。
杉村さん主演の『晩菊』(成瀬巳喜男監督1954年)のシーンが映画で引用される。
杉村さん演じるのは、芸者のおきん。
昔なじみだった男、田部井(上原謙)が久し振りに現れ、
おきんは、嬉しくて舞い上がってしまう。
銭湯から帰って、ほてりを冷ますため、氷をあてる!
女には身づくろいがあるから、ちょっと待ってねと、
にこにこ笑顔で、田部井に言って、ふすまをしめて鏡台に向かう。
このうきうきした感じを、杉村さんはとっても自然に演じていて、チャーミング。
設定をいえば、年増で独身で金貸しの芸者。
田部井は金を借りに来ただけと、後になってわかって、興ざめするという
実に残酷な物語ではある。
それでも、杉村さんの、嬉しさで自然と弾んでしまう声がすてきで、
とてもいいシーン。
話はあちこちいくが、
武原はんさんも88歳で映画に登場する。
着物を着て、かくしゃくとした姿がすてきだった。
そういえば、玉三郎さんのインタビュー場面で、
夕焼けをバックに、うっすらとうつっていたのは、なんと大阪城でした。
なじみのある光景が映画におさめられていることにちょっと感動。
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