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No1117『セザール』~酒好きな老人たちの会話の妙~

酒好きな仲良し老人仲間が出てくる映画は大好きだ。
日曜日、地中海映画祭の1本。
マルセル・パニョル監督、1935年の白黒作品。

マルセイユの港町で安い居酒屋を営むセザール。
飲み仲間、カード仲間のパニスは病で死の床に。
司祭を呼びにいくため、太っちょの身体でえっちらおっちら
汗かきながら歩くセザールの姿から、映画は始まる。

司祭がパニスの家にわざとらしくやって来ると、
死期を悟らせてしまうから、
偶然立ち寄ったかのように、来てほしいと司祭に頼み込むセザール。
こういう老人たちの友情がいい。

セザールがパニスのところに戻ると、
仲間たちが皆集まっていて、
パニスは急に元気になってしゃべりだしたりする。
司祭が来て、医者も来て、と
パニスが亡くなるまでのどたばたが長々と描かれ、楽しいが、
シーンが変わると、あっさり、パニスは亡くなっている。

メインの物語は、パニスの死後に起こる、
パニスとファニーの息子セザリオの出生の秘密をめぐるひと騒動。
セザリオが、実は、セザールが勘当した息子マリウスとファニーの間にできた息子であることを
本人に打ち明けることになる。
セザリオは、トゥーロンにいるマリウスに偽名を使って会いに行き…。

楽しいのは、セザールとその仲間の老人たちとの軽妙な会話のやりとり。
パニスが亡くなり、
残った老人仲間が4人ほどでカードをする。
いつもパニスが座っていた場所は空席で、
そこにもカードを配る。
ゲームを始めるが、
いつしかパニスのカードを全部見せ札にして、
あいつがいたら、これを出して、ここでは、こんなことを言って、
こんなことになっていただろうと、
皆で語り合うシーンのすてきなこと。
空席の椅子が、友の死を浮かび上がらせ、悲しみが募る。

かと思えば、酒は植物からできているから身体にいいはず、
肝臓にわるいというけれど、
植物は肝臓という臓器を知らないはずと、
わけがわからない議論で盛り上がったりする。

そもそもが、マルセル・パニョル監督の戯曲を元にした映画なので、
愉快な台詞、楽しいやりとりが多い。
若干長くなりがちなのを、どう感じるかは、人さまざま。
私は気にならなかった。

老人たちが、ベンチのようなところに一列になって座っている。
皆、帽子をかぶっているのに、
なぜか、彼らのすぐ前の道のところにシルクハットがひとつ落ちている。
一体どういうこと、と思っていると、
その帽子の下には、大きな石ころが隠されていて、
リヨン人なら、落ちている帽子を見ても、素知らぬ顔をして歩き去る、
マルセイユ人なら、思い切り、帽子を蹴りちらかすにちがいない、
なんて老人たちが言いあいながら、
これから何が起きるか、興味津々に見ている。
まるでいたずらっ子のようなノリが、かわいい。

案の定、素知らぬふりして座っている老人たちの眼前に、
何人目かに現れた男が、石があるとも知らず、思い切り帽子を蹴って
「痛い!」と大声をあげ、
足の蛸の目がつぶれたとか言って、大騒ぎになるおもしろさ。

ちょうど少し前のシーンで、パニスの葬列で歩いていた老人たち。
皆、帽子を手に持っていたが、
葬列に参加していた医者が、
このかんかんに晴れた天気では、帽子をかぶらないと身体にわるいと言いだして
遠慮がちに次々と皆が帽子をかぶっていく。
最後列の小柄な老人も、かぶろうとするが、
これはわしの帽子じゃない、パニスの家で間違われたと言い、
故人の帽子だったらどうしようとか、帽子だけで、いろんなシークエンスが続く。 

最後も、マリウスとファニーのしっとりした場面を
しっかり遠くから、のぞきみているのが、セザール。
マリウスの車のエンジンの部品をいたずらしたり
最後まで、なにかやらかしては、楽しませてくれる。

日曜日、あまりの寒さに、うだうだやっているうちに
あっという間に神戸のドキュメンタリー映画祭『ラスト・ワルツ』に出かける時間。
なのに、やるべきことが何もできてなくて、
急に焦った気持ちが出てくると、新長田が妙にひどく遠くに思えて
行く気がそがれてしまった。

せめて、テープ起こしの仕事だけはなんとか終えて、
夜遅めの梅田ガーデンに駆け付けたというわけ。
帰って、焼き栗をあてに飲むビールは美味しく、
グリルで焼いた、熱々の栗が渋皮も含めて、パリッと気持ちよくはがれた時の快感といったらない。
ビールのあてに最高でした。

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