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No1118-1『書かれた顔』~大野一雄さんの踊り~

大野一雄さんが晴海埠頭で踊っている。
ゆっくりとした動き。
その細い手は何に触れようとしているのか。
その腕はどこに向かって伸びているのか。
七分袖の黒いドレスから突き出した細い腕。
大きな花飾りのついた帽子に
シンプルな黒いドレスがきれい。

カメラはゆっくりと、たゆたうように動いていく。
夕闇が迫り、大野さんの表情はぼんやりとしてわからない。
バックにみえる高速道路の橋や船も、どこかかすんでいる。

はかなさ、もろさ、切なさ、どんな言葉もかなわない。
ただ美しいというしかない、肉体の動きに、
スクリーンに映し出される世界の美しさに酔いしれる。

ぴちゃ、ぴちゃという水の音が時折、聴こえてくる。
浅瀬のようになっているのか、足首くらいまで水につかっていて、
その音が、観る者を現実にひきもどす。

流れているのは、
リストの「詩的で宗教的な調べ」の第3番「孤独の中の神の祝福」。
この曲が、たまらないほど切なく、さみしく、
この踊りに、動きにぴったりで、
はかなく漂う魂の孤独を伝える。
つきさすような寂しさの中で、
どこからか、そっと柔らかい風が吹いてくるようにあたたかくもあり、
時に、激しいメロディで、心をかき乱しもする。

音楽と踊り、映像とがみごとに一つの世界をつくりあげて、
観る者を、別世界へと連れ去る。

シーンが変わると、夜のビルの上。
フットライトに照らされて、東京の夜景をバックに踊る。
同じ衣装で、腕や顔、首が、闇の中で、一層白く引き立つ。
バックに映っている東京のビルの夜景。
カメラマン、レナート・ベルタのすごさを思う。

撮影当時、大野さんは90歳近くというから驚く。
遥か彼方、永遠を感じさせる美しさでした。

スイスのダニエル・シュミットが撮った1995年作品『書かれた顔』のうち、
大野一雄さんの登場するシーンについての感想をつづってみました。

撮影時、同時並行で、愛知芸術文化センターの企画製作によりつくられたのが
『KAZUO OHNO』(15分)。
室内での踊りに続き、戸外へと出て、同じ晴海埠頭と、ビルでの踊り、
最後は、また室内に戻って、
花束をぽとりと落とし、一輪だけ拾う、その仕草がすてき。
そうして、すっと壁の向こうに姿を消していく。すてきな終わり方でした。

『書かれた顔』とは、
埠頭のダンスの時の水の音の大きさが
微妙に違うような気がしましたが、どうなんでしょう。

フィルムで映画を観られた方にはいまいちですが、
Youtubeでこの映像シーンがありましたので、よかったらのぞいてみてください。

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