僕は昭和40年代の終わり頃、 赤外線を検出して画像表示するサーモグラフィーなる装置を担当する職場に所属していた事がある。 その装置の開発段階からリーダーとして職場を率いて来ていた増喜氏のことは、 このブログを書き始めて間もない頃に紹介した事があった。
先週末にその元職場に集って居た連中の懇親会があったのだが、 僕は参加しなかった。 しかしメールで懇親会での集合写真や近況をしらせる内容が送られて来た。 その中に増喜氏の訃報があった。 その事をこのブログに書く気持ちになったのは、 僕と同い年だからかな。
父母は当然の事、親戚のオジさんやオバさんもほとんど鬼籍入りしています。 古希を過ぎた年代だから当然有り得る事だけど、 ついに同じ歳の方の訃報に接する事になったのです。 感慨深いものがあります。
先週末にその元職場に集って居た連中の懇親会があったのだが、 僕は参加しなかった。 しかしメールで懇親会での集合写真や近況をしらせる内容が送られて来た。 その中に増喜氏の訃報があった。 その事をこのブログに書く気持ちになったのは、 僕と同い年だからかな。
父母は当然の事、親戚のオジさんやオバさんもほとんど鬼籍入りしています。 古希を過ぎた年代だから当然有り得る事だけど、 ついに同じ歳の方の訃報に接する事になったのです。 感慨深いものがあります。