OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

付け合せの野菜は何故必要なのか

2006-10-31 23:01:24 | Weblog
ハンバーグを焼いた。
盛り付けなきゃ・・・
あっ、レタスもキャベツもない・・・
他に何か、付け合せになるようなものはないかな・・・
う~ん、何もない。

畑に行けば、レタスもキャベツもある。
けど、外はもう暗いよ。
けど、付け合せはどうしても必要。
けど、外は寒いし・・・正直、面倒。
けど、やっぱり付け合せは、絶対に無くちゃならない。

でも、どうして、そんなに付け合わせが欠かせないのか。
見た目のバランス?
味のバランス?
栄養素のバランス?
その全部・・・たぶん。

と考えると・・・
お得だよね、付け合せの野菜って。
たった一つで、目も舌も体も満足させてくれるんだね。

付け合せなしのメインだけの生き方
付け合わせばっかりでメインの無い生き方
両方、味気ないってことかな。
メインと付け合せ・・・両方揃って、バランスが好いんだね。

累積疲労の現れ方

2006-10-30 17:08:12 | Weblog
なんだか、今日も景気の悪い話題でスミマセン(^^;。けど、特定の出来事のせいではなくって・・・もっと、累計的なことがらなんです・・・と、一応、弁解しておこう(爆)。

何か悲しいことが起こって落ち込む・・・これは、本人にも周りにも、比較的分かりやすいですよね。けれど、周りの人たちは勿論、本人にさえ分かりづらい、金属疲労みたいな累計型の心の疲労は、どんな風に見つければいいんでしょうね。運動選手に起こる疲労骨折のようなことが、人の心の中で起こる前に、何か分かりやすいシグナルのようなものがあれば、知っておきたいですよね。

でね・・・先日、わたしは、ある体験をしたんですが・・・これって、もしかしたら、心の疲労のサインじゃないかななんて思ったんですよ・・・ちょっと、聞いてもらえますか。そんな、イヤだなんて言わずに、ちょこっとだけお時間、下さいよ。

とは言ったものの・・・どう、表現したらいいかなぁ・・・(爆)。

ある時、なんだか、突然、ぼーーーっとしてしまったんですね、わたし。で、自分で、自分に「どうしたの?」ってたずねたら、わたしは「どうしたの?」って、投げかけた質問を鸚鵡返しするだけなんですよ。

で、わたしはわたしに「何か悲しいの?」って聞いたわけです。すると「悲しい?ううん、別に・・・」って答えます。「じゃぁ、忙しくて大変なのかな」って聞くと「まぁ、忙しくないこともないけど・・・大変ってほどじゃないよ」と答えます。なので「なら、少し、整理してみようか。今、気になっていることを並べてみて」って言うと、わたしは素直に、つらつらと幾つかのことを列挙しました。するとね・・・それが、仕事のことも、普通の心配事も、なんとなくしたいなと思っている程度のことも、ごちゃ混ぜになってるんですよ。

これは、わたしの頭の中では、あまりないことです。わたしの頭は、けっこう分類好きなので、仕事は仕事、趣味は趣味、個人的な思索は思索と、くっきり仕切られているんです。でもって、仕事の場合は、必ず優先順位というのが重要視されていて・・・自分の行動を決めるときには、この分類され、優先順位が確定された資料でもって、判断していくんです。だから、分類もなく優先順位もなく、データがごちゃごちゃのまま差し出されるなんて、信じられない状況なんですよね。

でも、そのごちゃ混ぜになった項目を、一個一個指差して「これは、どういうものなの?」と、わたしに聞くと「仕事。あまり急がない仕事」とか「遊び。時間が出来れば、したいなと思っていること」とか、ちゃんと間違いなく答えられるんです。だから、認識能力は、まだ生きてるんです。

つまり・・・わたしの場合はってことですが・・・疲労は、まず整理能力に障害が現れる。だから、たとえば、部屋の片づけが、いつもより雑になるとか、鞄の中や机の引き出しの中が乱雑になるとか、ゴミ箱が汚くなるとか・・・そういうことが始まったら、それは心が疲れているサインなんじゃないかと・・・そんな風に思ったわけです。

なんの科学的根拠も無いですよ。疲れると、整理整頓したくなる人というのもいらっしゃるようですしね(^^;。ただ、わたしの場合は、そんなだなと・・・ある日突然、あたまの中の整理機能が停止して、こんなことを思った次第です(^^;。

もう少し、猶予を(^^;

2006-10-29 15:42:59 | Weblog
情けないですね・・・(^^;

事務的な仕事は出来るんですよ。
それはもう、大人ですしね。
責任ってものもあるし・・・自分の感情だけで動けないですもんね。

けど・・・自分の感情とか、感性とか・・・そういう部分が必要になってくる事柄については・・・無理ですね。なんか・・・手いっぱいって感じですね(^^;。

それにしても・・・本当に、太陽は昇りますね。
昨日に何があったとしても、太陽は昇る、夜は明ける・・・当たり前だけど不思議です。

それそれの人に、嬉しいことが起こったり、悲しいことが起こったり、悔しいことが起こったり・・・ほんとに、色んなことが起こっているはずだけど・・・そういうこととは、まったく関わりなく、朝になると陽は昇るんですよね、必ず。凄いことだなぁ・・・。

かくいう私も・・・何があっても、空気を吸っては吐き・・・一瞬たりとも呼吸を止めることはない。食事も、一時細ることはあっても、いずれは食べ始める。ウンチもオシッコも、いつもと変わりなくするし・・・生きてる・・・そう、生きつづけてる。それも、凄いことだなぁ。

ふぅ~・・・明日には、復活しよう。こんなことしてても、仕方ないし。うん、仕方ないし・・・がんばろう・・・うん。

喪失

2006-10-28 21:02:28 | Weblog
ごめんなさい、とても個人的なことなんですが・・・
ああ~・・・日記は、そも個人的なことか・・・
それに、ごめんなさいっての勘違いかな・・・
誰も、困りませんよね、わたしが一日日記を書かなくても・・・

いわゆる、ペットロスってヤツってことになりますかね・・・
まっ、つまり、そういう状態で・・・
なので、あれです・・・そういうことで・・・
だから・・・今日は、あれです・・・また、明日に。

明日には、締め切りの仕事もあるし・・・
今日は、別件で店も臨時休業したし・・・
明日には、普段通りの生活に戻らなくちゃいけません。
だから・・・また、明日に・・・

だから、今日は、これで・・・

新語、造語は、何故生まれるんだろう

2006-10-27 17:07:41 | Weblog
よく、若者の言葉の話はしてきましたよね。世間では「言葉の乱れ」ってことで、非難されることが多いけど、わたしは評価するよって。だって、自分たちの言葉を作るって、凄いエネルギーがあるってことだし、もちろん創造力もあるってことで・・・それって、十分に褒められてもいいことじゃないですか。それで、出来上がりの質まで求めるのは酷だし・・・ねっ。非難するより、褒めるべき事だと、わたしは思ってますよ。ただし、その言葉しか知らないとか、使えないと、困っちゃいますけどね(爆)。

けど・・・若者言葉だけじゃなく、たとえば、ファッションの世界なんかでも、日々に言葉って変わっていきますよね。昔、「チョッキ」だったものが「ベスト」になり・・・今は何だろう(^^;。女性の下着でも「シミーズ」が「スリップ」になり・・・今は何だろう・・・ん?シミーズとスリップは何か違う?・・・ああ、分からない(爆)。とにかく、数十年のうちに、同じような形のものでも、どんどん呼び名が変わっていくようなことが、当たり前に起こっていますよね。

それから・・・最近、仕事で、企業のプレスリリースを漁る生活をしているんですが・・・そこでも、同じようなことが起こってますよ。ご時勢で、カタカナ言葉も多いですけど・・・聞きなれない漢字の言葉も、いっぱい使われています。一般的によく使われている既存の言葉でも、全然構わないような場面でも、業界っぽい言葉っていうんですか・・・新語なのか、造語なのか、復刻語なのか知りませんが、「ぽい」言葉が氾濫してます。

この、業界の言葉ってのも、若者言葉と一緒で、他と自分たちを区別して、身内意識を強くする目的で使っているんでしょうか。それとも、たえず新しい商品、新しいサービスを追い続けているから、それに合わせて、言葉も新しくしたくなるんでしょうか。

なんともなぁ~・・・不思議な気がするんですよね。イケナイことだとは思ってませんが、なんだか、とっても不思議な感じがしています、はい。

憎めないババアになりたいな(^^;

2006-10-26 17:23:23 | Weblog
見目麗しい人って、それだけで魅力だよね。顔立ちが綺麗な人もだし、スタイルが良くて着こなしがイイ人なんて、ほんと素敵だよね。

それから、一芸に秀でた人・・・芸能関係の方たち、スポーツ選手さんたちも、芸術家さんは無論のこと・・・料理人さんとか、旋盤工みたいな職人さんたちも・・・とにかく、趣味でも職業ででも、ズ抜けた技量を発揮する人たち全般、みなさん、カッコいいよね。

つまり、何かに優れているってことは、人の魅力なんだよね。一般的に、それが、他の人たちの心を惹きつけるんだろうね。

けど・・・そういう高い評価とか、憧れとはちょっと違って・・・駄目なところが可愛いっていうのが、何故かあるよね。わたしが思うには、本来、これこそが「好き」って感情の原点じゃないかな。そもそも、痘痕が笑窪に感じられるってことが、惹かれてることだもん・・・じゃない? 憎めないって奴が、一番「好き」ってことなんじゃないかな(^^;。

子どもでも、ヤンチャで我が侭で泣き虫なのに可愛い奴とかいるでしょ。介護が必要なようなお年寄りでも、なんだか妙に可愛らしい人っているじゃない。だから、わたしは、そういう人で在りたいなっていうか・・・そういう愛され方がしたいな・・・なんて、思ってさ(^^;。

なんで、急に、そんなことを思ったか・・・それは、内緒だけどね(笑)。

意地を張らずに、コレクション

2006-10-25 23:28:30 | Weblog
もともと、あまり物欲はない。それは、たぶん、自分そのものへの拘りが異常に強いからなんじゃないかと思うけれど・・・それに加えて、根気がないとか、緻密さがないとか、そういう性質も関係あるかと思う(^^;。

が・・・ここ二三年、精神力が弱って・・・「何かを収集したい」という思いが募ってきている。でも、「何かを」なんて言っている奴に、何であれ、物を収集する資格はない。好い意味での対象物に対する執着、それがなくて、収集なんて出来るはずはないのだ。

それに・・・わたしの場合に限って言えば・・・収集という行為によって得ようとしているのは、心の空洞を仮埋めしてくれるものなのだ。物を詰め込んで、虚ろになった心を、満腹にさせたいのだ。まるで、心の中に仕込んだ風船に空気を吹き込むような行為だけれど、そうでもしないと居られない気分なのだ。

その卑怯な考え方、逃げ腰な姿勢、負け犬の小賢しい策が情けなくて、わたしは、ずっと、自分の中で膨らむ収集志向を無視しようと努めてきた。が・・・もう、そろそろ、その抵抗を止めようかと思う。何度か、そう思う機会もあったけれど、今までは、それなりに踏みとどまってきた。それを、今度は、本気で解禁しようかと思う。

実は、すでに、このHPの様相が、ある種の収集になっているし・・・卑怯でも、情けなくても、愚かしくても、それが今の私に必要なのなら・・・そんな、駄目な自分を受け入れてあげればいいじゃないかと思う。

そんな自分の変化を、わたしは何故か降伏だとは思わない。強がりかもしれないが、成長だと思っている。そもそも、お前は、そんなに立派な人間なのかってことなわけだ。情けない、最高に情けないのが、本来のお前なんだから、それを認められるようになって、やっと最初の一歩を踏み出すってもんだろう。

ふむ・・・なんて、言語化して公表して鼓舞しなければならないところが、まだ、最初の一歩の手前だってことを露呈しているけどね(^^;。

ビジネスの世界に対等な関係って、意外に少ないのかも

2006-10-24 21:13:25 | Weblog
タイトルを読んで「ええっ!!」と驚いてらっしゃる方、あるいは怒ってらっしゃる方、多いかもしれません。そんなこと、意外でもなんでもない、当たり前のことだって。でも、わたし的には、ものすごく意外っていうか・・・納得できないことなんですよ、対等な関わりというのが成立し難い世界というのは。

小学校の頃から、わたしは「先生」という存在に、ある種の不信感を持っていました。素敵な先生も多かったのですが、先に生まれた人たちだというだけで、勉強を教えるという立場にいるからというだけで、自動的に私が尊敬することを義務付けられるということに、猛烈に反発を感じていました。尊敬できる先生なら、言われなくても尊敬する。尊敬できない先生なら、いくら強制されても尊敬なんか出来ない。それが、当時の私の譲れない信念でした。

そんな私でも、大学を卒業してから、無事に企業に就職出来ていたら、色々と学ばざるを得なかったと思うのですが、受けた会社全部に落ちてしまって、その機会を失いました。でも・・・それも、必然だったかもしれません。受けた会社に全部拒否されたのは、学校の成績が悪かったこともありますが、正直、態度も悪かったのです(^^;。会社訪問をした時に、他の学生たちの謙った言葉遣いが、やたらと不愉快に感じられて、「わたしは、絶対にぺこぺこしない」と決心して就職活動してましたから、企業側から見たら、最も雇いたくない生意気な学生だったでしょう。何の経験も実績もない若造のくせに、成績は悪い、態度はデカイ・・・雇いませんよね(^^;。

結局、進路が見つからず、自宅で私塾などしながら、大学院の聴講生などもしつつ時を過ごし・・・そのまま家庭に入ってしまいました。子どもが2人生まれ、下の子が保育所に入る歳になった時、わたし自身も、ちょうど三十歳を目前にしていましたし、「何かやろう」という気になって、OBERONという組織を立ち上げました。当然、自分が始めた組織ですから、わたしは、そこの長です。お給料を払う立場です。いきなり、偉い人になりました。

もちろん、立派なのは肩書きだけ、わたしの中身は、子どものころから殆ど成長していない貧相なものです。でも、世の中、この肩書きの威力と言うのは、すごいのです。どんなに頭が空っぽでも、どんなに貧しい心根であっても、肩書きだけで持ち上げられるのです。当然、わたしは、そのことに反発しました。働いてくれているスタッフのことは、あくまでも仲間なのだと主張し続けましたし、お子さんを預かって指導する仕事をしていても、保護者の皆さんに先生と呼ばれることを嫌っていました。経営者と従業員という関係は、決して上下の関係じゃないし、先生と生徒も先生と保護者も、あくまでも人と人同士の関わりであるべきだと言いつづけていました。

業務に、水商売たる珈琲屋が加わった時も、お客さまは神様じゃないし、店の者は僕(しもべ)ではない、あくまでも対等な関わりだと信じ、そのようにやってきました。

けれどそれは、小さなりにも「お山の大将」の立場にいるからこそ言えたことだったのです。最近になって、やっと「弱い立場で仕事をする」ということを知りました。認可をもらわなければ仕事が出来なかったり、単発の契約で仕事を貰うような働き方をするようになって・・・納得いかないことがあっても、そのことに拘らず、感性をオフにして、今の仕事を無事に済ませ、次の仕事にありつくことに専念するという処世術を身につけ始めたのです。

これでやっと、わたしも大人になったということでしょうか・・・子どもの頃に嫌っていた「汚い大人」って奴に、四十も半分以上過ぎて、やっとなれたのでしょうか。

けれど・・・わたしにとって、問題なのは、自分が汚れてしまったことではないし、弱い立場で仕事をしなければならないことでもないのです。相変わらず、強い立場も維持している身として・・・無意識に、周りの人に我慢させ、気を使わせているに違いないということに、ようやく気づいたのです。自分では、努力して対等な関わりを構築してきたつもりでしたが、決してそんなことはなかったはずだと、今、ようやく気づいたのです。絶対に、わたしは、沢山の人を踏みつけにしてきたはずなのなのに、自分では、そのことに気づかなかったし、気づく気もなかった・・・立派に汚い大人たちより、よほど始末が悪いはずです。

文句を言ってくる人は、まだイイのです。相手が何を考えているか、何を我慢していたか、何を欲しがっているかが分かりますから。けど、ほとんどの大人は、自分が弱い立場で働く時、不満があっても、なかなかそれを口にしたりしないのだということを、わたしは分かって居なさ過ぎました。

ふむ・・・はぁ~・・・ふぅ~・・・気づいたからにはと思うのですが、どうしたらいいのか、見当も付きません。今、かなり落ち込んでいます(^^;。

童話の検証・・・かな(^^;

2006-10-23 17:03:11 | Weblog
分かりきったことなんですけど・・・改めて、日常の中で、さりげなく実体験すると、ものすごく嬉しいっていうか、信じられないくらいビックリするっていうか、心から感心するっていうか・・・なんか、いいものですよね。

おっと、何のことか、ぜんぜん分からないですよね、ゴメンなさい(^^;。

今日、マグカップで、お紅茶を作ったんです。もちろん、飲もうと思って。でも、ちょうどお客さまがいらっしゃったり、仕事が立て込んだりして、結局飲めずに終わって・・・水周りを片付けようかって時になって、そのお紅茶を捨てるのは勿体無いし・・・ということで、ストックしていた空のペットボトルに、このお紅茶を入れ替えたんです。すると・・・なんと、ペットボトルの三分の一にも満たないんですよ、マグカップに満タンだったお紅茶が。このマグカップは、意外に容量が少ないんだ・・・そして、逆に、ペットボトルって意外に沢山の量が入るんだって、ビックリしたんです。で、ビックリしながら、やけに楽しかったんです(^^;。

これって、ちょっと考えてみれば、当たり前のことで、驚くに値しませんよね。たしか、ペットボトルの容量って、通常600ccか650cc、その辺りですよね。で、カップは、たいてい200cc弱、大きいマグカップなら、もう少し入ると思いますが・・・わたしの使ったものは、200cc程度だったわけです。なら、そう・・・ちょうど、三分の一くらいになって当然なわけです。

が、わたしは、カップのどっしりした質量や、ペットボトルのシンプルな見た目に惑わされて、かなり違う印象を持ってしまっていたわけです。ふうむ・・・。

そういえば・・・人でも、同じようなことがありますね。肩書きや見た目の雰囲気で立派な人だと思ったら、意外に中身は空っぽだったとか、地味で目立たない人が、意外に大きな包容力の持ち主だったとか・・・ねっ(爆)。

ん?自分自身はどうなんだって? 残念ながら、見た目通りの、貧相な奴です・・・お恥ずかしい(^^;。

* 今日のタイトルは、童話に似たようなお話があったなぁ・・・と思ったもので(^^;。ほら、鶴と何かの動物が、飲み物を飲むお話・・・鶴は、細長い入れ物に入れないと飲めなくて、みたいなの。まったく、ちゃんと覚えてないや(^^;。

介護する人&育児する人に対するフォローの仕方は・・・

2006-10-22 15:57:04 | Weblog
昨日もお話したが、愛犬が寝たきりに近い状態になり、介護しなければならなくなった。で、さっそく、腰を痛め・・・正直、かなりツライっす(涙)。

が、それよりも、もっと深刻な懸念事項があるということが判明してしまった。それは、毎日、身近に居て介護するものと、そうでない家族との、微妙な心の擦れ違いだ。ストレートに言ってしまえば、要するに、前者が私で、後者が夫なのだけど(爆)。

夫は、エディーさん亡き後、ヘンリーさんを盲愛しているから、当然のことながら、ひどく彼の心配をしている。仕事に出かけても、暇が出来ると「大丈夫?どうしてる?」と電話をしてくる。そして、家に帰ってくると、ひとしきりヘンリーさんの傍で、励ましたり、取り留めのないことを話したりしている。

けれど、夫が家にいるのは、夜の間だけ。ヘンリーさんを担いで一輪車にのせて病院に連れて行くのも、漏らしたオシッコの処理をするのも、オシメを買いに走しり、苦労してオシメを付けさせるのも、食べやすい食事を工夫して食べさせるのも・・・要するに、実際に彼の世話をするのは、みんなこの私なのだ。だから、私としては、まず「お前は大丈夫か」と、夫に聞いてもらいたいと思う。そして、その次に「ヘンリーは元気にしているか」と聞けよと思う。けれど、夫にすれば、病気でもない私を心配する理由が見つからないのだろう・・・たぶん、彼は、わたしがそんなことを思っているとも知らないだろう。それで、徐々に不満を募らせている私に向かって、能天気に「ちょっと元気になったよな」とか「うんうん、食欲出てきてるやん、偉いなぁ」、果ては「立てへんて・・・ほんとに、そんなに酷いの?夕べは、部屋の中を、ウロウロ出来てたよ」などと、わたしの一日の苦労を完全否定することになるような最悪な台詞を、本人としては悪意なく言い放ってしまう。わたしは、ぶっきらぼうに「そぉ?」と答える。夫は、一緒に心配を共有している同士であるはずの妻の不機嫌の原因が分からず、一瞬だけ首を傾げるが、すぐにそんなことは忘れ去り、またヒタスラに愛犬に向かう。

今朝になり、日曜で家に居る夫が、ヘンリーを散歩に誘った。と、なんと奴は立ち上がって、トコトコと散歩に出かけたのだ。「ほらほら、歩けるわ!! なぁなぁ、見てみて!!」単純に喜ぶ夫と、ぽぉ~とした顔で散歩に出かけようとするヘンリーに、わたしは完全に切れた。お前ら、なんやねん!!

案の定、ヘンリーは途中でへたばってしまい、夫は担ぐようにして、彼を連れ帰ってきて・・・わたしは、内心、ざぁまあみろと思った。「どうしよう・・・部屋に居させる方がいいやろか。オシッコで、体が汚れちゃってるけど、どうしよう」「しらん、勝手にして。わたしやったら、ヘンリーも甘えて寝たきりになるし、あなたが全部、好きなように面倒見て!!」言い放つ私に、夫は目を丸くする。「なんでぇ~。そういうこと、ちゃうやん。昨日一昨日と、お母さんが、一生懸命世話してくれて、食べさせてくれて、それで、今朝は少しだけ元気になったんやん、なぁ、ヘンリー」。また、その「なぁ、ヘンリー」が、腹が立つ(爆)。

よく、別居している家族が、たまに見舞いに帰ってきて、介護しているお嫁さんに向かって「もっと、○○してあげてくれる?」なんて言って去ったもんだから、その後、家の中がモメタモメタ・・・なんて話を聞くが、なるほどと思った(^^;。実際に、介護を担当していない人は、介護する家族の苦労が、まったく分からないのだ!! そして、その分かってもらってない感が、介護の大変さより、もっともっと介護をする人の心を傷つけているんだ!!

そうそう、子育てに関しても、同じようなことがあるよね。実際、四六時中子どもと一緒に過ごしている人に対して、安易に「もっと□□したらいいよ」とか「××は、止めておきなさい」なんて、シタリ顔で意見すると、その内容が、いかに正しくて、いかに有益なものであっても、手ひどい拒絶にあってしまうことがあると思う。それもやっぱり、子育ての当事者の苦労を労う心遣いの無さが原因だよね、きっと。

とはいっても、色んなことで周りの人たちに助けてもらわないと、いくら頑張り屋さんな人でも、一人で背負いきれるものじゃないわけだから、手も口も、本当は出してもらいたいわけだけど・・・いきなり命令や、いきなり否定から入らずに、まず「あなたは大丈夫?頑張り過ぎてない?」という労いと心配を見せて、次に「よく遣っているね」と評価をして、それから、少しずつ「何か手伝うこと、ある?」とか「差し出がましいかもしれないけど、前、こんな風にしたら、けっこうイイ感じになったんだけど、どうかな」と、相手の心を、ゆっくり解しながら、やさしく手を差し伸べてくれるといいと思う。

えぇぇ~、そんなに気を遣わなきゃいかんのぉ~~、めんどくさいなぁ~、と思われるかもしれないが、介護にしろ、子育てにしろ、苦労が多い上に、かなりの長丁場な仕事なのだから、それくらいの気遣いは、あっても好いと思わない?両方とも、とっても大切な仕事なんだし・・・逆に言えば、ちょっとした気遣いある表現で、その人が元気に楽しそうに、育児や介護をしてくれるんだったら、安いものだと思わない?

と、実際の介護は、まだ経験してないんだけど・・・予行演習的に、今色んなことを考えさせてもらっています・・・はい(爆)。