OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

言葉に関する雑感

2006-10-09 16:44:25 | Weblog
昨日は、わが街の秋祭りだった。わたしは、祭りには行かなかったが、ダンジリが地域を練り歩くので、それなりに賑やかな雰囲気を味わった。

で・・・祭りの話をするときに、わたしはダンジリのことを「どんでんどん」と言う。明らかに赤ちゃん言葉だが、いまだに、そう言う。四十代の娘と、七十代の母が、「もう、どんでんどんは来てる?」「ううん、まだ、どんでんどんは来てない」などと話しているのは、傍目から見れば、さぞかし気持ち悪いだろう(爆)。

が、そう話している自分の声を耳で聞いて、わたしは、ふと思った。あかちゃん言葉って、音表現が多いよねって。車を「ブーブー」とか、犬を「ワンワン」猫を「にゃんにゃん」とか・・・もちろん、ダンジリの「どんでんどん」もそう。きっと、音って認識の原点にあるんだろうな・・・と、勝手な想像をした。

その連想で、こんなことも考えた。よく話している話題だが、関西人は、言葉の前に「お」を付けたり、言葉の後に「さん」とか「ちゃん」を付けるが・・・それは、丁寧というより、擬人化が好きなんじゃないかと思う。でもって・・・それは、関西文化というより、日本文化に特徴的にあったものなんじゃないかと思う。

外国文化にも、擬人化は、よくある。なんでもかんでも、神話になぞらえて命名したりするのは、きっと擬人化の心情なんだと思うし、ドイツ語やフランス語、その他の外国語のように、名詞に性別をつけるのも、擬人化の一種だろうし・・・。

けれど・・・日本の擬人化は・・・・なんていうか・・・もっと、はんなりしているというか、まったりしているというか・・・文学的だっり、宗教的だったり、学問的だったりする前に、生活っぽい擬人化な気がする。関西弁に限らず、各地の方言には、そういうマッタリした擬人化の跡が残っていると思うけれど、標準語には、それが乏しいような気がする。

ふむ・・・まっ、ぜんぶ印象・・・かなり、先入観に犯された印象ではあるけれどね・・・「どんでんどん」から、そんなことを考えたのでした(^^;。