OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

遺産としての電子書籍は・・・

2020-09-29 09:25:14 | Weblog
ふと思ったんですが・・・今、わたしが購入している電子書籍って、わたしが居なくなったら、どうなるのかな・・・

ありがちですが、わたしも当初は紙の本に拘っていました。装丁も含めて書籍ですし、手触りとか重みとか、紙をめくる感触とか、匂いとか・・・紙の書籍しかなかったときに意識もしなかったものが、やけに愛おしく大切に感じられて・・・けれど、結局、老眼に負けてしまいました(涙)、今はもっぱら電子書籍を購入しています。

購入ですから、わたしに所有権があるわけです。わたしに何かあっても、それは変わらないはずです。でも、クラウドなどに保存されているものは、ログインしなければ読めないわけで・・・それを伝えておかないと、私以外の人は利用できないわけですよね。末端にダウンロードしていれば、電源を入れれば見られますが・・・

わたしの憧れのシチュエーションがあって・・・孫やひ孫が、わたしの書庫の、ほの暗い書架の間を、特に目的もなく歩いていて、何気なく手に取った本に興味を惹かれ、その場所でそのまま読みふけってしまった・・・なんてこと、すごく好いなぁって(^^;。その後、その本の著者だったり、その本の分野だったりにどっぷりハマってしまった、なんてことになったら最高だなって(^^)。

でも、電子書籍だと、そういう風景はありえないんだなって・・・・・・

っていうか、そもそも孫やひ孫が生まれる兆しがまったくないんですけどね(爆)。

でも、それはいいんですよね、ほんとうに。親になる体験、自分の家族をつくる体験というのは、それなりにとても面白いし素敵なことだから、機会があって、裕太がそれを望めむなら、経験して欲しいとは思いますが、そうじゃなくても、人はいくらでも幸せになれると思います。だから、裕太が幸せであるなら、どんなライフスタイルを選んでも、親は「それがいい」と思うのであります。そして、親であるわたしの幸せにも、孫やひ孫の存在は必須ではありませんしね。

だから、上記の憧れのシチュエーションも、実は、わたし自身が孫やひ孫の役どころで想像しているんですよね・・・ええ、そういうことなんです(^^;。

なんていうか・・・手紙のように特定の人に明確な思いが直接手渡されるものではなくて・・・時を越え偶然に、かつてこの書架の本たちを集めた先人の思いに、かすかに触れる・・・そして、今、わたしからまた何かが始まる・・・みたいな・・・いや~、ロマンティックでファンタジーじゃありませんか(^^;。

でも、きっと、新しい時代の新しい形の"思いの継承"が生まれてくるんでしょうね。おそらく、わたしはそれには間に合わないと思いますが(爆)。

自分たちに不都合なものは悪なのか

2020-09-28 12:06:25 | Weblog
BSのTV番組『新・美の巨人たち』、今回は草間彌生さんを取り上げていました。で、草間さんが新型コロナウィルスの感染が広がるなか発信されたメッセージを紹介していました。紹介されたのはメッセージのほんの一部分で、そこだけを取り上げて何かを言うのフェアではないと思ったのですが・・・草間さんのメッセージを批判したいわけじゃなく、取り上げられていた一部の、ちょうどその部分が、常日頃から、わたしが個人的に引っかかっていることを思い起こさせたということで・・・今、こういう発言は適当ではないかもしれないけど、あえて無理やりに話を広げさせていただけたらなと思います・・・

まずは、わたしが引っかかったメッセージの中の文言ですが・・・「我々の前に立ちはだかった新型コロナウイルスよ  地上から消えてゆけ  我々で戦ってやる  この計り知れない魔物と戦ってやる」。

この何が問題なんだ、まったくその通りじゃないか、おおいに励まされる言葉だ、心から共感する・・・そう思われる方は多いかと思います。わたしをよく知る人なら「また、あんたの悪い病気がでたね」と思われるかもしれない・・・たぶん、その通りです。

でも、わたしとしては、どうも気持ち悪くてならなて・・・どうしても引っかかってしまう・・・

うまく言えないんですが・・・新型コロナウィルスって悪ですかね。魔物って言われると、どうも悪者のイメージになっちゃうんですが、どうなんでしょう・・・う~ん・・・

たしかに、罹患された方々は、とても苦しい思いをされたり、命を奪われたりしているわけですし・・・感染していなくても、経済的に打撃を被って生活を破壊された方もたくさんいらっしゃいますし・・・新型コロナウィルスが人類にとって恐ろしい存在であることは間違いないと思います。けれど、それは、あくまでも私たち人間からの視点ですよね・・・

なんていうか・・・わたしが引っかかるのは・・・何者かが悪意を持って自分の利益の為だけに他者に不利益なことをしたなら、その者は、罵られて当然と思うのですよ・・・でも、新型コロナウィルスは、我々に悪意をもって災いをなしているわけじゃないですよね・・・彼らは、人類に対して何の意図も持ってはいない、だからなんの悪意もなく、ただ自らが在るだけだと思うんですよね。

いえ、別に、ウィルスは、人間に責められても傷ついたり悲しんだりすることはないので、草間さんのメッセージのせいで、ウィルスを含め誰かが傷つくことはない一切ないわけで・・・だから何も問題視する必要もないわけで・・・

ただ・・・う~ん・・・新型コロナウィルスがどうのこうのじゃなく・・・草間さんのメッセージがどうのこうのじゃなく・・・なんていうのか・・・われわれの日常で、あまりにも当たり前に、自分に不都合なものは、自動的に"悪"だということにしてしまっていないかと・・・そう思うんですよね・・・・う~ん・・・

でも、世の中、相手が悪くなくても、自分にとって嬉しくない事なんて、山のようにあるじゃないですか。時には、誰も悪くなくても災いが生じることもあるじゃないですか。その時、対応はしなくちゃいけませんよ。災いを取り除けるよう、苦しみや悲しみを遠ざけられるよう、知恵を絞り、体を動かし、心を尽くして、対策していかなくちゃなりませんよ。でも、だからといって、誰かを、あるいは何かを、悪者にする必要はないんじゃないかと・・・

もし、この発言を見聞きして、悲しい気持ちになった方がいらしたら、ゴメンナサイ。新型コロナウィルスで、肉体的に、精神的に、経済的に苦しんでいらっしゃる方を傷つけてしまったなら、ほんとうにゴメンナサイ。

弱者は皆の為の警報の役目を果たしてくれてるのかな

2020-09-18 08:02:39 | Weblog
タイトルは大げさですが、植物に水やりしていて感じたことなんですよね(^^;。同じ日当たり、同じ風通しの場所に置いていても、鉢によって「水下さい!!」と訴えてくるタイミングが違います。ある鉢なんかは、天気が好いと毎日「もうダメです、早く水下さ~い・・・」と、息も絶え絶えな感じで、葉っぱを萎れさせて訴えてくるんですよね。正直、バタバタ慌ただしくしている時に、それに気づくと「もぉ~、メンドクセェ~なぁ。ほんと弱虫なんだから。ちょっと待っててよ」なんて思っちゃったりするんですが・・・

でもね、この子の葉っぱが萎れ始めると、よく見ると他の鉢たちもちょっとしんどそうなんですよね。まだ大丈夫な段階ではあるんですが、もうしばらくほっておくと、この子たちも「喉がカラッカラです、お水下さい・・・」状態になるんだと思うんですね。だから、一番、水分に過敏な子を目安にすると、他の子のことも、ちゃんとお世話できるんですよね。

だからね・・・大多数の人が、まだ何も感じてなくて、ほんの少数の人たちだけが違和感を感じ始めている・・・この段階で対応することが肝心なんじゃないかと思ったわけです。「あの人は弱いから」「大げさに騒いでるな」って思いがちでしょ。だから自分には関係ないって。でも、何かに関して一番弱い人、過敏な人が反応し始めたら、いずれば大多数の人にも影響が出てくる可能性もある・・・場合もある・・・かもしれない・・・(^^;ね、。

ところで、余談ですが、今週、来週と、お友達とお茶もしくは食事する機会を得ました。ものすごく久しぶり。もともと、外出が苦手で、仕事じゃなきゃ自分から進んで外に出る方ではないのだけど・・・コロナの影響で、ここんところは全く外に出ていなかったので・・・なんか怖いんですよね・・・いや~、なんだか、ほんとになんか怖いんです・・・

でも、外に出て感染するのが怖いとかじゃないんですよ・・・家を空けるのが怖い・・・わたしが居ない間に何かあったらどうしようという不安がどんどん膨れ上がってくるんですよね・・・まったく、オイオイって感じです(^^;。

で、思い出しました・・・そういえば、子どもの頃もそうだったなって・・・。

亡くなった私の父は、とても気の弱い人で、いわゆるDV夫というのとは違うんですが、いろいろと不安なことが重なると家の中で暴れて、唯一甘えられる相手である母に暴力をふるっていました。でも、母もまた、いわゆるDV被害者の妻っていうのとは全く違って、ものすごく気が強い人ですから、「殺すなら殺せ」くらいの勢いで抵抗するわけです。なので、そりゃあもう家の中、ぐっちゃんぐっちゃんになるわけですが・・・父は、わたしにだけは絶対に手をあげない人で・・・どんなに興奮して、目がもうイッチャッテいるような状況でも、わたしがしがみ付いて「お父ちゃん、やめて」って言ったら、それ以上は暴れなかったんですよね。だから、わたしは幼心に「わたしが居ない時に、お父ちゃんとお母ちゃんが喧嘩したら、お父ちゃんを止める人がいないから、お母ちゃんが殺されるかもしれない」って、本気で思っていたんですよね。で、我が家は農業が主の兼業農家だったので、わたしが学校に行っている間も、二人が一緒に家や畑にいる時間が長い・・・外にいる時は大丈夫だけど、家の納屋で二人で作業している時にアレが始まったら・・・ほんと不安だったんですよね。特に、遠足のような、いつもと違うリズムで家を空けた日は怖くて・・・学校から家に向かって歩く・・・家に近づけば近づくほど不安が増し・・・家の屋根が見える頃には小走りになっていましたねぇ~・・・で、二人が何事もなく作業をしているのを見ると、ほんとうに心からホッとした・・・

その頃の癖みたいなものが今も残っているのかもしれませんが・・・とにかく、「家を空けるのが不安」病が、コロナのせいで再発というか重症化というか・・・

わたしの場合は、この「家を空けるのが怖い」という持病ですが・・・みなさん、それぞれ、なにかしら、こういう感じで、おさえこんでいたモノが掘り出されがちな今日この頃ではないかと懸念しています(^^;。

ぽっちゃりオジサンが好き(^^;

2020-09-04 18:48:52 | Weblog
先日、『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』で、小松左京さんの『復活の日』を取り上げていた。コロナ予言の書という宣伝文句で・・・まあいいけど。豊田有恒さんや筒井康隆さんも登場して、日本のSF黎明期のことを話されていて・・・なんだか胸がキュンとなった。小松さんがプロ作家デビューされた頃は、さすがに幼過ぎでリアルタイムで追っかけは出来なかったけれど・・・学校帰りに寄り道できる本屋さんに並ぶSF小説は、海外もの日本ものどちらも全て買いつくす勢いでSF小説の世界にノメり込むようになった頃にも、まだまだ日本のSFは文学の中ではマイナーで・・・読者の方も、作家さんたちに負けないほど熱い思いで、SFの素晴らしさを世に知らしめたいと思っていたものだったなと・・・

おっと、また遠い目で昔話を始めちゃいましたね。でも、今日は、SF愛を語ろうと思ったわけではないのであります。もっと下世話な、わたしの男性の外見の好みの話なのであります(^^;。その『アナザーストーリーズ』を見ていたら、当然、小松左京さんのお写真が何度も映るわけですが・・・小松さんって、ぽっちゃりさんなんですよね。で、そんな小松さんの外見が、当時から、わたしはとっても好きだったなぁ~と(^^;。日本SF界の御三家と言われた星新一さんと筒井康隆さんと小松さんの中で、ハンサムというなら筒井さんは間違いなく誰もが認めるイケメンさんですし、星さんもなかなかダンディでらっしゃるんですが・・・わたしは完全に小松派でありました(爆)。

で、そういえばと思ったのが、今、WOWOWで放送されている中国ドラマ『大明皇妃』。主人公の義父になる洪熙帝が、見事にぽっちゃりさん(実際にずいぶん太ってらしたらしい)なんですが、なんとも好いんですよね。まっ、人物設定も素敵なので、そのキャラクターにも惹かれてはいるんですが、プラス外見もいいんですよね。

ああ~・・・そういえば、大学生のころ、NHKのドイツ語講座の先生がぽっちゃりさんで大好きだったはず・・・同じころ、料理番組によくでてらしたぽっちゃりさんのシェフも大好きだった記憶が・・・

ずいぶん前に「デブ専」なんていう言葉がよくつかわれていて、要するにぽっちゃりさんが好きな人のことなんですが・・・自分のことを、そんな風に思ったことはなかったんですよね。今も、こんな話をしながら、いわゆるデブ専というのとは違うと思っているんですが・・・でも、どうも、やっぱり、筋肉質ではなく体格のいい男性の外見には好感を持つタイプであることは間違いなさそうです・・・だから、どうなんだって話ですけどね(^^;。

娯楽映画に博愛精神は持ち込めない、これ常識

2020-09-03 10:05:03 | Weblog
妙なところに引っかかる癖があります。たとえば、みんな大好き伝説のシンガー・ソング・ライターの尾崎豊さんの曲で「盗んだバイクで走りだす」と聞けば、「やりばのない気持ち」を抱えた「15」歳の少年の心情より、盗まれたバイクの持ち主はさぞかし哀しかったろうなと・・・それは、年を取って分別臭くなった今の私だからじゃなく、初めて聞いたまだそこそこ若い頃からそうでした(^^;。

娯楽性の高い映画が大好きなんですが、そういう種類の映画によくあるカーチェイスのシーンを見ていると、メインキャラたちの車がドキドキハラハラの追跡劇を繰り広げていく中で、名もなき人たちの車が次々に破壊され炎上していく・・・すごい迫力で、映画にはなくてはならないシーンなわけですが・・・もしこれが現実世界なら、多くの人たちが自分とはまったく関係ないことで命を奪われている、そして大切な人を奪われた家族がいる・・・命に別状がなく怪我もしていなかったとしても、もしかしたら人生を左右するような大切な商談をふいにしたかもしれない、大切な人との約束を守れなかったかもしれない・・・そんなことを考えてしまいます。娯楽映画を見ながら、もしこれが現実ならと考えること自体が間違っているんですけどね(^^;。

また、復讐もののドラマなんかを見ていると、心優しい主人公が、極悪非道の仇を殺そうとして、護衛の人たちをバッタバッタと薙ぎ倒していくようなシーンがよくあるんですが・・・護衛の人たちに何の罪があるんだろうと思ってしまいます。中には親玉の悪行を知りながら、私利私欲のために喜々と付き従っている者もいるでしょうが、大抵の場合、職務として護衛しているだけなのに、ためらいもなく簡単に殺されてしまいます。けど、本来、彼らにも家族や恋人や友人たちがいるはず・・・そんなことにも思い至らず、自分の憎しみに囚われて、関係のない人まで殺して平気な主人公が、「心優しき」って、それは違うだろうと・・・

そんなこと言っていたら、どんな映画やドラマも楽しめないんですけどね・・・ただ、思うんですよね・・・地球上に77億人くらいの人がいたとして・・・わたしは、そのほとんどの人を知らないわけだけど・・・わたしが知らない人たち一人ひとりに、それぞれの人間関係があり、それぞれの暮らしがあり、それぞれの人が泣いたり笑ったり悩んだり苦しんだり・・・愛したり時には憎んだり恨んだり・・・

わたしにとって、知らない人たちというのは、映画の中の名もなき役の人たちと同じで・・・いや、同じではないんだけど・・・少なくても、わたしに心致されることもなくて・・・それはもう、お互いさまで、致し方のないことなんだけど・・・なんだかなぁ~って思うのであります・・・

何かを表現するためには、スポットライトを有効に使うことが必要です。まんべんなく照明を当てていては、観る人はぼやっと全体を見るか、自分の経験や興味に沿って、気になるものだけを見ます。見せたいものを見てもらうためには、見せたいものに照明を当てなきゃいけないわけです。

それは何に関しても当てはまることで・・・何かを伝えるためには、伝えたいことを目立たせる技が必要・・・歌詞やドラマや映画は、それをしているだけなので、わたしの感じていることは、まったくもって的外れ、言いがかりなのですが・・・きっと、その作品自体ではなく、わたしの感じている別のところの何かの違和感が、そこに投影されているんでしょうね・・・

意味不明ですか・・・そうですよね・・・そうですよね(^^;。