OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

面倒くさい人との付き合い方

2021-11-13 08:13:14 | Weblog
宿根朝顔、まだガンガンに咲いています。もしかしたら冬越しするのか・・・それもよし(^^)。

面倒くさい人との付き合い方というのは、この年になっても正解が分からない。面倒くさいにも色々タイプがあるし、その人との関係も色々だし、臨機応変としか言えないよね(^^;。

ただ、若い頃は"何が正しいか"に拘っていたのが、年を取ってくると"事なかれ"に流れがちなのは確かだと思う。わたしも若い頃は血気盛んで、メンドクサイ人対策だけでなく、何事においても"オカシイ"と思うことは放置できず、自分のことでなくても口を挟んで、自分から厄介ごとを背負い込むようなところがあったものだ。けど、その結果、よかれと思ってやったことが、味方したつもりの相手にさえ喜ばれていないことに気づき・・・また、自分だってそんなに清廉潔白な人間じゃないと思い知り、というか、その時、自分こそが"メンドクサイ人"になってるんじゃないかと思い至り・・・だんだん"まあまあ"対処の妙に気づき始めたりしたわけだ(^^;。

何て話すのも・・・先日、母をかかり付け医の検診に連れていき、いつもの薬をもらうため近くの調剤薬局に行ったとき、まさしく面倒くさいお客さんの相手をしている薬剤師さんを目撃したんだよね。誰がどう聞いても理不尽というか、ただ絡んでるだけの人に対して、根気強く「そうですね」「すみません」と対応していらした。なにもスマナイことはないけど「すみません」と言う、かなり変なことを言われても「そうですね」と返す、まさに大人の対応ってのをしていらした。すると最後は、よくわからないけど、その人は機嫌よく帰っていった・・・ほんとよう分からんけど・・・たぶん、その人は寂しい人なんだろうな・・・誰かに相手をして欲しかったんだろうな・・・薬剤師んさんに根気よく相手してもらって満足したんだろうな・・・なんて、ステレオタイプな解釈をして納得することにした。

そういえば、先日参加したとある会議でも、よく分からん絡みをする参加者がいた。絡まれた人は、これまた根気よく対応されていたが、あまりにシツコイので、ちょっと口を挟もうかなと悪い癖が出かかった。でも、ここでわたしが口を挟むとさらに話がややこしくなって収集がつかなくなるだろうなと思い、こういう場合は"嵐が過ぎるのを待つ"作戦が最も時短で問題解決する方法だと思って、開きかけた口を閉じた(^^;。

わたしが、こういう"ことなかれ"対応を実践方式で学んだのは、ライターとして色んな方に取材させてもらったことかなと思う。取材させていただいている立場としては、相手の機嫌を損なうことが一番してはならないことなのだ。なにせ、相手に出来るだけ本音を語ってもらわなければならないので、機嫌を損ねてしまうと文字通り話にならない。自分とは違う価値観で話される内容にも相槌を打ち、高慢な態度をとられてもヘリクダリ、相手に気持ちよく喋ってもらうお膳立てをしなくちゃならない仕事だったから。おっと、誤解がないように・・・大方の人は、とても好い人でした。中には本当に勉強になるお話を聞かせてくださったり、感動するお話を聞かせてくださったり、社会的に高い地位にあっても決して偉ぶらず礼儀正しく接してくださる方がほとんどだったけど・・・正直、とんでもないなと思うような人もたまにはいたってこと。それでも、その人に話してもらうためには、自分の気持ちとか何が正しいとか、そんなことは言っていられないってことだったわけだ。

それでふと思ったのは、最近まで長らく大いに世間を盛り上がらせていた、秋篠宮家のご長女のご結婚のまつわる騒動。トラブルと言われているもの事態や、ご結婚そのものについてコメントするつもりは全くないが・・・勝手に眞子さんの心情を想像して「分かるわ~」って思った話を(^^;。
たぶん・・・ほんとたぶんですが・・・トラブルが報じられて、眞子さんは彼氏に「どういうこと?」って問いただした。そしたら「こうこうこういうことなんだよ」って彼氏が説明した。眞子さんは「うそ~、なんて酷い人なの」って心から憤慨した。そして「わたしと結婚することにならなかったら、貴方もお母さまも、こんなひどい目にあうことはなかったのね」と申し訳ない気持ちになった。ここで、今の私のような堕落した大人の頭なら「仕方ない、こういう相手にはある程度のお金を握らせて黙らせるしかしようがない」と思うんだけど、若く純粋で正義感に満ち満ちた心と頭には、そんな解決策は微塵も思い浮かばない。"そんな酷い人にお金を渡すなんて正しくない""そんな卑怯な人の思い通りにさせるなんて絶対に良くない"と思ったんじゃないかなぁ~・・・若い頃の私なら、きっとそう思った・・・分かるなぁ~、ってね(^^;。

念のため、断っておくが、事の真相なんて誰にも分からない。眞子さんは彼の言葉をそのまま信じたのだろうけど、彼だって親の色恋に関してすべて理解しているはずはないし、当事者と言われる彼の母親やその相手だって、自分の信じたい真実があるだけで、客観的に俯瞰で見た本当なんて分からない。ただ、まあ、天皇制に関する課題みたいなものは見えた出来事ではあるよね。眞子さんの結婚それ自体に口を挟みたくないけど、こういう騒動になるってことの根っこには、今の天皇制の課題があるってのは、ハッキリしてるもんね・・・

おっと・・・なんの話だっけ・・・面倒な人との付き合い方・・・今のところ、わたしは"堕落した大人の事なかれ主義"をメインに据え、個々の案件に臨機応変に対処していく所存です。

出会うべき時に出会うべき人と出会う・・・

2021-11-01 16:42:20 | Weblog
車庫を出て玄関に向かって庭を歩いていると、なんだか甘い香りが・・・ん?と、見上げてみると庭の金木犀が咲いていました。あれ?金木犀、今年は咲き終わったんじゃなかったっけ・・・どうしたのかな~、そんな気分だったのかな(^^;>

ところで・・・親が言うのも何ですが、藍那はけっこう美人さんなのでよくモテました。けど、意外にも失恋も少なくなかったんですよね・・・一度なんか、かなり落ち込んで、しかもそれをずいぶん長く引きずって、とても辛そうでした。可哀想だけど、どうも真剣に好きになった人にはフラれがちなんですよね。で、フラれる時は、外見ではなく中身の成熟を求められるようなこともあったみたいで・・・ある意味、藍那は男を見る目があった・・・外見に惑わされず本物のイイ女を求める本物のイイ男に惚れがち、だったのかもしれません。だとしたら、藍那が女として&人として素敵に成長し、そんな藍那が本気で惚れ相手も本気で惚れてくれる、絵にかいたようなイイ女とイイ男の出会い、この目で目撃できる日が来たかもしれないなぁ~・・・なんて思ったりするんですよね(^^;。

で・・・まだまだ伸びしろアリ、本物のイイ女への成長過程だった藍那が、軽めの失恋をした時の事なんですけどね・・・事情を知った藍那の弟が「お母さんは、その相手に腹立たへんの」って聞いてきたんですね。で、わたしは「彼は藍那の人生における役割をしっかり果たしてくれたから、何も腹は立たない。むしろ感謝してる」って答えたんです。実際、当事者である藍那も、わりとサバサバしていて・・・きっと、わたしの捉え方は間違ってなかったんじゃないかと思います。彼は、藍那の人生に必要な大きな転機に、彼にしかできない大きな役割を果たしてくれたけど、人生の伴侶ではなかった、それだけなんだと思います。

と・・・他人(我が子と言えど他人ですからね)のことは俯瞰で見られますが、我が事となると、なかなか分かりづらいんですが・・・この年になって、自分の人生を振り返ったら、恋愛に限らず、"転機には必ずそこに人が在る"気がするなって思います。っていうか、"人との出会いなしに転機ってないのかも"って思います。そんなに印象的な出会いでなくても、そんなに深い関わりでなくても、袖すり合う程度の出会いであっても、必ず誰かが転機の鍵になっている、そんな風に思えます。

けど、ここのところ、わたし、人とであってないなぁ~って思います。新しい出会いとか、まったくないなぁ~って・・・。でも、転機になる出会いを求めて動くというのも違うんですよね。それはほんと、違うんですよ・・・作為的なのは、不思議と転機に繋がりませんからね・・・

あっ・・・母が部屋にやってきました。「わたし、なんかおかしくなってる。なんか頭がおかしくなってる。なにもよう分からん」「もう寝ようか、そのままずっと寝られたらいいんやけど、そうはいかんなぁ」。どどうしてあげようもありません・・・

ふと思ったんですが・・・もしかしたら、これも出会いなのかな。母とはわたしが生まれて以来の付き合い。誰よりも長く深い関わりですが・・・今の母と私って、新しく出会っている・・・のかもしれない・・・そんな風にも・・・・