OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

傍にいてくれるだけでいい・・・♪♪

2024-05-30 07:43:54 | Weblog
我が家のニャンコ四兄妹(まろはるは母娘だけどね)、みんな性格が全く違う。だから、甘え方も、まったく違う。で・・・末っ子のはる坊の甘え方が、面白いなぁ~と思うのであります。

はるちゃんは、超甘えたなんだけど、触られるのは好きじゃない。おしっぽの付け根あたりをナデナデしてもらうのは嫌いじゃないけど、基本的にはスキンシップを嫌う。長時間の抱っこなんてとんでもない。

けど・・・自分からなら、けっこうサラッと触れてくる。立っていたら、定番の足元スリスリ。座っていたら、お膝に足をかけアチコチくんくん。寝転がっていたら、お腹をふみふみしたり、背中にのってきてマッタリ。けど、だからといって、こちらが手を伸ばすとイヤイヤってなる(^^;。ちなみに、上向きに寝転がっているとなかなか乗ってこない。胸の上だと、わたしが抱きしめようとすると思うみたい。

抱っこしても、すぐに肩まで登って抱きしめられないようにするし、時には背中に回ってそこでゆっくりしようとする。肩や背中だと、わたしの手が届かないから、自分の好きなかたちで甘えられるってことみたい。わたしは、姿勢が苦しくて、辛いんだけどね(^^;。

ニャンコの、気持ちよさそうな"ごろごろ"声。ふつうはナデナデしてあげているときに発するものだと思うんだけど・・・はるちゃんは、数センチだけ離れて、触れるか触れないかくらいの距離で傍にいてあげると、ほんとうに安心したように"ごろごろごろごろ"って言ってる。撫でなくてもいい、触らなくてもいい、傍にいて一緒にまったりしてくれるのが一番嬉しい・・・って言ってるみたい。

愛情表現、甘え方・・・ほんとうに人それぞれ、猫それぞれ。

こちらの好みももちろんあるけど・・・大好きだから、相手が嬉しいと思ってくれる接し方を、選択したいと思います。

でも、はるちゃん、時々は、ぎゅっ~とさせてね・・・時々でいいからね(^^)。


何年かぶりに母と逢った・・・

2024-05-22 13:02:39 | Weblog
母の夢を見た。半年近く経つが、はじめてのことだ・・・

火災保険の更新に当たって、顧客へのサービスとして、香港旅行をプレゼントすると・・・それで、母が参加することになり、朝から一人で関空に出かけた。のに、しばらくしたら戻ってきた。「どうしたの?」と聞いたら「パスポートを忘れた」と言う。「ごめんごめん、それは私が気をつけるべきだった。なら、近々、どこかに連れていくね」などと話した。

と、それだけのことなんだけど・・・なんというか・・・"わたしの知っている母"に、何年かぶりであったなぁ~と・・・認知症になる前の母、まだ私を娘と認識していた頃の母と、ほんとうに久しぶりに会話したなぁ~と・・・

それにしても、夢は現実を反映するね・・・火災保険の更新(名義変更)手続きが、最近、やっとすべて完了したところだったし・・・部屋の整理をしていて、父や母の最期のパスポートを見ながら、JAさんの顧客サービスで、海外も含めて色んなところに旅行に連れて行ってもらっていたなぁ~っと感慨深く思ったところだったし・・・旅行先が香港とは、まったくもって私の映画絡みの好みだし(^^;。おっと、余談でした。

逃げ込む場所を自分で作りたい・・・んだろうな

2024-05-15 14:41:48 | Weblog
先日から、"世界を創造する"という話を何度かしていますが・・・ああ、もちろん、自分の頭の中でってことですが(^^;・・・なんで、そこに拘っているのかなぁ~って考えると・・・逃げ込む先が、袋小路なんだなって気づきました(涙)。

夢中になることとか、一生懸命になることとか・・・そういうことって、みんな、ある種の逃げ場所だと思うんですよね。

依存症なんかは分かりやすい例ですよね。"推し"を得ることも、大いにそうですよね。ワーカーホリックなんかも、実はそうですよね・・・あっ、ワーカーホリックは仕事依存症だから、薬物依存や買い物依存、最近話題のギャンブル依存なんかと変わらないか(^^;。

愛なんかもそうですよね・・・そういう表現は避けるべきかもしれませんが・・・恋愛でも家族の愛でも、やっぱりある種の逃げ場所を提供してくれているものですよね・・・

逃げ場所・・・逃げ場所は、アンカーでもある・・・強い惹き(引き)でもって、心(ひいては体)をこの世界にとどめてくれる・・・

私の人生にも、たくさんの逃げ場所がありました・・・夢中になれるものたち・・・愛・・・たくさん・・・

でも、年を重ねるとともに・・・それらの逃げ場所は、増えていきもするけど減ってもいく・・・実際に、物理的に減る場合もあれば・・・精神的に減ることもあり・・・・物理的な減少が精神的減少を加速させることもある・・・そして、今、わたしは、自分にとっての逃げ場所を補強する必要を漠然と感じているんでしょうね・・・

随分前に、わたしの夢は、フルカラーで、複雑なストーリーが(夢にしては)破綻なく展開するとお話したことがあると思いますが・・・ほんとうに、毎晩、一本の映画で主人公になって波乱万丈の人生を生きるような体験が出来ていた頃があるんですが・・・その経験が潜在意識に働いているのかな・・・ずっと夢の中で生きられるなら、それも楽しいかも・・・なんてね・・・ちょっとばかり、そんなことを思ったりもするんですが・・・

夢って、やっぱり不安定じゃないですか・・・自分が作り出しているといっても、確実に思うように展開するわけじゃない…怖い思いもするし、悲しい思いをすることもある・・・

だから、そういう不確実で未完成な夢に頼るのではなく、ちゃんと自分自身で、自分が逃げこめる世界を構築したいんじゃないかな・・・わたしは・・・

とはいっても、自分が主役のシンデレラストーリーとか、サクセスストーリーとか、そういうのを作りたいわけじゃないんだと思うんですよね・・・さすがに、もう思春期の少女じゃないんだから・・・・おっと、思春期の少女の頃も、そんなに可愛らしい感性の持ち主じゃなかったけど(^^;。

じゃあ、神になりたいのか・・・ある意味、そういうことになりますかね・・・創造主ですからね・・・でも、決して絶対的な力を持つ者になりたいとか、支配者になりたいとか、世界を操りたいとか、そういうことではないんですよ・・・世界を創造できたとしても、その世界で、わたしは、神として君臨したいわけではないですからね・・・むしろ路傍の石でいい・・・そこに、安心して逃げ込めるなら・・・

これも以前に話したと思うんですが・・・エデンの園に知恵の木があったのは、神様が、人間に、それを食べさせたかったからだよね・・・それも、ダメと言っているのに、自分の意志で食べちゃって、エデンの園を出ていかなきゃならなくなるのを期待していたに違いないよね・・・だって、わたしが神様なら、それを望むもの・・・聖書の物語を書いた人も、きっとそう思っていたんだよね・・・って。愛があるなら、子供の成長と自立は、一番望むことだもの・・・すごく寂しいことだけど、それに耐えて送り出すのが、親の幸せだもの・・・

そっか・・・わたしが創る世界は、決して、わたしの逃げ場所にはならないんだろうな・・・というより、作るという作業それ自体なら、逃げ場所になってくれるかも・・・ふむ・・・ふむ・・・

"高橋たか子"さんを読み返すのが恐ろしく思われるのは何故・・・

2024-05-13 08:36:03 | Weblog
いつもお話していると思いますが、わたしは映画でも小説でも音楽でも、抹香くさいものは苦手です。自分自身は、あきれるほど"わたしわたし"と自分のことばかり語りたがるくせに、思想的であったり、内省的であったりする創作物より、娯楽性の強いものが好きです。

だから、小説で言うなら芥川賞を受賞するような作品は、ほとんど読みません。自称文学少女だったころに、何度かチャレンジしましたが、ほんとうに肌が合わなくて・・・直木賞作品にホッとするタイプの感性の持ち主です(^^)。

そんなわたしがドハマりしたのは、いつも言っているようにSF小説やスパイ小説、推理小説など大きくは冒険小説、それから時代小説(一部歴史小説も含む)なんですが・・・唯一の例外と言っていいかもしれないのが"高橋たか子"さんです。彼女は、どうなんでしょう・・・やっぱり、分類するなら純文学なんじゃないでしょうか・・・・・

高橋たか子さんは、わたしの母と同い年なのですが、本格的に執筆をはじめられたのが比較的遅かったようで・・・わたしは、ほとんどリアルタイムに作品を拝読してきました。十代後半から二十代前半、青年期といわれる頃に、わたしの心の成長に伴走してくれたんです。

はじめて出会ったときのあの感覚は、いまも忘れません。文字通り、胸がきゅ~~ってなりました。ほんとうに、胸がきゅ~~っとなりました。"これ"を知っている人が自分以外にもいる・・・衝撃でした。しかも、この人は、"これ"を言語化している!!

それは、感動でもありましたが、大きな失望でもありました・・・なんだ、わたしって、ぜんぜん特別な存在じゃないんだ・・・(爆)。この世の中で、"これ"を知っているのはわたしだけで、他の誰も、"これ"の存在にすら気づいていない、と思っていたのに・・・。それは、とても孤独で息すらし辛いのだけど、同時に誇らしくもあったわけなのですが・・・その、自らの寄る辺となっていたアイデンティティーが根底からくつがえされてしまい・・・わたしは、この現実社会で、ちゃんと生きていくことを覚悟せざるをえなくなったわけです・・・(^^;。

その後・・・何故だか『怒りの子』を最後に、パタッと読まなくなったんですよね。『怒りの子』は、藍那が生まれた翌年に発行だから・・・そういうタイミングだったのかな・・・

でも、その後・・・藍那が大学を卒業して、人生に悩んだ暗黒時代を迎え、ちょっと前向きになれたころに、わたしにとっての"高橋たか子"さんの話をしたんですよね・・・そしたら、読みたいっていうんで、何冊か渡したのだけど・・・結局、藍那は、読んだのかな・・・読んだとしたら、何を感じたのかな・・・・

『三体』の話を続けて何回かしていて・・・自分の読書歴のことも考えたりして・・・ああ"高橋たか子"さん、って・・・わたしの読書歴で"高橋たか子"さんは絶対に外せないよなぁ~、って思って・・・それで、書棚から引っ張り出したりもしたんだけど・・・なんだか・・・読めないんですよね。Kindleで『高橋和巳・高橋たか子 電子全集』なんてのが出てるから、それを買いなおして読んでみてもいいんだけど・・・と思ったりもしたんですけど・・・なんか、怖いんですよね・・・何が怖いんだかよく分からんのですけど・・・へんなの・・・ですよね(^^;。

わたしが創り上げたい世界とは、どんなものなのだろう・・・

2024-05-11 12:08:19 | Weblog
三カ月ほど前に「目指すべき理想の世界をイメージできますか?」ってタイトルで、似たようなことを話してるんですが、今回は、ちょっと角度が違うので、許してください(^^;。

劉慈欣さんの『三体』シリーズを読み(聴き)始めてから、おりにふれ思ってしまうことがあるんですよね・・・わたしが世界を創り出せるとしたら、いったいどんな世界を創造したいだろうか・・・

劉慈欣さんの『三体』と出会って、特に強く思い出さずにはいられないのが"我らが小松左京さん"です。彼の小説に常々感じていた・・・文学性には劣るかもしれないけど、その発想力と世界・人類に対する洞察力の比類なさに驚嘆する・・・劉慈欣さんの『三体』にも同じことを感じています。

『三体』も、はじまりは文革のシーンからで、かなり文学性は高いと思います。けど、第二部、第三部と進むうち、どんどんと物語の書き込みが減って、課題というのかな、テーマというのかな、それを提示するのにいっぱいいっぱいって感じになって、どっちかっていうと"詳しいプロット"を読んでるみたいな気分になってしまうんですよね。

でも、それも無理はないって思うんですよ。次々に提示される課題というのが、その一つだけで、哲学者とか社会学者が人生をかけて挑むテーマに値するようなものばかりですからね、そこを掘り下げて、しかも文学性までもたせて書いていたら、いつまでたっても前に進めないし、永遠に終われない・・・いや、まじで、大げさじゃなく、宇宙の寿命くらい時間が必要だと思います。

だから、"文学性に劣るかもしれない"などと失礼なことを言ったのは、決して批判ではないんです。それも仕方ないと思う、いや、それでもいいと思う、いやいや、それがいい、わたしは文学性より、そちらを優先してくださった方がとても嬉しい・・・そう言いたいわけです。

で・・・波状攻撃のような、劉慈欣さんの課題の提示を浴びながら・・・情けないことだけど、現実の今の我々の社会の中で、それらを解決する方法は、まったく思いつかない・・・ただ、左京さんや劉慈欣さんを見習って、私自身が、これからの世界をどう想像するか、そして、もし出来るなら、どんな世界にしたいか、と考えることはできるんじゃないかと思うんですよね。もちろん、それを体系的に構築して小説のような形には、とてもとても出来やしないけど、自分の頭と心の中で、いろいろと思いめぐらすことはできるんじゃないかと・・・

けど・・・できないんだよなぁ~・・・ほんとにできないんだよなぁ~・・・考えれば考えるほど混沌としてしまう・・・でね、そこでまた気づくんですよ・・・この、わたしの頭の中の混沌さえ『三体』で描かれているなって・・・

で・・・だから、それがいいなとも思うんですよ・・・安易な正解を、偉そうに謳っていないのが、真剣で誠実でいいなって・・・

そうそう、先日、『巷の名言集』で、フランスのTVドラマ『アストリッドとラファエル 文書係の事件簿』の中のセリフを紹介したんですね。「市民が抱く正当な不信と陰謀論はどう違うの」という問いに、登場人物の一人が「僕が思うに、陰謀論とは拒否なんだ。社会の複雑さに対する拒否だ。複雑な問題に対する簡単な答えさ」って答えているんですが・・・その通りだと思うって。いえ、陰謀論がっていうより、複雑な問題に対して、ついつい答えを急ぎがちになっちゃうなって・・・そう思うんですよね。

だから・・・複雑な問題に対する簡単な答えを、しかもそれらしい答えを、受け入れたくなるような答えを、言わないことの真摯さと誠実さを、わたしは好ましいと思うと・・・

ただ・・・自分自身が生きていくうえで、指針となるものは決めておかなくちゃいかんような気はするんです。正解ではなく指針ね。たえず修正していく必要はあるけど、それでも"こうしたい""こうありたい"みたいなものは、自分の芯に置いておく必要があるような・・・

ふむ・・・どうなんだろうなぁ~・・・わかんないなぁ~・・・・困ったもんだなぁ~・・・・

【注意喚起】国民健康保険の減免とかなんとか・・・

2024-05-09 10:06:22 | Weblog
市の健康保険課のEさんという人物から電話があった。なんともまどろっこしい話し方なのだけど、慣れない感じの誠実そうな声と話し方だったし、すっかり信じた。だらだら長くてよく分からんしゃべりなので、こちらから質問を返しつつ聞き出したところ、なんでも、厚生労働省から指示された三年に一度の見直しで、昨年度の医療費を計算したところ、二万円強の還付があるという。すでに還付の書類を送ったが、期限の4月末になっても手続きされていないので電話をくれたという。で、期限を過ぎた方でも手続きの仕方があるというのだが、それがなんとも奇妙なのだ。これからすぐに、指定銀行に連絡するから、その指定銀行の本店から、今日明日中に電話があるだろうと。それで、必要なものを持って窓口まで行き手続きしろと、そういうのだ。あまりに面倒なので、じゃあ、還付金はいらないという場合は、ほっとていもいいのかと聞くと、三年に一度の見直しなので、これから三年間は減額されないままのなってしまうという。なんともオカシイ。でも、まあ、この時点で、口座番号やら暗証番号は聞かれてないので、まっいいかと思い、携帯電話の番号を教えるのだけは拒否して、電話をきった。

でも、いままでに一度も、"三年に一度の手続き"とかしたことないし、最初の期限が過ぎただけで市が手続きを銀行に丸投げってありえんし、あまりにも変だから、市のホームページに何か記載はないかと見てみたが、減免とか軽減とかのコーナーにはそれらしき文言はないし・・・ええいと思って、市の健康保険課に電話して聞いてみたら、案の定、市がそんな電話をすることはないと言われた。

その電話(スマホ)の最中に、固定電話がなった。市の電話を保留にしたまま、固定電話に出たら、銀行からだという。ああ~、やっぱり詐欺確定だなと思った。これまでの経験上、銀行からの連絡が、こんなに早いはずがない(爆)。で、今度は、その銀行からの電話を置いておいて、市の担当者との電話を終わらせ、それからじっくりと銀行員と名乗る男との会話を始めた。

いつ口座番号とか暗証番号とか、そういうのを聞くかなと思ったが、なかなか聞いてこない。何支店に来るかと聞くので、それは言ってもいいかと思って答えた。いつこられるかと聞くから、いつでもと答えた。持って来るものは通帳とキャッシュカードと認印と言われたので、銀行印でなくてもいいのかと聞くと、今回は認め印でもいいという。それから、市から届いた書類を持ってきてほしい、で、その書類にはなんとか番号というのが記載してあるはずだからそれだけ確認させてほしいという。いや、その書類がないから、市からそちらに回されたんでしょっていうと・・・なんといきなり電話を切られた。

市の人と話しているのが聞こえていたのか、認印でひっかかったのか・・・とにかく、これは失敗と判断したのだろう。もうちょっと突っ込んだ手口を聞き出したかったが・・・まっ、騙されなかっただけで良しとするか・・・

それにしても・・・最初の市の職員を名乗る男性は、ほんとうにそれらしかったなぁ~。入所したてで、まだ上手く話せませんっぽい話し方で、とっても誠実そうで、母性本能をくすぐる・・・演技だとしたら、いい俳優になれるのに。銀行員役は、ちょっと海千山千っぽい雰囲気だったけど、これまた銀行の本店勤務っぽいといえば言えなくもない。キャスティングが絶妙だ。

それにしても、この後、どうしてお金を引き出すんだろう・・・その方法が思いつかないんだけど・・・実際に銀行の窓口に行っちゃったら、どうしようもできないでしょ・・・書類がないなら仕方ないからどうしろこうしろとなるんだろうけど・・・それにしても、こちらは絶対に暗証番号とか言わないし、振り込みなんかもしないし、現金を誰かに渡したりもしないよ・・・ほんと、ここからどうするのか、聞きたかったなぁ~。

ちなみに、わたしは、こういう書類を見逃すことはほとんどない。返送が必要な場合は、ほとんど即日返送する。しかも、今年初めの頃となると、母のことで、そういう書類のやり取りに明け暮れていた時期なので、ほぼ見落としはあり得ない。だから、そもそもこの話は変だと感じていた。でも、万が一のこともあるし・・・

ちなみなちなみに・・・この連休の始まりの頃に、ゆうパケットで二つの荷物が届いた。正確には、二つの荷物が届いたとの配達完了通知が届いた。けど、郵便受けには荷物が一つしか入ってない。落ちてないかと周りを確認したり、宅配ボックスを確認したりしたけど、どこを見ても荷物は一つしかない。で、どうしようかなと悩んだ。日本郵便が荷受けをしているので、送り先(商品の販売元)から出荷されているのは確かだ。ということは、確認するとすれば郵便局しかないが・・・配達完了通知まで出しているのだ、配達した、いや受け取ってないの問答になったら、どちらも証明のしようがない。お互い不快になるだけだろうし・・・不幸中の幸い(でもないんだけど)、配達されるはずの荷物はとても安価なものだったし・・・まっいっか、諦めようと思った。
それにしても、二つの内、一つはちゃんと郵便受けに入っているのに・・・こんなこともあるんだなぁ~・・・・。ただ、一つ考えられることは、とても小さな荷物(普通郵便の封筒と同じサイズ)なので、入れたつもりでバイクの荷箱に残ったままになっているかも・・・だとしたら、局に戻ったときとか、次の配達の準備の時とかに気付いて、再配達してくれるかも・・・ちょうどゴールデンウィーク中で、こちらが何も言わなければ、旅行中で気づいてないかもと安心して、何もなかったかのようにそっと郵便受けに入れておいてくれるかも・・・そう思ってその後何度も確認したが入っておらず・・・ついに諦めたころに、なんと!入っていたっ!!!

なんてことが、ちょっと前にあったから、この書類も、わたしが受け取ってなくても市が発送していた可能性は皆無じゃないしなぁ~と思ったということも、騙されかけた要因の一つなのだありました(^^;。