気が付けば、もう八月も終わりに近づいています。ああ~、無為に過ごしてるなぁ~(涙)。いえね、社会的に生産性が高いのが有為いや有意って思っているわけじゃないんですよ。ちゃんと時間を大切に過ごしているか、毎日を楽しく暮らしているか、それが一番の問題だと思うんですが、そこが全くダメだなと、そう思っているわけです、はい。
えっと・・・今朝、Amazon のKindleの日替わりセールで『三体問題 天才たちを悩ませた400年の未解決問題』という本が安くなっていたので、思わず買ってしまいました。でも、著者の浅田秀樹さんのことも良く知らないし、一応、レビューを読んで参考にしたのですが、数学や物理に詳しい人からは物足りないと不評で、数学や物理は嫌いじゃないけどそんなに詳しいわけじゃない人たちには分かりやすいと好評、というイメージでした。もちろん私は後者に属しますから 、購入を決めたわけです(^^;。
先日、友人たちと久しぶりに会って話をして、その時にもチラッと話したのですが、"わたしがもっと頭がよければ、数学とか理論物理で身をたてたかったな"って、真剣に思います。だけど、あまりにも頭が悪いもので・・・努力で補える範囲を越えてバカなもので・・・諦めざるを得ないわけです・・・悲しいです、ほんとに。
ただ、今までに何度かお話したように、わたしが本当に知りたいのは、数学や物理で追及するWhatやWhenやWhereやHowよりも、何と言ってもWhyで、それに関しては科学より哲学の分野だと思うのですが・・・数学や物理とは別にある哲学ではなく、数学や物理の上に積み上げられる哲学が、わたしの行きつきたい場所で・・・そうなると本当に、身の程知らずもここに極まれりってことになるんですよね(爆涙)。
って嘆いてばかりで何もならないわけで・・・馬鹿でも出来る何か・・・山に登るために穴を掘る的な発想で(←どんな発想や!)何か起死回生の打開策、見つけられないかなぁ~・・・って、また努力を伴わない願望だけ・・・とほほ
ところで・・・『三体問題 天才たちを悩ませた400年の未解決問題』の著者の浅田秀樹さんのことを良く知らないと言いましたが、こういう時って、本のレビューもですが、著者の略歴みたいなものを確認しませんか?わたしは確認して、それをもとに信頼度を図りますが・・・これってある種の偏見というか、職業差別とか学歴差別とも言えますよね。ご本人をちゃんと見ているわけじゃなく、卒業した学校だとか、所属した組織とかでその人を値踏みしているわけですからね。でも、それをするなと言われたら、まったく知らない相手を、どう評価するのか・・・また、何も評価の材料がない段階で、関わるか関わらないか、何を参考に決めればいいのか・・・迷いますよね、ほんと・・・
上記の事からも分かるように、私の中には明らかに差別意識が存在します。学歴や職歴だけじゃなく、国籍や人種、家庭環境や資産状況、一人の人の属性というんですか、その人に関わるありとあらゆる事柄について、自分なりの先入観をもっており、それによって差別する気持ちも当然うまれてしまいます。もちろん、それは理不尽な刷り込みだけじゃなく、経験に基づく知恵だったり、自己防衛の大切な手段だったするとは思うので、全面的に否定はしませんが、恥じる気持ちも強くて・・・ときどき身動きが取れないようなことになって、困ったなと思うこともしばしばです。
けれど、自分の差別意識を全く隠そうとしない人もいますよね・・・差別じゃなく正しい認識だと信じているからでしょうか・・・何よりも自分が感じたことを大切にしているだけなのでしょうか・・・
全く話は変わりますが・・・何も悪くないのに感じる罪悪感ってのも厄介ですよね。あれはなぜ生まれてくるんでしょうね。最たるものは、戦争や大きな災害で生き残った人が亡くなった人に対して感じる負い目のような感情・・・いったいどこから、そういう感情が生まれるんでいょうね・・・
ふむ・・・
えっと・・・今朝、Amazon のKindleの日替わりセールで『三体問題 天才たちを悩ませた400年の未解決問題』という本が安くなっていたので、思わず買ってしまいました。でも、著者の浅田秀樹さんのことも良く知らないし、一応、レビューを読んで参考にしたのですが、数学や物理に詳しい人からは物足りないと不評で、数学や物理は嫌いじゃないけどそんなに詳しいわけじゃない人たちには分かりやすいと好評、というイメージでした。もちろん私は後者に属しますから 、購入を決めたわけです(^^;。
先日、友人たちと久しぶりに会って話をして、その時にもチラッと話したのですが、"わたしがもっと頭がよければ、数学とか理論物理で身をたてたかったな"って、真剣に思います。だけど、あまりにも頭が悪いもので・・・努力で補える範囲を越えてバカなもので・・・諦めざるを得ないわけです・・・悲しいです、ほんとに。
ただ、今までに何度かお話したように、わたしが本当に知りたいのは、数学や物理で追及するWhatやWhenやWhereやHowよりも、何と言ってもWhyで、それに関しては科学より哲学の分野だと思うのですが・・・数学や物理とは別にある哲学ではなく、数学や物理の上に積み上げられる哲学が、わたしの行きつきたい場所で・・・そうなると本当に、身の程知らずもここに極まれりってことになるんですよね(爆涙)。
って嘆いてばかりで何もならないわけで・・・馬鹿でも出来る何か・・・山に登るために穴を掘る的な発想で(←どんな発想や!)何か起死回生の打開策、見つけられないかなぁ~・・・って、また努力を伴わない願望だけ・・・とほほ
ところで・・・『三体問題 天才たちを悩ませた400年の未解決問題』の著者の浅田秀樹さんのことを良く知らないと言いましたが、こういう時って、本のレビューもですが、著者の略歴みたいなものを確認しませんか?わたしは確認して、それをもとに信頼度を図りますが・・・これってある種の偏見というか、職業差別とか学歴差別とも言えますよね。ご本人をちゃんと見ているわけじゃなく、卒業した学校だとか、所属した組織とかでその人を値踏みしているわけですからね。でも、それをするなと言われたら、まったく知らない相手を、どう評価するのか・・・また、何も評価の材料がない段階で、関わるか関わらないか、何を参考に決めればいいのか・・・迷いますよね、ほんと・・・
上記の事からも分かるように、私の中には明らかに差別意識が存在します。学歴や職歴だけじゃなく、国籍や人種、家庭環境や資産状況、一人の人の属性というんですか、その人に関わるありとあらゆる事柄について、自分なりの先入観をもっており、それによって差別する気持ちも当然うまれてしまいます。もちろん、それは理不尽な刷り込みだけじゃなく、経験に基づく知恵だったり、自己防衛の大切な手段だったするとは思うので、全面的に否定はしませんが、恥じる気持ちも強くて・・・ときどき身動きが取れないようなことになって、困ったなと思うこともしばしばです。
けれど、自分の差別意識を全く隠そうとしない人もいますよね・・・差別じゃなく正しい認識だと信じているからでしょうか・・・何よりも自分が感じたことを大切にしているだけなのでしょうか・・・
全く話は変わりますが・・・何も悪くないのに感じる罪悪感ってのも厄介ですよね。あれはなぜ生まれてくるんでしょうね。最たるものは、戦争や大きな災害で生き残った人が亡くなった人に対して感じる負い目のような感情・・・いったいどこから、そういう感情が生まれるんでいょうね・・・
ふむ・・・