OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

藍那の鞄が・・・

2020-06-29 07:58:23 | Weblog
あの日、藍那が持っていた鞄を、引き継いでずっと使ってきた。その時、鞄に入っていた財布、iPhone、スケジュール帳も、そのまま鞄に入れて持ち歩いている。スケジュール帳には、翌月に私と一緒に観にいく予定だったお芝居のチケットも挟まれたままだ。

その鞄の持ち手が千切れる寸前になっているのに、今朝気付いた・・・時の流れを感じた・・・

千切れてしまっては嫌だと思い、あわてて仕舞い、次に何を持とうかと藍那の部屋を物色した。そして、エルメスのキャンバス生地のエールバックジップにすることにした。

これは、たしか・・・大学入学が決まったお祝いに買ってあげた鞄ではなかったかと思う。わたし自身がブランド品に全く興味がないので、娘に高価なブランド品を買い与えることはほとんどなかったけど、この時は、藍那の懇願もあって、けっこう奮発した覚えがある。

神戸のエルメスのショップでこの鞄を選び、その後、わたしのパソコン通信仲間(香港映画ファン)との銀幕会(一緒に映画を見て、その後は食事をする)に連れて行った。みんなに「いいの買ってもらったね、よかったね」「かわいいお嬢さんね、お母さんの自慢でしょ」などと言われて、はにかみながらも嬉しそうにしていた藍那を思い出す。

藍那のものは何一つ捨てられないが、共通の思い出のあるものには、とくに執着してしまう。たとえば、わたしのバックスキンの靴だが・・・女子大を卒業してから、大学時代によく通っていた大学近くのパスタ屋さんに連れて行ってくれたことがあったのだが、その時に履いていた。お店の人が「お母さん、おしゃれだね。靴にも気をつかっていてステキ」と、藍那に言ってくださった。すると藍那は「この人、ファッションに全然興味がないから、服も靴も、みんな伸ちゃん(父親)が選んでるんよ」と、口をとがらせながら、それでもどこか嬉しそうに、どこか誇らしげにしていた。そんな靴だから、その日以来、秋から冬の季節は、ずっと履き続けている。当然、今やボロボロで雨の日などは水がしみ込んできて靴下がビチョピチョになるが、捨てられないどころか履くのをやめられない。

他人は、こんなわたしの執着を愚かだと思うかもしれない。哀れと思うかもしれない。その通りだと思う。けれど、頼むから整理して前向きに生きろとか言わないで欲しい。こうしているから生きていける・・・そういう人もいるのだ。

あれからずいぶん時も過ぎて、ずっと持ち続けた鞄の持ち手も千切れてしまいそうになったけど・・・わたしにとっては・・・実家を出て何年もたっていたし、毎日連絡してくるような娘ではなかったからか、今も少し離れた場所で好き勝手に暮らしているような感覚が・・・だから時々ふと思う・・・顔を見せに帰ってきてくれなくても、元気に暮らしているならそれでいい・・・なんて・・・・・・

朝顔が咲きました

2020-06-24 09:07:56 | Weblog
毎年、居間の日よけの為に、ゴーヤでグリーンカーテンを仕立てていましたが、ゴーヤは嫌地(連作障害)な質の植物だったようで、年々、茂りが悪くなり、昨年などは、かなりスカスカになってしまったので、今年は朝顔を植えることにしました。で、ずぼらな質なので、根が残って冬を越すという手間いらずな宿根朝顔を選びました(^^)。とね、ほらっ!!今朝、第一号の花が咲いていましたよ。可愛いなぁ~・・・なんだか、愛しさがひとしおです(^^;。

"育てる"とセットの"諦める"

2020-06-19 09:16:14 | Weblog
よく"創る"ことや"創る人"への憧れを語ってきましたが、今はもっぱら"育てる"あるいは"お世話する"人になっているワタクシです。それはそれで、とても有難いことではあります。ここに自分が居てもいいのだと思わせてもらえますから(^^;。

"創る"ことと"育てる"ことには、根本的な違いがあります。誰もが承知しているように、"育てる"ということの役割は、あくまでもサポートですから。育つものにとって最適な環境を整える、育つものが最大限に活きるように手助けする、育つものが幸せを感じられるように支える・・・当たり前ですが、育つものありきです。

自分の美意識や価値観や好き嫌いで、この方が良いと思うとか、こうであって欲しいと思うことがあっても、それを押し付けては"育てるもの"として失格です。自分の気持ちは押さえねばなりません、時には捨て去らねばなりません・・・とにかくまず"育つもの"ありきです。

しかも、育つものと育てるものは、決して運命を共には出来ません。どこまでいっても別の存在ですから、出会いを得ても必ず別れを迎える・・・ことになります。どんなに愛おしく思っていても、"育てるもの"は"育つもの"とは、決して完全に重なり合うことはできません。

今、ニャンコたちと一緒に暮らし・・・花を育て・・・"育てる"ということに自分が支えられ、ささやかな喜びをもらっていますが・・・いつも思います・・・いつどうなるか分からない・・・何が起こるかわからない・・・そしてそれは、ほとんどの場合、わたしにはどうしようもない・・・それが、わたしの望まぬことであったとしても、ただ受け入れて諦めるしかない・・・

もちろん、自分自身にも不本意なことは降りかかってきます。でも、その時感じる悔しさは、"育つもの"にふりかかる不本意なことの前に感じる無力感とは比べ物になりません。

そういう意味で、"育てる"ということには、必ず"諦めること"の覚悟が求められる気がします。決して自分の思うようにはしない、いつか必ず失う・・・その覚悟とセットで"育てる"があるように思います。

と、書きながら・・・幼児教育に関わる施設と珈琲屋を同時に営んでいた時、珈琲屋の常連になってくださっていた学校の先生との会話を思い出しました。「保母さんも含め、教育に携わるお仕事をしてらっしゃる先生方が、生徒たちの心に撒いた種は、お互いが出会わなくなってから芽を出す。だから、自分が何をしたか、何が出来たかを確認できることは非常に稀だ。種をまきながら、花が咲き実がなるのを見ることが出来ない、ましてや収穫に関わることは絶対にない仕事だけど、先生がまいた種は、必ずどこか芽を出していますよ」って。

そう話しながら、わたしは自分の小学校四年生の時の担任のT先生と、小学五年&六年を担任してくださったE先生のことを思っていました。先生方が私の人生に与えてくださった多くの素晴らしい影響・・・感謝してもしきれません・・・でも、その気持ちを先生方に伝えたことはない。T先生は若くして亡くなってしまったので、お礼を言う機会を失してしまいましたが、E先生はどうしていらっしゃるだろうと、今も時々ネット検索をしてみるのですが、何もヒットしません・・・"育つ"側も、育てる"ものと、ずっと一緒に居られるわけではない・・・育ててもらっている時は、そんなことを考えもしませんが・・・それが"育つ"と"育てる"の関係なんでしょうね。

写真は、数年前の母の日に、母に贈った花鉢の花です。とても好い香りのする花で、何年もずっと、母の部屋で香ってくれていたのですが、今年の冬、葉の色が薄くなりはじめ、みるみる元気がなくなってきました。それで、春を待って、母の部屋から見える場所に地植えしました。ずいぶん弱っていたので、無理かなって思っていたのですが・・・色が薄くなった葉は全て落ちて、その後に新芽がどんどん出てきて、あっというまに花が咲き始めました。再生あるいは復活を、この目で見た気がしました(^^)。

色々と花を育てていますが、繊細な気遣いができない質で、病気を防げなかったり、枯れさせてしまったりすることが少なくありません・・・とても申し訳ないです。ニャンコたちも、どんどん年をとり、てんちゃんは、もう10歳です。どうしても先のことを考えて不安になってしまいます。それで、こんなことをつらつらと書いてしまったのでした(^^;。

ツバメ一家、巣立つっ!! たぶん(^^;

2020-06-11 11:42:46 | Weblog
昨日、関西は梅雨入りしました。と同時に、ツバメの子どもたちも巣立ったようです。巣の真下に、土やら羽やら藁っほいものが散乱していて、一瞬ドキッとしましたが、おそるおそる確認したところ、子ツバメの姿はなく、これは一家が皆して飛び立っていったのだなと思います。以前みたいに、子ツバメが餌を催促してピーピー喧しく叫ぶ様子は、ここ数年、みかけることはなくなりましたが、無事に育ち、巣立って言ってくれているのなら、こんなに嬉しいことはありません。ヨカッタヨカッタ(^^)。

子ツバメ、生まれたのかな(^^)

2020-06-06 08:47:06 | Weblog
燕さんが巣を作っている我が家の車庫の床に、割れた卵の殻が落ちてました。子ツバメさん、生まれたのかな。最低二個分はあったので、二羽生まれたのかな。そぉっと観察しているのだけど、まだ姿どころか鳴き声も聞けていません。元気ならそれでいいよ。巣立つその日まで、無事に育っておくれよ。

生き物にとって、快適に過ごすために必要な空間って、どの程度の広さなのかな(その2)

2020-06-04 13:16:29 | Weblog
UPし終えてから思いついたのですが・・・ニャンコの生活必要空間は、そんなに広くないということです。ワンルームのアパートでも、環境を整えてやれば大丈夫だとか・・・それを信じて良いものでしょうか。

我が家は、よくお話しているように、壁や天井は雨漏りのシミだらけ、床は歩くと所々ペコペコするようなボロ屋ですが、田舎なので広さはマズマズ確保できています。なので、我が家のニャンコたちは、概ね、狭苦しさなど感じず伸び伸びと生活してくれていると思います。ただ、まろちんは別です。先住猫と折り合いが悪い彼女には、他の子たちと会わないよう、一部屋限定で暮らしてもらっています。そのことが、やっぱり、どうも気になるというか・・・申し訳ないというか。

まろちんの娘のはるちゃんは、朝になるとそのお部屋を出で、家の中を自由に遊び回っています。そして、夜になると、私がママの待つ部屋に彼女を送っていきます。ドアの開け閉めの際、まろちんは必ずドアのそばまで来ますが、無理に出ようとすることはありません。時々、ドアがちゃんと閉まっていなかったりすると、出てきちゃったりすることがなくはないのですが、しばらく家の中を散策したら、自分で戻っていきます。いつも過ごしている部屋が自分の居場所、自分のテリトリーと決めているようです。

なので、きっと大丈夫、まろちんは窮屈な思いはしていないはず、きっと不幸せではないはずと思いたいのですが・・・今のように完全室内飼いが主流になる前の時代、猫は自由気ままにうろうろするのが当たり前だった昔を知っている身としては、まろちんの状況が、今一つ居心地悪いのです。

だから気になります。快適に暮らすために必要な空間、その条件は何かと・・・

生き物によって、必要な広さは違っていて当然、個体によっても違いはあるでしょう。その、それぞれにとって必要な空間が、ちゃんと考慮されていればいいのだけど・・・猫は、ワンルームでも大丈夫というのは、どういう実験?観察?とにかく、何によって判断されたんでしょうね。そして、その判断基準というのは、人間にも応用できるんでしょうかね・・・ふむ。

そうそう、人間に戻りますが・・・ハーレム系の施設って、女性を閉じ込めますよね。大奥とか後宮とか、ね。すごく広い場所なんだと思いますし、贅沢に暮らせるんだと思いますが・・・自由に出ちゃダメだという場所で暮らすのって、どうなんでしょうね。

やっぱり、広さだけの問題じゃないですよね・・・人が暮らすのに必要最小限の空間の広さって、そう広くはないのかもしれませんが、広さだけじゃないんでしょうね、快適に暮らすためには・・・ふむ。

生き物にとって、快適に過ごすために必要な空間って、どの程度の広さなのかな

2020-06-04 10:26:27 | Weblog
約一年前、我が家に"病"の嵐が吹き荒れて・・・細々と続けていた仕事も全てお断りし・・・家族の体調が落ち着いてからは、ほとんど隠遁生活になっていたわたし。もともと"仙人願望"が強かったことだし、それに全く不満はなかった。というか・・・超働き者の両親と三人暮らしの一人っ子だった身としては、家の中でずっと一人で過ごすというのは、むしろ普通のことで・・・いわゆる自粛生活なんてのを強いられるようになっても、他の人たちはともかく、わたしにとってはストレスでもなんでもありゃしないなぁ~、と思っていた。

けれど、少し前から、いつもとは違う頭痛に悩まされるようになった。強い偏頭痛の薬を服用しても効果がない・・・痛みだけでなく体が重いというか怠いというか・・・不快感が半端なくて・・・嫌な感じだなと思っていた。とはいえ、それが自粛生活のせいだなんて、欠片も思わなかたったのだけど・・・そのいつもとは違う頭痛に悩まされるようになって一週間後くらい(緊急事態宣言も解除されていた)に、外出する用があって出かけたら、なんと、この痛みと不快感が、すぅ~っとなくなったのだ!! もちろん、そんな状態で外出することに一抹の不安を感じていたので、事前にいつもの鎮痛剤は少し多めにのんでいたれど、それでもそれがこんなに効いてくれるとは全く期待していなかったので、驚いた。もしかしたら、わたし、世間の自粛ムードに飲まれてストレスを溜めていたの? そう思うと、さらに驚いてしまう(^^;。

自分で言うのもなんだが、たしかにデリケートなところはある(^^;。それが一番よくあらわれるのがお通じで・・・たとえば、旅先では強力な下剤を飲まない限り、それが何日間であっても旅行中に絶対にウンチは出ない。家でも、来客があった日とか、日曜日(平日とは違うリズムで過ごす日)は、お通じがないことが多い。でもそれは、むしろ、人に関わることのストレスだから、人に会うなという自粛生活は、むしろ好環境のように思われるのだけれど・・・自分の意思ではない隠遁生活は、やはり精神的に良いとはいえないのかもしれない(^^;。

というのが長い長い枕で、ここからが本題なのだけど・・・生き物にとって、快適に過ごすために必要な空間って、どの程度の広さなのかなと・・・。まったく考えはまとまってないので、ほんとに徒然に書きますが、お許しくださいね。

大昔の人は、生まれた村から一歩も外にでないで生涯を過ごす、なんていうけど・・・村程度の広さがあれば、十分なのかな。現在でも、一度も外国にいったことがない人は少なからずいらっしゃるだろうから、国を越える広さは必要ないのかな。昔ながらの"自分が住む村"を軸に、市とか県とか、わたしの地域で言うなら近畿圏内をうろうろできれば、それはもう十分すぎる広さのような気もします。

ただ、人見知りで人と接することにストレスを感じ、一人で家に籠るのが大好きなわたしでさえ、それを強制されれは体に不調が出るように・・・このエリアから出ちゃダメと禁止されると、生活するのに十分な広さが確保されていても、やっぱり心地よくは過ごせないのかなと思います。

また・・・今は、色んな情報が目や耳に入ってくるので、そこに行ってみたい、これを見てみたいって興味を惹かれることも色々あって・・・実際に、そこに行く交通手段というのも発達しているから・・・日常生活を営むだけなら十分な広さのエリアから、時には飛び出していきたい・・・それが出来ないということも悲しさとか寂しさは、確かにストレスになるのでしょうね。"時には"でいいから、必要な生活空間から飛び出したい・・・それが出来ると、とても嬉しいし楽しい・・・っていうのが、人の心理なんですかね。

というのとは別に・・・なんていうのか・・・うまく説明できないし・・・正しい知識に基づいて考えているかどうかにも自信はないのですが・・・人類が、飛行機どころか自動車もない時代に、アフリカから出発して、世界各地、この極東の日本にまで移動してきたっていうのには・・・我々の中に、本能的な"前に進みたい欲"みたいなものがあるんじゃないのかなって思うんですよね。

歴史を見ていると、「何も変えたくない」というのも、人の根本的な心理のような気がしますが、突き動かされるように「変えたい」という欲求が、我々の中にはあって・・・それは、暮らし方や住む場所なんかも含めて「変えていきたい」んじゃないかと。

多くの場合、なんらかの危機に際して、その打開策としての変化や移動が起こったとは思うんですが・・・どこか危機を言い訳にして、そこまでいかなくても危機を格好の機会にして、変化したり移動したりしたというか・・・

なんというか・・・"ずっと同じじゃ、どんなにイイものにでも、飽きちゃうよ"っていう感覚が、理屈抜きで、われわれの中に潜んではいやしないかなと思うのであります。

ああ~・・・予想通り、支離滅裂になっちゃいましたね(^^;。でも、まっ、わたしなりの、この時期ならではの発言ということで、UPしちゃいますね(^^;。