OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

複数人で競争させるか、一人に任せて責任を負わせるか

2013-07-27 14:09:11 | Weblog
昨日、以前からお付き合いのあるライティング仕事の仲介会社さんから連絡があり、専門的な内容を初心者にも分かりやすい文章に書き直す、リライトの仕事をしてもらえないかと依頼された。

なんでも、手配したライターさんはともて知識が豊富な方で、クライアントも出来上がった文章の質の高さに大いに満足しているんだけれど、どうも表現が堅苦しくて、ターゲットとなる人たちが読み物として楽しむには難があると・・・そこでもう一過程、リライターを入れて文章を整えてみてはどうかということになったのだそうだ。で、そのリライターをする気はないかと・・・そう打診された。

わたしというライターは、依頼をうけて書く文章に対して、まったく自己主張がないタイプで・・・記名記事じゃない限り、自分が書いた記事や原稿を、編集者が勝手にを書き換えようと何をしようと、何も不満を感じることがない。そもそも、報酬を頂いて書く文章に、ライターが自己表現を組み込んでどうするんだと思っているから、お金を払う人が満足してくれれば、どう書き直してくれてもいいと思っている。まあ・・・編集に手を入れてもらわないでも、クライアントが満足するものを書くのがベストだという、職人としての義務感はなくはないけれど・・・そこのところは、まっ、いろいろあるしね(爆)。

というわけで、ライターとしての仕事に、職人としてのプライドは持っていても、表現者としてのプライドは一欠けらも持っていない身としては、リライターの仕事だって、十分にアリガタイお仕事の一つで、それを断る理由など何もないのだ。しかも、今回は、扱っている内容が大変に興味深いものだったので、自分より博学なライターさんが書かれたものを読む機会を得られるという楽しみがあって、むしろ嬉しいお仕事といっていいくらいだ。

ただし、仲介者からは「実は、もう一人、リライターを打診しているライターさんがいる。もしかしたら、そちらに依頼することになるかもしれないが、とりあえずサンプル記事を書いてくれないか」と言われている。いわゆるトライアルだ・・・ふむふむ。

初めての仕事のときに、無報酬でサンプル記事を書いたり、低賃金で一定期間トライアルがあるのは珍しくないけれど、こういう急ぎのヘルプ仕事のような時は、クライアントなり仲介業者が、知り合いの中から適当なライターを選定して話をもってくることが多いから、こういう一手間は省かれることが多いが・・・かなり慎重なクライアントなのだろう・・・へぇ~と思った。で、実は、わたしはホッとした(^^;。だって・・・ということは、かなり自由に書いてもいいってことだと、わたしは判断したのだ。

先に、ライターとして書く文章に自己表現は盛り込まないと言った通り、自由に書くといっても、別に"自分らしく"などとは微塵も考えていない。ただ、知り合いの編集者から「時間がないので助けてください」的に、私という人間を頼って依頼された仕事だと、詳しい経緯を知らないまま、短期間に、拘りのあるクライアントの求めるものを書き上げて渡さなければ、依頼してくれた編集者に恥をかかせてしまう・・・というプレッシャーを感じて、柄にもなく肩に力がはいってしまうのだが・・・

今回のように、複数人の人に書いてもらって、その中から良いものを選びますのでと言われれば、相手には選択肢があるのだから、わたしが全てを背負う必要がなく・・・わたし的には「皆の責任は誰の責任でもない」という気楽さを感じるのだ(爆)。

というようなことがあって、ふと思ったのだけれど・・・わたしのような怠け者気質ではなく、負けず嫌いの人だったら、こういう競わせるタイプの仕事の依頼方法の方が燃えるんだろうな・・・ねっ。でも、わたしのような人間だったら、君を信じるよ的に任された方が、必死に頑張るわけで・・・人の使い方って、相手の性格を見極めるところから始めるべきなんだなと、改めて思ったのでした。

もちろん、行きずりの相手に対してだと、性格を見極めている時間はないから、自分たちのスタンダードなスタイルというのに従うしかないと思うが、社内で人を育てるみたいな場合は、管理職の人は、まずは部下の個性を見極めすることからなんだろうな。まっ、よく言う「褒めて伸びるタイプ、叱って伸びるタイプ」の話から、一歩も外に出てない話でした(爆)。



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サイン

2013-07-24 10:56:33 | Weblog
これは蜘蛛の巣。グチャグチャグチャってなっている白いのは、蜘蛛さんのサインでしょうか。確か、蜘蛛って、自分の巣にサインするって聞いたような気が・・・

もう三十年近く前のことですが・・・藍那と裕太がお世話になった幼稚園の園長先生とお話をしていて、わたしが「人は誰でも、自分のことを表現するために生きているでしょ」と言ったら、先生が「わたしには、そういう欲求はないけれど」と仰ったのが、とても衝撃的だったのを覚えています。

けれど今は、その時の先生の言葉が、何となくですが分かる気もするんですよね。というのも・・・今の私には、以前のような"息苦しいくらいの自己への執着"がなくなっているように感じるんです。

以前のわたしは、「わたしの究極的関心事は自分自身だ」と言って憚らないような、度を越した自己中人間でした。今もその自己中心性自体はあまり変わっていないんですが・・・なんていうんでしょう・・・自分に対する貪欲な好奇心とか、探求して見つけた自分を何かの形で表現したい欲求とか、その行動こそが生きているということなんだという気持ちが、ほとんど無くなっているんですよね。

自分を知りたい、表したい、残したい・・・そういう欲望を、信じられないくらい感じなくなっている自分に気づいて・・・これが老いるということなのかなと思ったりもしています。

自己への執着がなくなることも、老いることも、それ自体は悪いことじゃないというか・・・むしろ精神的成熟を遂げた結果であるという方もいらっしゃるとは思うんですが・・・わたしの場合は、そうとは思えないんですよね。

ただ、だからといって、もう一度元気になって、自己に拘りたいとは、まったく思っていないんです。それは、ほんとうに、もうイイかなって思うんです。それよりも・・・なんだろう・・・もっと大切にすべきものが見えてきていない自分が情けないというか・・・わたし、どうすればいいんでしょうね(^^;。



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トマトが赤くなった

2013-07-15 14:47:51 | Weblog
畑のトマトが色づき始めました。
それを発見した時、とっても嬉しく思いました。

けど、なぜ嬉しいんだろうって、ちょっと不思議でした。

単純に考えたら
収穫を期待して・・・かな
とても計算高いというか、理性的な喜びです(^^;。

というよりもっとシンプルに
そこに何かしらの美しさを感じて・・・って気がしないでもないです。
とてもアーティスティックな感性からうまれる喜びですね(^^;。

でも、なんだかどちらも物足りない・・・
その両方ってことでもあるんでしょうが・・・それでも何か物足りない・・・

わたしは何故、色づきはじめたトマトを見て、嬉しかったんだろう・・・


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布教って、誰のためにしているんだろう・・・

2013-07-06 18:21:09 | Weblog
先日、臨済宗の開祖で建仁寺の開山である栄西禅師のことを軽く調べていて、ふと思ったんですよね・・・

いや、そもそも仏教のことも栄西さんのことも、ちゃんと分かってないので、偉そうなことは言えないんですが・・・単純に「当時、浄土宗が民衆に大人気で、それに対抗するため、幕府の庇護を得ようと鎌倉にいき、武士を取り込んで成功した」みたいな説明を目にして・・・なんだか違和感あるなって・・・

そもそも、二十代の頃、形骸化していた天台宗を立て直すべく、平氏の庇護を得て南宋に留学した人だと聞いてますから・・・時の権力を利用して、崇高な目的を果たす方法論に、違和感のない方だったのかもしれないんですが・・・禅宗を広めた方なわけだし・・・なんか違和感あるなって・・・

当時から、権力に擦り寄る奴だみたいな批判は受けていたようですが、それはきっと政敵によるネガティブキャンペーンではあるんだと思うんですよ。けど、そも、政敵ができる彼の遣り方と、彼の真意が、どう折り合いをつけているのかなって・・・そこが不思議だったりするんです。

っていうか・・・栄西さんの平氏や源氏など、時の権力者の庇護をうける遣り方だけじゃなく・・・お寺でよく見かける、高僧の像を祀っているのでも、十分に違和感があるんですよね。

高僧と崇められる人たちが、自ら祀れと言ったとは、とうてい考えにくいですが・・・その意を汲むなら、どんなに尊敬していても慕っていても、像を作って祀るという発想にならないと思うんですよね。いえ、信者さんたちは、そうしたくなると思うんですよ・・・でも、お弟子さんたちは、それを止めるのが本来じゃないんですかね・・・違いますかね。

というようなことを、つらつら思っているとね・・・そもそも、布教って、誰のためにしているのかなっと思うわけですよ。衆生を救う・・・つまり、自分が尊敬する師匠筋や、自分が所属する宗派や、自分自身のためではなく、あくまでも苦しみを抱えた民衆のためなのだとしたら・・・なんか、もっと違う形になりはしないだろうかと・・・

大学生の時、組織進学を専攻して、キリスト教を学びましたが・・・その時、教会論に違和感を感じてしまって、乗り越えるのに苦労したんですが・・・また、それの繰り返しを経験しているのかな、わたし(^^;。

なんていうか・・・政治家や思想家の人たちが、名を残すことに拘りをもっても、それは比較的容認できるんですよ。世のため人のためと言いつつも、実は何かでっかいことをして、歴史に名を残したいという個人的な欲に突き動かされていても、むしろそれが大きな原動力や推進力になって良いさと思えるというか・・・本当に、それで世の中が良く出来るのなら、ギブアンドテイクだと思えるというか・・・なんですよね。

けど・・・どうも、宗教家に対しては、青臭い潔癖症が出てしまうみたいで・・・個人の欲が少しでも感じられたら、なんか嫌な気がするんですよね(爆)。

自分の為に布教活動をしながら、それを人の為思い込んでいることによって生み出される業・・・一般の人に背負わせるって、なかなかに罪深いきがするんですが・・・ね。

えっと・・・このタイトルでUPすると、なんだか嫌なタイプのコメントが付きそうなので、コメント拒否ということでお願いします。以前は、そういうことにも、果敢に向き合おうという元気があったんですが・・・今はもう、心の体力がありません(^^;。


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血縁者に拘っていては、必要な人に必要なサポートが届かないと思う

2013-07-06 08:09:30 | Weblog
動くと、あるいは触れると香る・・・という、洗濯用洗剤のCMありますよね。
あの発想って、植物からかなって思うんですが、開発者さん、違いますかな。
イメージしやすいのは、山椒・・・
気づかないで触れて通ると、あたりに強烈な香りが広がります!!
一般の方はご存知ないかもしれませんが
農家の方なら、大きく頷かれると思うのがトマト・・・
葉っぱに軽く肩が触れただけで、青臭い独特の匂いがどわっ~っとなります(^^;。

というのは、まったく関係ない枕で・・・
これからが、本題・・・ちょっと真面目に話します。

先日、統合失調症で入院している義妹の主治医から電話があったんです。
平日の昼間に、夫(義妹にとっては兄)に来いという電話でした。

平日の昼間の電話ですから、当然、わたしが受け
「平日の昼間だと、夫は仕事を休んでいかなければなりませんが、私ではダメですか」と聞くと またいつもの「血縁者でないと」との返事でした。

入院の時に、わたしが義妹を連れて行くといったら
血縁の人についてきて欲しいと言われ、叔母に付いてきてもらった経緯がありました。
今後、保護者?後見人?をつける場合にも、血縁者が必要と言われ
夫と叔母が相談して、叔母がなってくれることになり
それも、主治医に報告していました。

なので
「入院の時に、主治医の先生、担当看護師さん、ケースワーカーさん同席の場所で、今後、血縁者でないとダメなことは叔母が、それ以外の誰でもいいところは義姉がしますとお話して、了解をいただいたはずなのに、どうして実の兄を呼び出されるんですか。私たちでは何がダメなんですか」
そう、ちよっとキツめにいってしまいました。

すると
「叔母さんが自分ひとりに負担がかかっていてシンドイとおっしゃっていたので」
との返事。

は?叔母が、自分ひとりに負担がかかってしんどいと愚痴った?

もちろん、絶対に叔母がそんなことを言うはずがないとは言いません。
ここのところ、地元の公的機関へ続けて手続きに行ってくれたから、それが大変だったと、病院のスタッフに愚痴ったかもしれません。

けれど、日頃の彼女の言動から考えて
甥が何もしてくれない、私一人が貧乏くじを引いた的なことは絶対に言わないです。
叔母は、絶対にそういう人ではないです。
中には、人によって言動をかえる人がいますが
叔母は、そういう人ではないんです。

わたしが、義妹の呼び出し電話の度に頼まれた買い物して病院に届けるのを
本当に申し訳ないと何度も詫び
頼むから自分に連絡してくれ、そういうことは自分がするからと懇願する人なんです。

それを「叔母さんが自分ひとり大変だと言っているからお兄さん来い。義理の姉じゃダメだ、実のお兄さんが来い。平日の昼間に、会社を休んてこい」。そう病院側が言うのは、こちらの家族の人間関係を引っ掻き回すことになりはしないでしょうか。

もし、私たちが、主治医の話を鵜呑みにし、叔母に対して「私たちには、よくやってくれている感謝すると言いながら、影に回ったら、甥夫婦は何もしてくれない、わたし一人がしんどい思いをしていると、病院の人たちに悪口を言っているんだ」と誤解して、感情を拗れさしたら、義妹にとっても良いことではないと思うんですが。

とりあえず
「そもそも、叔母が大変だと言っているからという理由なら、平日の昼間は仕事をしている実兄に何かを期待しても無理だと思いますよ。むしろ、よけいに、動ける兄嫁である私に話していただく方が理にかなっていると思いますけど」
と、言ったら

今度は
「妹さんがお兄さんに会いたがっていますし」ときたわけです。
なら、仕事が休みの日曜に会いに来いということでいいのでは?
なぜ、仕事を休んで平日の昼間に来いというんだろう。

だれも義妹のために何もしたくないとは言っていないですよ。
実際、この話をしたら、夫は「行く」と言っています。

けど、なぜ、患者の家族に対して、あんなに簡単に仕事を休めと言えるのか
わたしには、それが不思議でなりません。
患者のためなら、家族は他の全てを差し置いて行動すべきなんでしょうか。
それぞれの家族の状況にあわせて
できる人たちが協力し合ってするのではだめなんでしょうか。
なぜ、ここまで頑なに血縁に拘るんでしょうか。

親子でもそうだろうし・・・ましてや兄弟姉妹となれば
血の濃さだけで判断できない、人間関係があります。

義妹に関していうなら
存命の人間の中で一番彼女を心配し愛してくれているのは叔母です。
義妹に治療や介護に関しては、なにより叔母の意向と都合が優先されるべきと思います。

また、彼女のために雑務をこなせるのは、実兄より血のつながりのない兄嫁の私です。
なら、血のつながりに拘らず、実兄の承認を経て、義姉が動けばいいんです。

もちろん、血縁者じゃないんだから何もするなと言われれば
私としては楽ですが・・・それでいいんでしょうか・・・
それで義妹の為になるんでしょうか・・・

もし、こういう対応が病院の勝手な判断ではなく
法律など規定されていることなら
わたしは法律から変えるべきだ思います。
でないと、ポートを必要とする人に必要なサポートが届かないと思います。

ほんと、納得いかない電話でした・・・ふむ。