OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

猫バスのような猫

2012-01-21 17:08:19 | Weblog
我が家の庭に
なにものかが居る

目をこらすと
ササッと、それが動いた

巨大な猫
悠にてんの三倍はあろうかと思う巨体の猫

彼、あるいは彼女は
わたしの姿を認めると
ひらりと身をかわし
はらりと庭の壁を乗り越えて去っていった

それにしてもデカかった

もし、てんが彼、もしくは彼女と遭遇したら
どう反応するんだろう

身の程知らずにもかかっていくのか
一瞬で力量の差を認識して戦う前に降伏するのか

親バカなわたしは
やっぱり、てんを外に出すのは止めようと思ったのでした。

何があっても守ると信じてくれていた・・・

2012-01-18 17:40:43 | Weblog
もう何年も前のことです。
藍那の友達がトラブルに巻き込まれたことがありました。

バイト先が何だか厄介なところで
それを知って辞めようとしたら脅されたというのです。
お前だけじゃなく周りの人もタダじゃすまないぞって。

それで、藍那たちにも危害が及ぶんじゃないかと心配して
友達は、バイトを辞めるのを諦めようとしていたらしいのです。

それを知った藍那は
何を馬鹿なことを言っているんだと
一刻も早く辞めて手を切らなきゃ駄目だと怒ったのだそうです。

そしてその時
彼女は、その友だちに、こう言ったそうです。

わたしは、身の回りで何か不審なことがあれば躊躇わず警察に行く。
それで、あなたに何か不利なことが起こっても、それは自業自得だと思いなさい。
それに、わたしの親は、何があっても、どんな相手からも、わたしを守ってくれる。
だから、わたしのことなんか気にしないで、あなたは、自分がすべきことをしなさい。

当たりまえみたいに
藍那は、この話を、わたしにしました。

ねぇ~、何かあったら守ってくれるよね
そんな感じの依頼でも、確認でもなく
ふつうに事実を述べただけ、という調子で、わたしに話しました。

わたしは、そのとき
お友だちのトラブルのことなんかどうでもよくなり
ただただ、藍那の信頼が嬉しくてならなかったです。

なにがあっても
どんな相手からも
藍那を守ってくれる

藍那は、そう信じてくれていたんだ
親としてこれ以上の喜びはありません。

なのに、わたしは、藍那を守ってやれなかった。
藍那の信頼に応えられなかったことが悔しくてなりません・・・。

親しい人の頭の中・・・

2012-01-17 07:41:02 | Weblog
一昨日は
福井の警察に行ってきました。
遺族聴取ていうんでしょうか
藍那の簡単な生い立ちや事故の知らせを受け取ったときの状況など聞かれました。

わたしは、途中で気分が悪くなり
しばらく退出していたので詳しくは知りませんが
たぶん、病院に駆けつれたときのことや
その後のことも、夫は色々と聞かれたのでしょう。

わたしが部屋に戻ったときには
加害者の青年への処罰についての意見を求められているところでした。

警察の方は最初に
ぶしつけなことや失礼なことを聞くかもしれないけれど許して欲しいと
そう言ってから、聴取を始められましたが・・・
きっと、遺族の心の中に溜まっているものを吐き出させてやろう
そういうスタンスなのでしょうね・・・
加害者の青年への怒りを、さかんに引き出そうとしてくださるんですが
わたしたちには、不思議なほど怒りなどはないんです・・・

彼は21歳・・・
大学でも、とても優秀だと評判の青年で・・・
だからこそ、今回のワークショップの学生スタッフにも選ばれた。
わたしも、事故以前、会って話したことがありますが
とても好感がもてる青年でした。
彼は、これからの人生を、どう生きるんだう・・・
友人を死なせてしまったという重荷を
これからずっと、背負って生きていかなければならない・・・

友人を死なせてしまったということ自体が
何よりも重い罰になっていると思います。
それ以上、どんな罰も、望んだりはしないのです・・・

けれど、まっ、この聴取というのは、なかなかキツイです。
夫は、相当に参ったのじゃないかと思います。

三時間近く続いた聴取が終わってから
わたしたちは、藍那が参加させてもらっていたワークショップの
発表展示を見るために、金沢の美術館に向いました。
受け付け時間は過ぎてしまっていたのだけれど
大学の先生も美術館のスタッフの方も待ってくださっていて
案内してくださいました・・・

しんみりとしたくなかったので
わたしは、見学に来ている子どもたちと同じように
宝探しをして楽しみました。
夫は、先生たちと、話などしていたようです・・・
きっと・・・藍那は、ここで、とっても充実した時を過ごしたんだうな。
それが実感できる時間でした。

金沢からの帰り・・・
車で、約四時間の道のり・・・
夫は、助手席から、たえず、わたしに話しかけてきます。
内容は、他愛もないものですが・・・
きっと、気持ちが落ち込まないように
あるいは、眠気や疲労におそわれないようにという気遣いだったのでしょう。

わたしは
運転さえしていれば心が落ち着くので
そんな気遣いは不要なのですが
それが分かっていても、そうせざるを得なかったのは
彼自身も、自分の気持ちを保つ必要があったのかもしれません。

その時、ふと思ったのです・・・

彼が、一つの話題を終えてから
次の、話題で話しかけてくるまで
数分、長い時で十数分の間があくのですが・・・
彼は、その間、何を考えていたんだろう・・・

さっきの話の続きを、一人で考え続けていた・・・
ずっと、新しい話題を探していて、それが見つかったから話し出した・・・
何も考えなかった・・・
まったく別のことを考えていた・・・

真横に居ても
わたしには、それが全くワカラナイナァ~

当たり前のことなんですが
そのことが不思議でもあり
面白くもありました。

時間の救済

2012-01-11 06:49:10 | Weblog
いつ差し伸べられるんだろう
時間による救済の手

そんなもの
差し出されたって拒否してやる
そう身構えていたけど

ちっとも来やしない
気配さえ見えない

むしろ
時間に甚振られ
責めさいなまれている

時が苦しい

どうしたら・・・

2012-01-10 15:29:24 | Weblog
自分でも分かる
ここ数日、表情がなくなっている
笑顔がつくれない

家族に心配をかけているのが分かる
彼らだって、同じようにしんどいのに
わたしに気を使わせてどうする

裕太が大阪に戻るときにも
涙を見せてしまった
それでなくても重いものを背負わせてしまった彼に
さらに負担をかけるようなことをしてしまった

どうしたらいい

友人

2012-01-03 18:27:08 | Weblog
幼なじみの親友から
家に行くからと、メールが届いた
会いたくないかもしれないけど
待っていたら、いつ会う気になるのか分からないからって

ありがたい

だって
ものすごくストレスのある行動だと思う
しかも、わたしが拒絶するかもしれなことを覚悟で言ってくれている

ありがたい

でも、家に来るのは遠慮してもらった
大阪で会うことにした
大阪でお茶することにした

それなら、なんとか崩れないで話せるだろう

たとえ、わたしがどんなに崩れても
彼女なら受けとめてくれる
それは分かっている
というより、そうして少しでも前に進めるよう考えてくれているのだろう

ありがたい
すごく感謝している

2012-01-03 18:19:11 | Weblog
ばあちゃんは
藍那の夢をみたという

夫も
藍那の夢をみたらしい

わたしは
みていない

二人は
家の中で
彼女の気配のようなものも感じるというが
わたしには、それも感じられない

裕太は
わたしが無意識に拒否しているからだろうという
そうなんだろうか

でも
裕太自身も実感がなく
しょっしゅう、いつも通りに考えてしまうという
正月、実家に帰ったら、ねえちゃんも帰ってきてるのかな・・・とか

それで、「あっ」っと・・・
その瞬間が、いちばんツライらしい。