OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

量子って何者?

2019-05-30 15:13:27 | Weblog
HDDに保存している録画したテレビ番組のリストを見ながら、夫が「量子って佐野量子?」って聞く。「佐野量子って誰?」と返すわたし。「武(豊騎手)の奥さん」「ああ~・・・で、佐野量子さんが何なの?」「猫が何とかっていう・・・」「???」。

結局、それは私が自分の為に録画していた『コズミックフロントNEXT』でした。その時は「にゃんこ博士が説く?量子が教えてくれる宇宙の謎」というテーマだったのですが、いつも録画している『岩合光昭の世界ネコ歩き』のイメージとも重なって、量子さんの猫番組かと勘違いしたみたいです・・・それにしても、咄嗟に佐野量子さんが思い浮かぶのは世代のせいか、競馬好きのせいか(^^;。

で、その量子(りょうし)ですが・・・いや~面白いっ!!でも全然分からない(爆)。科学系数学系の番組は大好きでよく見るのですが、内容はほとんど理解できていません(涙)。ぼんやりイメージだけでとらえてます。でも好きなんです(^^;。それが、今回の量子に関しては、イメージすら湧かない・・・まったく見当がつかない・・・取りつく島もない・・・なのに面白い、超絶面白い。いったい何なんだ量子って・・・どういうことなんだ量子もつれとか、もやみたいとか、重なるとか・・・意味不明も甚だしいっ!!!なのにむちゃくちゃ惹かれるっ!!!

ギャップ萌えとか、神秘的とか、影に惹かれるとか・・・そういうことの仲間なんでしょうか・・・まったく分からないものに惹かれるって。

わたしの"人の心"に関する理解からすると、ちょっとしたギャップとか、ちょっとしたズレとか、ちょっとした分からなさは魅力と感じる気がするんですが、まったく分からないものには関わろうとしないものだと思うんですよね。でも、あまりにも分からない、きっとこれからも理解できることなどないだろう・・・にもかかわらずワクワクするって、自分でも何でそう感じるのか不思議でしかないです。

量子について追及するなんてことが仕事に出来たらどんなに楽しいだろう・・・自分の頭の悪さが、つくづく恨めしいです・・・・・・・

ハンガー置きの怪

2019-05-11 07:26:36 | Weblog
我が家では、使っていない普段使いのハンガーをまとめて専用の箱に入れている。同じタイプのハンガーなので、同じ向きにそろえて重ねて入れるようにしている。

が、夫がハンガーを使うと必ず逆向きに戻す。朝、わたしが彼のシャツにアイロンがけして、ハンガーにかけておくと、そのシャツを着た後、彼がハンガーを箱に戻すのだけど、毎朝必ず逆向きに戻すのだ。

正直、わたしはそれが気持ち悪い(ハンガーの向きが揃っていないのが)ので、彼の出勤後に毎朝直すのだが・・・なんでだろうと不思議でならない。彼は、この無秩序が気持ち悪くないのだろうか・・・と。

で、ある日、思いついた。彼の動きでは、ハンガーは私とは逆向きに入れるのが自然な流れなのではと。わたしは、見た目重視で方向を決めているが、彼は自分の動きから、無意識に一番無駄のないものを選んでいるのではと。

そこで、ハンガーの向きを全て逆向きにした。私は、ハンガーの向きなんかどうでもいい、左向きでも右向きでも揃っているのが好ましいと感じているのだから、彼が好む向きにそろえれば、問題解決じゃないか!!と

が・・・そうしたら、夫は、またその逆にハンガーを入れた。びっくりしたが、たまたまかもしれないと、数日様子を見て見たら、必ず逆向きに入れる。彼の動作としては今までと反対の逆向きに。それで、ついに本人に聞いてみた。「これは意識して逆向きにしているの?ハンガーが同じ方向に揃っていると気持ち悪いとか思うの?ごちごちゃしている方が落ち着くとかそういうことなの?」。すると夫はきょとんとした顔をした。何を聞かれているのか分からない様子だった。ここ数日の検証のことを説明すると、笑いながら「全然意識してなかったから分からんけど、なんでやろね」とのこと。なんでやろ・・・(^^;。

きっと、夫の中では何かあるのだと思う。もちろん、彼が言う通り、意識はしていないのだろうけど、無意識レベルで何か拘りがあるのだろう。何に拘っているのかな・・・それが分かれば、お互いが気持ち悪くない方法が探せるのだけど・・?

とにかく、人の心理と行動は面白くも不可解だなぁ~と思ったのでした。

先人の知恵か自身のオリジナルか

2019-05-09 13:27:03 | Weblog
毎日、気温が変化します。一日のうちでも、寒暖の差が激しいです。朝から家中の窓を開け放つ日もあれば、まだ暖房をつけたくなる夜&早朝もあります。面白いです(^^)。

窓を開け放つと、思った以上に色んな音が大きく聞こえてきます。町の音・・・生活音というと、どうしても人の顔が思い浮かびますが、特定の人の顔は思い浮かばないけど、そう遠くないところで誰かによって生み出されている音の合唱・・・町の音(^^)。

それから、景色にも目がいきます。窓を閉めている時にも同じものが見えているはずなのだけど、カーテン越し、ガラス越しではなく、同じ風に晒されながら見る景色は、ちょっと違って感じられます。で・・・今更何ですが、ふと電柱と電線が気になりました。観光都市とか、都市計画で創られた意識高い系の新しい街とかでは、この電柱や電線が目障りだということで、地下に敷設することもあるようですが、四十年くらい前に区画整理された田舎町です、しっかりと電柱&電線が見えます。それを特に意識したことはなかったのだけど・・・

数年前に、調整区域にソーラ発電施設を作るため、新たな電柱を建てたいと近隣の方にお願いしたら、あまり歓迎されなかった経験が、多少は影響しているのかな・・・たしかに美しい景観とは言えないのかもしれないと思いながら、改めて家の窓から眺める景色の中の電柱&電線のことを眺めました。

で、それを邪魔者と思って排除する活動をするのか・・・嫌だなと思いつつも仕方ないとあきらめて我慢するのか・・・これもまた自然の一部である人の営みの生み出すものなのだから、新しい形の自然の形なのかもしれないと受け入れるのか・・・その人が、その景色に何を求めるのか、何に拘るのかで違ってくるのでしょうね。

ところで、今はもちろん過去のことや未来のことで、気持ちが落ち着かないということが何方にもあることと
思います。それが一過性のものではなく、ずっと続くとなると、なんとかしたいと思うのも当たり前だと思います。深刻な場合はカウンセリングを受けたり、もっと酷いと投薬をうけるなんてことを選択すべきなのでしょうが、気持ちの持ち方を変えるだとか、生活を見直して気分転換するだとか、自分だけで何とかしようとする人がほとんどなのでは、と思います。

その時に、まず思い浮かぶのが座禅だとか写経といった簡易宗教体験。新興宗教系だと、付け込まれてハマり込んで、大変なことになるかもしれないという心配もありますが、長い歴史をもつ大御所宗教さんが一般向けに行っているものなら、気楽に体験出来て、意外に効果も期待できるのでは、なんて思っちゃいます。

あるいは絵を描くとか、茶の湯をするとか、内省効果が高そうな芸術系の作業に没頭するなど、あわよくば災い転じてというか棚ぼたというか、転んでもただでは起きないというか、しんどい気持ちキッカケで、自分の中の新しい扉をあけちゃえたらラッキーみたいなことも・・・

でも、どれにしても、誰もがやりがちなことになっちゃうんですよね。だって、それらは、かつて誰ががやってみて成功した方法ってことですからね・・・先人に習うのは、ぜんぜん悪いことじゃない!!

でもなぁ~・・・せっかくなら、本気で転んでもただで起きないを実践したいんですよね。誰かの真似ではなく、自分オリジナルの行動処方箋というか・・・自分だからこと見つけ出せる自分用の回復方法を編み出したいんですよね。

だんだん、何に悩んでいるのか分からなくなってますけど・・・とにかく何もかもぐちゃくちゃでよく分からないってことなんですよね、あは(^^;。

継続の為に、解釈でしのいでいく選択は、決して嫌いじゃない

2019-05-08 15:58:14 | Weblog
たびたび語っちゃっていると思うのですが、若き日の私は「有限な人間と同じような心をもって世界を絶対的に支配すると位置づけられる人格神」って奴が、なんとも胡散臭くて大嫌いでした。でも中学からミッションに通うことになり、私よりも遥かに知識のある、そして間違いなく知性においても私を遥かに上回っている、しかもリベラルな考え方(使い方、間違ってるかな?)をしている人が、敬虔なクリスチャンであるということを知るにつけ・・・それをとどう理解すればいいのか、とっても悩みました。だから、大学では神学を専攻し、学校チャプレンである教授のもとで組織神学を学びました。

で・・・そんな大学生時代、指導教授であるS先生がおっしゃったのが「キリスト教の歴史は解釈の歴史です」。そんなに複雑な意味のある言葉ではないので、その時も「なるほどなぁ~、そうだろうなぁ~」って素直に納得したのですが・・・今になってつくづく「継続の為には解釈が不可欠」って思うのでありますよ、うん。

世の中は、というか何事であっても、変化というのは必然ですよね。必ず、何事も変化していく。となれば、存続していくためには、その変化に対応してスクラップアンドビルドしていくというのは、おのずと選択されることになるでしょう。

けど・・・わたしは「解釈でしのいでいく」っていうやり方が好きですね。古いものをみんな壊して、更地にしてから、まったく新しいものを建てていく・・・たしかに、潔くもあり、気持ち良くもありますが・・・壊したものって、後から後悔しても、決して取り戻せないんですよね。同じようなものを再現しても、そこには時だけが生みだせる何かが欠けているんだもの・・・

断捨離なんてものがブームになったりして、未練がましく不必要なものにすがることのカッコ悪さを指摘されると、「いや~、それはそうなんですけどね」とモゴモゴいっちゃいますが・・・

解釈でしのぐって・・・言い換えれば、違うって分かっていることでも、頭から否定してしまわずに、居場所を残してあげつつ、新しいものを迎えていくっていう・・・はっきり言ってしまえば、ナアナアのごまかし技だと思うんですが・・・それがいいなぁ~と、年を重ねるにつれ、思いが強くなっていきます。

白黒つけちゃうと否定されるものを、まあまあ、そこのところは、まあまあ、いいじゃないですかと誤魔化しつつ・・・こういう解釈もあるんじゃないですか、こういう捉え方でもいいんじゃないですか、なんて居場所を残しておく・・・ねぇ、そういうことが、あってもいいじゃないですか。

そういう意味では・・・忖度って奴・・・最近は、悪行の代表みたいに忌み嫌われてますけど、わたしは嫌いじゃないですよ・・・その、まあまあ感っていうか・・・曖昧の美学的な性格の部分は。空気読むってやつと同じようなことだと思うんですが・・・ちゃんと忖度すれば、ちゃんと空気をよめば、それは思いやりってことに他なりませんしね。一部の人の利得の為になされると、そりゃあ美徳が悪徳に、一気に裏返っちゃいますけど、本来は、相手のことを思いやって、口に出せないことを察してあげるってことですからね(^^)。

一時、個の成熟ってことに、ひどく拘ったことがあって・・・それは、この「解釈」だったり「忖度」だったり、厳格なジャッジとかルールとかではなく、曖昧さが好い方向へのかじ取りの役割を果たすためには、一人ひとりの人間の心の成熟がなくては、結局はドロドロの腐敗社会になっちゃうと思っていたからなんですが・・・

今は、そういう拘りも、もういっかなと思います。どうしても、何事にも説明がないと気が済まないのが人間という動物ならば・・・流れていく中で、その時々、都合よく解釈して理屈を作り上げて納得して・・・それで追っつかなくなったら、また解釈して、新しい説明を作り出して、その時はそれて納得して、を繰り返していくだけかなって・・・

何言ってるか、意味不明ですか・・・ですよね・・・だから、そこは、はい、イイ感じに解釈して読んでくださいませ(^^;。

一畳にも満たない空間の中の幸せ

2019-05-07 16:16:01 | Weblog
昨月末に夫が生検をして、その結果が出るのが今月半ば。10連休があったため、通常より遅いようだけど、待つ時間というのは何とも落ち着かないですよね。ただ・・・時間がたつほどに、大したことがないような気になってきています。もちろん、逆に悪いことばかりを考えて不安がつのるという方もいらっしゃるでしょうから・・・きっと、わたしは楽天的な質なんでしょうね・・・それか究極に冷淡なのか(^^;。それが、さっき、病院から電話があったんですよね。びっくりして心臓が止まりそうでしたよ・・・だって、結果を聞くために来院を指定された日より一週間以上も前に、わざわざ電話なんて、とんでもなく悪いものが見つかったと言われるに違いないと。でも、なんと、入院中に使用していたテレビカードが、そのまま入っていたけど・・・っていう事務連絡でした。破棄するか、他の方に使ってもらってくださいとお願いしました(^^;。

ところで、この連休ですが・・・どこにもいかず、特別なことはなにもせず、ただぼんやりと時を過ごしました・・・そんな日々の、あるひと時のお話です・・・

春の風を入れようと、窓を開け、網戸にしていると、てんちゃんとはるちゃんがやってきて、窓際にぺたんと寝転がりました。差し込む陽光を浴びながら、体を撫でていく風を楽しんでいるのでしょうか・・・とても穏やかな表情をしています。そんな彼らを眺めながら・・・二匹と一人で過ごす一畳にも満たないこの空間にこそ、幸せというものが宿っているのだよなぁと思いました。大きな豪邸も、豪奢な装飾品も必要ないのだなぁ~と。

ただ・・・一畳にも満たないその幸せな空間が在るためには、本当は、とってもたくさんのことが必要なんですよね。そこだけ、その時だけが、独立して存在は出来ない・・・本当は、とてもとてもたくさんのことに支えられて、その空間が存在し得るのですよね・・・たぶんね・・・(^^)。