OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

分からないこと大好きって、面白いよね

2015-04-14 17:13:28 | Weblog
少し前ですが、アレクシス・カレルを取り上げたテレビ番組を見ました。血管縫合および臓器の移植に関する研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した人ですが・・・なかなか面白かったです。

特に「ほぉ~」と思ったのは、彼がルルドに旅して、そこで奇蹟を目の当たりにし、神秘的なものへの興味を強く持つようになったということです。

わたしの好きな科学者さん、たとえば進化論のアルフレッド・ラッセル・ウォレスや、脳神経外科医のワイルダー・ペンフィールドも、優秀な科学者でありながら、精神的なものに対する学究心を持った方たちでした。

そういえば、医師としてではなく作家として有名ですが、アーサー・コナン・ドイルも神秘的なものに夢中になったのではなかったかしら。

わたしが勝手に思うに、彼らこそが、真摯に科学に向き合う真の科学者なんですよね。

科学が進歩して、今まで分からなかったことが次々と解明されて・・・おそらく、今はまだ説明がつかないことでも、やがては科学によってその仕組みが解き明かされるに違いない・・・だから、今、説明のつかない現象があったとしても、それは決して神秘的なことではないと結論付ける・・・それって、決して科学的な態度ではないですもの。

今、分からないことは、分からないことですよ。いずれ解明されるにしても、今はまだ解明されていないなら、それは分からないことです。その"分からない"ということを認めることが出来る人、そしてそれを分からないままおいて置けない人、そういう人が、わたし、好きなんだと思います(^^)。

もちろん、その追求の仕方が、あくまでも科学的であったなら、彼らは同業の人たちから非難されることはなかったと思いますが・・・違う角度からのアプローチがあってもいいじゃないですか。わたしは、決して神秘主義信奉者じゃないですが、そんな風に思っています。

分からないことに、どうしようもなく惹かれる・・・そして、それを、あれやこれや色んな角度から考えてみるのが大好き・・・そんな遊びに夢中になるって、ほんと、いいなぁ~って思います。

4月2日を迎えて

2015-04-02 10:12:53 | Weblog
60日間投稿が無い場合に表示されますっていう広告が表示されていました。
ブログ始めてから初めてじゃないかな・・・そんなことないかな
でも、とにかく、ずいぶんと書いてなかったんだ・・・
にも関わらず、毎日、あるいは定期的に、ブログチェックに来てくださっている方が
少なくても十数名いらっしゃるみたいで・・・
ほんとうに有難いことです・・・感謝しています・・・ありがとうございます。

昨日は4月1日でした。
この日は、わたしにとっては、特別に悲しい日の一つです。
大好きだった(今ももちろん大好きですが)張國榮(レスリー・チャン)さんが自ら命を絶たれた日だからです。

ああ、こういう書き方、初めてしたなぁ~・・・
何年も、名前を書くことも口にすることも苦しかった・・・
こんな風に、客観的な記述・・・できるようになったんだなぁ~
12年前もたったんだなぁ~

でも、あの日、友人からの電話・・・今でも、思い出すだけで胸が苦しくなります・・・
いつだって、電話は悲しい知らせを告げるんだ・・・だから、電話なんて大嫌いなんだ・・・
翌日、仕事で車を運転している時
どこもかしこも胸苦しいほど桜が満開に咲き誇っていたのも忘れられません・・・
だから、桜は大嫌いなんだ・・・

多くの方は
好きな俳優さんが亡くなって、そりゃあ悲しいだろうけど、少し大げさなんじゃないですか
って印象を持たれると思います。

そうでしょうね・・・そう感じられるでしょうね。
けど、わたしにとって彼は、なんというか・・・
勝手に自己を投影させてもらえる・・・それによって、自分が背負っている重荷を少し軽くしてもらえる
そんな虚像を提供してくれる、ほんとうに特別な存在だったので・・・ふむ・・・

大切なものを失うと・・・
人って、自分の一部を、その人と共に葬ってしまうでしょ・・・
それはもう、生きている限り決して取り戻せないもので・・・

ただ、それでも生きていかなきゃいけないわけで・・・
ある日ふっと、なんだか付き物が落ちたみたいに、イワユル前向きって気分になる時が来るんですよね。
それが、國榮さんのことに関しては『月下向日葵』を書き始めるときだったかなぁ~。

わたし、書くことは嫌いじゃないし、どっちかっていうと得意なんですが
フィクション、つまり小説だけはダメだなってずっと思っていたんです。

でも
人々を楽しませたいと頑張らず
それによって何かを伝えなきゃと意気込まず
ましてや、それを手段に世に出ようなんて野心をもたなきゃ
ようするに、ただ心のままに書き殴るだけなら、誰にだって、つまりわたしにだって出来るわけで

で、ある日、突然、なんだか「ただ書きたいな」って思ったんですね。
書き始めたら、やっぱり人に見せられるような立派なものは書けなかったけど
わたしの気持ちは何だか楽になったんですよねぇ~。

だから・・・國榮さんより、さらにずっとずっと時間は必要だろうけど
やがては、何か、そういう瞬間は、くるのかもかなぁ~・・・と漠然とした思いをもちつつ・・・
でも、わたしの天寿には間に合わないかも・・・と思う、今日この頃なのです。

ただね・・・それでも、なんていうか・・・
いろんなトラブルっていうか懸案が、この三年を仮支えしてくれてきたかなとも思います。

決して嬉しいことじゃないけど
対応しなくゃいけないこと、解決しなくちゃいけないことが
この三年、なにかしらずっとあって・・・
嫌でもそれに対処しながら、なんとか時を過ごすことができたかなと・・・

まずは義母の癌が発覚し余命宣告・・・そして看取り・・・
その後、義妹の入院・・・
実母の皮膚がん判明での手術、その後も、骨折やら脱腸やら糖尿やら、軽い事故やら・・・
仕事と言うか財政面でも、いろいろ懸案が発生し、あれやこれやと慌ただしく・・・
落ち着いて悲嘆にくれることもできないのか・・・っていう日々が続きましたが

それらが、良くも悪くも、ようやく一応の落ち着きを見せ始め・・・
じゃあ、さて・・・念願の、悲嘆にくれるだけの毎日を過ごせるのかというと・・・
それもなんだか違うのかなと・・・

とはいえ、『月下向日葵』を書き始めたときのような救済は、未だ下りてきてないんですよね。
わたしに出来ることって、書くことぐらいしかないとは思うんですが・・・
まだ何も導かれるものがないですね・・・

どうなのかな・・・これからのわたし・・・
特に、不安だとか、そういうとではないんですが・・・
心が浮遊していく感じです・・・何かに掴まらないとなぁ~・・と、漠然と感じています。